伝説紀行 凹どん淵  うきは市(浮羽)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第121話 03年08月24日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

ミスタープライド、凹どん
福岡県うきは市(浮羽)



凹どん原あたりの旧昭和橋

暴れまわる困った次郎

 
 浮羽町役場から筑後川温泉を経由して、大分自動車道路の杷木インターに行く途中の筑後川に、昭和橋が架かっている。江戸時代の初期、このあたりは淋しいところだった。もちろん今のような立派な橋が架かっているわけでもないし、民家もまばら。九州一の河川・筑紫次郎は、梅雨時になると狂ったように暴れまくる。
 いくら土嚢(どのう)を積み上げても、あっさり押し流してしまう。困った農民は毎晩のように村寄り(寄り合い)をして対策を考えたが、相手がでかすぎてよい知恵など浮かばない。
「凹(へこ)どん、おまえの頭でもよか知恵は出てこんか?」
 古川村の頓田(とんだ)爺さんは、いつも知恵自慢ばかりしている凹どんに頭(かしら)を向けた。
「そんならひと晩、考えさせてくれんの」
 そこはプライド強度が異常に高い凹どん、「参りました」とは口が裂けても言わないのだ。

慌てもんが神さまのところに

 翌晩の村寄りで、頓田爺さんがやたらと凹どんをけしかけた。するとミスタープライドがしぶしぶ。
「夕べさい、枕元に白か髭ば生やした水神さんが立たれてさい、おり(俺)に言わっしゃたつばい」
 凹どんは、思いつきで語り始めた。
「何ち言わしゃったつの、神さんは?」
「暴れ川には慌てもんが役立つち」
「どげなこつな、慌てもんが役立つちや?」
 凹どんは、そこでゆっくり番茶をすすって一同を見回した。
「それはっさい、慌てもんはあっちこっちウロウロするじゃろうが。そげなもんは、神さまのもとに行って世話役ばするとが一番似合とるげな、ちゅうこつたい」
「????」
「わからんじゃろね、おめえどんがごたる悪か頭じゃ。要するに、村で一番の慌てもんが、大水をせき止めるために積み上げる泥の下敷きになれちゅうこつたい。そげん、水神さまは言わしゃったと」

貧乏くじは言いだしっぺに

 そこまではわかった。ところで、水神さまのお世話役になるのは誰にするかが問題だ。村寄りでの話は行ったり来たり。またまた”知恵者”凹どんにご託宣を仰ぐことになった。
「水神さまは、それも言わっしゃったろうもん」
 村寄りに集まった者が口々に叫んで凹どんの答えを待った。
「慌てもんの常習犯がいつも間違えることがあるげなたいね。それは、下着ば裏返しに着るとげな」
「・・・・・・・」
 凹どんに言われて、集まった村の衆がみんな顔を見合わせ、自分の着ているものを見直した。だが、「おり(俺)が・・・」と名乗り出るものはいない。
「あっ!」
 いつもはおとなしくて、凹どんに馬鹿にされどおしの卯蝋田衛門(うろたえもん)が、思わず叫んで両の手のひらで手前の口を押さえた。
「ねえごつな、卯蝋田衛門しゃん」
 頓田爺さんがわけを訊いた。最初はもじもじしていた卯蝋田衛門が、決心したような仕草で重い口を開いた。


写真は、筑後川温泉

「あのー、襦袢ば裏返しに着ているものが1人だけおっとですよ、ここに」
「誰の、そりゃ?」
「凹どんたい」

凹どん原の由来

 口からでまかせの凹どん。まさか自分が貧乏くじを引く羽目になるとは夢にも思わなかったから、慌てたこと。
「凹どん、すまんな、村のためとはいえ、おまえにだけに犠牲ば押し付けて」
「そんなー」
 泣き出しそうな凹どんの肩を叩いて頓田爺さん。
「おまえのごたる知恵もんを死なせるのはいかにも村の損失たい。ばってん、これも水神さまがそうしろとおっしゃったつじゃろ、凹どん?」
 ここまできてミスタープライド、「あれはみんな口から出まかせ」とも言えず、うなずいてしまった。
 しばらくして、村人に惜しまれながら、凹どんは生きたまま土嚢に詰め込まれた。それからというもの、どんなに大雨が降っても堤防が崩れることはなくなったそうな。
 そこで頓田の爺さんの提唱で、このあたりに祠を建てて、地名も「凹どん原(へこどんばる)」と呼ぶようになった、とさ。(完)

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