孝行息子へのご褒美は?
熊本県小国町
小国町の往還
江戸のむかし、幕府が「親孝行」を大いに奨励したことがある。その為に、孝行息子(何故か娘は出てこない)には、特別な褒章がなされ、地元でも石碑などを建てて誇りにした。第126話に登場した「孝子弥四郎」もその1人だが、今回は筑後川源流域の小国地方のお方が主人公だ。
足の悪い父を背負って殿さんに最敬礼
細川の殿さんは、米の出来具合や領民の暮らし向きなどを視察するため、時々駕籠に乗って領地内を見回られる。この日は、小国郷においでになった。
殿さんの行列が近づくと、どんなに仕事中であっても、肥後には関係のない旅人でも、道端に下がって平伏しなければならない。正太が足の不自由な父親を背負って万願寺の温泉に連れて行くところに行列がやってきた。地べたに座るために父親を背中から降ろすわけにもいかず、窮屈だが背負ったまま頭を下げた。
いよいよ、殿さんの駕籠が目の前にさしかかったとき、急に行列が立ち止まり、家来衆が慌てて草履を運んできた。
「お前の頭の下げ方が悪いから、お咎めがあるかもしれんぞ」
背中の父親が正太の耳元で脅かした。
「ばってん、この格好じゃどうしようもなか」
正太は、それでもお咎めがあるなら仕方がないと思い、打ち首をも覚悟した。
お城で褒美をどっさり
駕籠から降りてきた殿さん、つかつかと正太父子の前に来て立ち止まった。
「そこな百姓、頭を上げえ」
殿さんが正太に言いつけると、恐る恐る顔を上げた。
「ははあ、悪気があってのことじゃございません。背中のお父つあんが一人では立てないもんで、こんな格好をして殿さんにご挨拶いたした次第で・・・」
「何をそんなに震えておる。余は、そちを叱ろうとしているのではない。足の不自由な親を背負ったままで、頭を下げようとするそちの孝行ぶりに感動したのじゃ。あとで、家来に申し渡しておくほどに、褒美を受け取るよう」
小国の宮原あたり
と言って、駕籠に乗り込まれた。
行列が去ってしばらくして、偉そうな家来が後戻りしてきた。
「殿からの言いつけじゃ。近日中に熊本のお城に上がるよう」
とのこと。
3日後に正太が熊本のお城に上がると、りっぱな部屋に通され、先日の偉そうな家来が出てきて、細川の殿さんからのご褒美をくだされた。着物や日用品がどっさりと、何やら記した紙切れが。
「申し訳ありまっせんが、私は字が読めまっせんので」
すると、家来が紙切れを広げて読み上げた。
「俺も殿さんに褒めてもらおう」
「正太の親孝行ぶりは、肥後藩みんなの手本である。よって、褒美の品に加え、これから先、田畑は免祖、作り取り永久に許す」ということだった。要するに、自分で作った米は自分でどうしてもよい。年貢は納めなくてよい、と言うこと。
この話を知った村のもの、羨ましがるやら妬むやらと大騒動。中でも評判の欲張り年兵衛が「俺も・・・」と言い出した。正太と同じように足の悪い親をと思ったが、生憎く両親ともぴんぴんして、簡単に断られた。そこで考え付いた代役が自分の嫁さん。「いっぱい褒美を貰って、年貢を納めなくてよければ、これから先お前は長者の嬶(かかあ)でおられるぞ」とかなんとか言って、その気にさせた。
殿さんが杖立の方からの帰り道、正太が座ったと同じ場所で、嫁さんを背負った年兵衛が控えた。ところが殿さんの駕籠は、年兵衛に一顧だにせず通り過ぎてしまった。
「もしもしお侍さん」
年兵衛が、殿さんを警護する家来に声をかけた。
「私はこんなにまで嬶をむぞがっとります(かわいがっている)。それなのに、何のお褒めの言葉もなかつでしょか。どうぞ殿さんに取り次いでください」
その時、駕籠の戸が開いて殿さんが顔を出された。
「おお、おう、そちの嬶孝行には真に感心した。よって、今後は子供の作り取りを永久に許す」
「ははあ、ありがたきお褒めの言葉・・・」とお礼を言って、殿さんの行列を見送った。
「俺の言ったとおりに、殿さんから褒められたろうが」
年兵衛が胸をそらせて、嫁さんに言ってのけた。
「何ば馬鹿なこつば言よるとね。殿さんはあんたば一度も褒めとりはなさらん。お前たち夫婦はほんに仲がよかけん、うんと子供ば作れちたい。作った子供は自分の子にしてよかちゅうこと。8人も食い盛りがおって、これ以上子供ば作ったら、一家心中たい」(完)
春まだ浅い2月11日に小国町を訪ねた。正太が父を背負ったまま跪いた場所を、阿蘇の大観峰に通じる国道212号と想定してカメラを向けた。でも、ファインダーいっぱいにお店や民家が詰め込まれて、江戸の時代を偲ぶことはできない。
為政者が決めた「親孝行奨励」を、こんな風に茶化す小国人の心意気を見たような気がする。
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