伝説紀行 筑後版姥捨て山 筑後地方


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第151話 2004年03月28日版
再編:2018.07.22 2019.04.28
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
筑後版姥捨て山

福岡県筑後地方


福岡県山川町の蒲池山

 これは、筑後地方に古くから伝わる民話です。貧しい農民は、何より家族を第一に考え、常に前向きに生きてきたことがよくわかります。

還暦になると山に行く

 徳川時代に入る前の戦国時代。、世の中飢饉続きで人々は生きていくのがやっとだった。そんな折の筑後川畔に、細々と田んぼを耕す弥助という男が住んでいた。弥助は、間もなく60歳を迎える母親と二人暮し。
「そろそろじゃな」
 村の顔役の曇兵衛が回ってきて、弥助に囁いた。
「わかっとりますけん、それ以上言わんといてください」
 弥助は、家の中の母親に気づかれないように顔役を追い返した。
「弥助や、今来とったのは、曇兵衛じゃなかか。何しに来たんじゃ?」
「いや、何でもなかよ」
 弥助が首を振ると、母親が座りなおした。
「もうよかばい。早ようわしを山に連れて行かんか」
「いやじゃ、おっかさんを山に連れて行くぐらいなら、俺もいっしょに死ぬけん」
 大きな体を揺すって、弥助が泣きだした。村全体が貧しい上に、このところの日照りで米はとれず、年貢の取立てはお構いなしとあって、村では働けなくなった年寄りの食い扶持減らしが暗黙のうちに決められていた。それも、60歳になったら息子が東に見える山に捨てに行く慣わしだった。この何十年間で、殆どの家が、生きたまま仏さまになる親を見送ってきた。もし掟に逆らったら、明日から“村八分”というもっと重い罰が待っている。

死出の道でも子を思う母心

 弥助は、母親を背負って東の山に向かった。
「泣くな、弥助。これでいいんじゃよ。わしのように働けなくなった人間は、早うあの世に行くのが、皆の幸せになるんじゃから」
 母親は、諦めているのかさばさばしている。逆に弥助の足はなかなか前に進まなかった。
「おっかさん、何をしてるんだ?」
 弥助は、母親が手に持った小枝を「ポキポキ」折っては、捨てているさまが気になって尋ねた。


「お前はこまかときから、道ば覚えるとがたいそう下手じゃったけん。わしを山に送ったあと、帰り道がわからんようになったら困るじゃろうから、その目印たい」
 黙って母親の話を聞いていた弥助が、何を思ったか今来た道を引き返し始めた。
「おい弥助、そっちは家の方角じゃが。わしを連れて行くのは、山を登っていったところ・・・」
「わかっとる、おっかさん。黙っておんぶされとかんね」
 弥助は、家に帰るなり、床下に大きな穴を掘って母親を隠した。
「おっかさん、窮屈じゃろばってん、しばらくの辛抱たい」
 もし見つかったら、弥助もその場で首を掻き切って死ぬつもりだった。

隣の殿さんが無理難題

「何事か、えらい外が騒がしかごたるが」
 飯を運んできた弥助に母親が訊いた。
「隣の国の殿さんが、うちの殿さんに無理難題ば吹っかけたげな。言うこと聞かんなら村ば焼き討ちにする、ち」
「ほほう、うちの殿さんも相当困っとらすばいの。そいで、隣の殿さんはどげな無理難題ば言うて来なさったとか?」
「それがっさい、灰で縄ば3丈(約9b)なえち」
「灰で縄ばなえちな、恐ろしかこつば言う殿さんもあったもんじゃ」
 さすがの母親も、弱いものいじめをする隣の国の殿さんが憎くなった。
 その頃、お城では、殿さんと重役たちがはげ頭を寄せ合って知恵を搾っていた。だがなかなか良い考えは出てこない。そこで殿さんは、国中にお触れを出すことに。

「お触れとは?」
 母親が、身を乗り出した。
「灰で縄をなうことができたもんには思い通りの褒美ばくるるげな」

灰で縄をなう秘術

 弥助は、母親の命を救うために、殿さんのお触れを実行したくなった。藁を焼いて灰を作り、それを濡らして縄のように編んでみる。灰の水分が乾くと、ボロボロになって、指の隙間からこぼれ落ちた。その様子を眺めていた母親が、つい笑い出した。
「馬鹿じゃのう、灰になったもんばなえるもんか。よかか、弥助。灰で縄ばなおうち思うけん難しかつたい。まず、縄ばきつくない、ひと晩塩水につけときない。明日の朝になって、そいば焼いて灰にすればよか」
「へえ?」
 弥助は、半信半疑ながら、母親の言うとおりに実行してみた。すると、見事に「灰の縄」が出来上がった。
「おっかさんちは頭がよかね」
 弥助が感心すると母親が怒った。写真は、山中から眺める筑後平野
「感心しとる場合か。わしとてだてに歳はとっとらん。よかか、お前もこれからいろんなことを覚えておけ。それが、いつか身を助けるとたい」

長く生きた分知恵を持つ

 弥助は、出来上がった3丈の灰の縄を三方(神仏・貴人に供え物を捧げ、また儀式の時に物を載せる白木の台)に載せてお城に持参した。品定めをした殿さんが喜ぶこと。
「見事なものじゃ。お触れのとおり、望みの褒美をとらすぞ。遠慮せず、何なりと申すがよかろう」
「ありがたき幸せでございます」
「そこで、一つだけ質すが、どうしてこんなに難しい謎が解けたのか?」
「はい、何を隠しましょう。うちの年寄りが考えたものでございます。褒美には、どうか哀れな母の命をお助けください」
「命を助けろとは、ただ事ではないが?」
「はい、私の村の掟で、還暦を迎えた年よりは、山に捨てることになっとります。その年寄りが、灰の縄を考えたのです。若い者にはできんことですけん」
 弥助は、涙ながらに訴えた。
「年寄りは、生きてきたその分だけ知恵も豊富じゃ。国中にはびこる間違った掟を洗い出し、すぐにやめさせるのじゃ」
 と、感服した殿さんが家老に言いつけた。弥助の母親も晴れて床下の穴倉から出てこれたというわけ。(完)

 我が身を振り返ると、遥かむかしに還暦の峠を越えている。弥助の時代であったなら、どこかの山で生きたまま仏さんになっていただろうに。
 最近の国の偉い人は、「働けなくなったら、早くあの世に行きなさい」と言わぬばかりに、医療費を値上げし、年金を削りまくる。なけなしの貯金には利息はつかず、スポンサーの銀行だけをお助けなさる。貧乏人ほど負担の大きな消費税をまたまた上げようと企まれる。あれもこれも、国民が賛成もしないイラク戦争に膨大な金を使い、乗車率30%の新幹線に何兆円もの金を使うために。
 こんな悪い政治家こそ、生きたまま山に行かれたらよかろうに。

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