津江んやまんもんばなし
大分県中津江村
中津江村の筑後川源流
筑後川を遡っていき、松原ダムと下筌ダムを過ぎるとすぐ中津江村に着く。昔は隣の上津江村と合わせて「奥津江」と言っていたそうだ。何せ、どちらを向いても山ばかり。その中にポツン、ポツンと集落が見えるだけ。今でこそ、日田や福岡の町に出るのも簡単だが、江戸時代は大変だった。そこで、この地方独特の笑い話も誕生する。
生まれて初めて日田に出た
お母さん(おっかさん)が山でとれた山芋やワラビ・ゼンマイを売りに、10歳の息子の次郎を連れて日田の街へ。三隈川のほとりに出て、息子が目を丸くした。
「母ちゃん、すごかね。川ちや鯛生のとこば流れとるとち思うとったが、これも川ね?」
「そうたい、これが三隈川ちいうと。覚えとかんね」
「広かねえ。向こうん岸の人ん顔が見えん。それで母ちゃん」
鯛生川
「何?」
「海ちゃ、もっと広かつよね。どんくらいじゃか」
親のプライドにかけても、未だ海を見たことがないとは言えないお母さん。
「馬鹿んごたるこつば言わんと。海は、こん三隈川の10倍もあるとたい」
初めてのそうめん
お母さんが、豆田の賑やかなところで声をからして客を呼んでいる。
「こん山芋は、三日かけてやっと掘り出したと。ワラビとゼンマイは天狗しか通らん山ん中にしか生えとらん。こん山芋とワラビとゼンマイば食うと、10年は長生きしますけん、買うてください」
「ほんとにそうかいな。だれがそげなこつば言うたな」
意地悪そうな爺さまが寄ってきてお母さんをからかった。
「疑うなら、いっぺん奥津江まで来て見なさらんですか。学者も大臣も、みんなそげん思うとるですよ」
「そんなら行ってみよう」とはならないほどに、奥津江は遠いのである。
雛祭りで賑わう豆田(2006年3月撮影)
お昼になって、茶店に入って昼ごはんを食べた母子。出されたそうめんがことのほかお気に入り。そこで商売が終って別の店に寄り、「婆ちゃんへのみやげにするけん、えーと、えーと、白うて、柔らかうて、細長いもんばくれない」と注文した。
「あいよ」と渡されたものを大事に持って、津江の家に帰ってきた。
「こげんうまかもんな、生まれて初めて」と説明しながら、お母さんが婆ちゃんに食べさせた。
「へ〜、そうめんちいう食べ物は、堅くて噛めんもんばいね」と、婆ちゃんが首を傾げた。
実はお母さん、そうめんを買うのに髪結いさんの店に入り、「元結」を買ってしまったのである。食えないはずだ。
今度は特産品売りに
お母さんと次郎は、また日田の街に商売に行った。今度の売り物は、奥津江特産の酢と栗と柿と茶。
「次郎、こいが売れんとお金が入らんけんね、帰りの婆ちゃんへのみやげも買わにゃならんし。お前もしっかり手伝わにゃいかんよ」
お母さんは、次郎にこんこんと言って聞かせて、いざ出陣。
「奥津江名物、スックリカキちゃーはいらんか〜」
次郎もお母さんの真似をして、「奥津江名物、スックリカキちゃー」
道ゆく人はみんな不思議な顔をして通り過ぎていく。
「おかしかね、こげんうまかもんがいっちょん売れん。日田のもんな目と舌がなかつばいね」
お母さんがブツブツ言いながら道端に座り込んで考えた。
「ほー、うまそうな柿じゃな」
豆田のお爺さんがお母さんの売り物籠を覗き込んだ。
「あんんたくさ、そげん、しなもん(品物)ばいっしょたくりに続けて言うても、人にわかるもんか」
お爺さんは、酢はスで別々に、栗はクリで別々に、柿はカキで別々に、茶はチャで別々に言うて売ることを勧めた。感激したお母さん、
「スはスでベーツベツ、クリはクリでベーツベツ、カキはカキでベーツベツ、チャはチャでベーツ、いらんかいね」
それでも、まったく売れない。
「日田のもんは、日本語がわからんとじゃろない」とは、お母さんの弁。
中津江地方の皆さん、この話しを読んで「うちの村ば馬鹿にするな」と怒らないで欲しい。れっきとした、御町の先生から聞いた話だから。まだまだ続く「津江んやまんもん」は、このあたりで遠慮しておきます。こんどは、鯛生金山の「カメルーン弁当」を楽しみにしています。(完)
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