伝説紀行 飛形観音  立花町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第118話 03年08月03日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

飛んでいった観音さま

飛形観音由来

福岡県立花町


飛形観音像

珍しい香りの双葉が

 おおよそ1100年前、菅原道真公が筑紫に流される15年ほど以前のことである。大宰府に藤原高房という領主がいた。高房は大変信心深い人で、近くの観音さまへのお参りを欠かしたことがなかった。
 ある日広い庭園の片隅に、これまでに見たことのない植物の双葉が出ていることに気がついた。高房は、珍しさでそのまま抜かずにいると、木は1年もたたないうちに己の背の高さまで伸びた。鼻を近づけると、どこかお香の匂いがする。
「仏さまが私に何かおっしゃりたいのでは?」
 高房は、その樹に朝夕水をかけ大事に育てた。年月は流れて30年。庭の樹は大木に成長した。
「もしや、仏は私にこの樹で仏を彫れとの言いつけたのかもしれない」
 ますます香りを増す幹に寄り添いながら、気持ちは仏像の製作に走りだして止まらなかった。

仏師を探して遥か都へ

「これは南国で育つ白檀(びゃくだん)という樹じゃ。このように有り難い樹木で仏さまを刻むとなれば、そこらの仏師(ぶっし)に任せるわけにはいくまい」
 観世音寺の和尚が高房を諭した。そう言われても、どこの国に相応(ふさわ)しい仏師が住んでいるものやら皆目見当がつかない。
「都においでなされ。そこには多くの寺があり、有り難い仏さまがたくさん安置されておる。きっと、この樹木に相応(ふさわ)しいお方に巡り会えるはずじゃ」
 和尚に言われて高房は京に向け旅たった。足を棒にして都中の寺を巡り仏を彫る人を尋ねたが、遥か九州まで出かけてくれるお方には、なかなかめぐり合えなかった。明日は九州に戻らなければならないという日、高房は疲れ果てて鴨川のほとりに座り込んだ。写真:四条あたりの鴨川
「もし、なにかお困りのようだが?」
 背中から声をかけられて振り向くと、背丈が高く、色は浅黒くてどこか大和人離れした顔つきの美青年が立っていた。高房は、白檀(びゃくだん)の樹で仏を彫りたいが仏師に会えないいきさつを詳しく話した。

魂が入って初めて仏さま

「私のようなものでよかったら…」
 青年は、人懐っこい笑顔で仏像を彫ることを引き受けてくれた。高房は高ぶる気持ちを押さえながら大宰府に戻ってきた。
「これより観音像を彫るに際して申し上げておかなければなりません。仏像はその形をなせばそれでよしというものではありません。ましてや、この白檀(びゃくだん)の樹は遠い南国から仏の遣いとして風に乗り、我が大和まで飛んできたものです。鑿(のみ)の一打ち一打ちに気持ちを込めて彫らなければなりません。よろしいですか、私は観音像を90日間で彫って魂を入れますゆえ、その間いかなることがあっても、絶対に作業場を覗いてはなりませんぞ。もちろん、食事は水だけ表においてくださればけっこう」
「ははあ、承知申し上げました」
 高房は、青年の体中から発散するあまりの神々しさに恐れ入り、頭を床にこすりつけた。青年は、それ以後言葉を発することなく、高房が用意した暗い作業場に入っていった。

白檀が仏さまに

 作業場の様子が気になりながらも高房は、青年の言いつけを守り中を覗くことはしなかった。毎日作業場の入り口にお椀いっぱいの水を置くことだけが仕事であったが、翌日には中の水は空になっていた。
 そして90日がたった。だが、青年は作業場から出てこなかった。表から耳を澄ましても物音一つ聞こえない。翌日高房が思い切って表戸を開け、正面の台座を見て思わず目をつぶった。そこには、金箔に彩られたまばゆいばかりの光を放って観音像が立っておられた。四方を見渡したが青年の姿はどこにもない。改めて観音像を眺めると、そのお顔は91日前に見た青年と瓜二つであった。
「きっと、あの仏師の青年がこの仏さまなのじゃよ」写真は、飛形山遠景
 観世音寺の和尚が自信ありげに解説した。こうして、庭の白檀の樹は有り難い観音像に生まれ変わったのである。

真夜中に仏が飛んでいく

 高房はこれまで以上に信心深くなり、仏間に安置した観音像を朝昼晩時間をかけて拝んだ。それでも足りないと思い、夜中に起きだして拝むようにもなった。10日もたった頃だった。その夜も起きだして仏間に入った高房が、悪い夢でも見ているのかと疑いたくなるような事件に遭遇した。中央におられるはずの観音さまがいなくなったのだ。「さては、泥棒」と騒ぎかけたが、そんなはずはないと自らを戒めた。屋敷の周囲は十重二十重に家人たちが見張っている。高房は、とりあえずその夜は様子を見ることにした。
 そして翌朝、高房が仏間に赴くと、仏さまはいつものように台座の上でにこやかなお顔を見せておられる。そんなことが何日も続くと、さすがに高房も放っておけなくなった。そこで家人数人に寝ずの番をさせ、夜中に仏が移動されたら跡をつけるよう言いつけた。
 翌朝、家人が高房の元に駆け込んできた。
「昨夜、観音さまは10里南の山の頂においでになりました。お着きになると、しばし南の方角を見ておられ、夜明けが近づくとまた空を駆けてお戻りになりました」

仏さまもふるさとが懐かしい

 家人の報告を受けた高房は、観世音寺の和尚を呼んでくるよう命令した。
「観音さまのお声を訊いて進ぜよう」
 和尚が正面の仏像に向かい経を唱えたあと、相当時間沈黙が続いた。
「聞こえましたぞ、観音さまのお話が」
 和尚が話すには・・・。
「白檀の樹で彫られた観音さまは、人々に慈悲をお授けになりながらも、このように狭い仏間での一人暮らしに退屈されておられる。夜な夜な生まれ故郷(インドネシヤ)に想いを馳せ、南国が望める山頂を探しておられたのじゃ」写真は観音堂
 そうであったのか。私の庭で芽生えた白檀の樹で拵えた仏像だから、自分の仏間に安置することに何の疑問も持たなかった。有り難い仏であればある程、独り占めをしてはならないのだ。ましてや、仏の気持ちも察せずに善行を施したように思い上がった我が身が恥ずかしい」
 和尚の話を聞いて、高房は赤面した。そこで、家人が目撃した矢部川の南に聳える山の頂にお堂を建ててお祭りすることになった。
 後に、村人は祭られた観音さまが、遠い大宰府から飛んでこられたことから「飛形観音」(とびかたかんのん)と呼び、山の名前を「飛形山」(とびかたやま)とつけたのだという。(完)

 梅雨の合間を縫って飛形山(標高約300b)に登った。頂上付近は人々が安らぐ公園になっている。展望台からは360度見渡せて、眼下に矢部川や八女の市街がよく見える。
 山頂付近にはいくつもの寺や地蔵が立ち並び、山全体に霊気が漂っていた。その奥のまた奥に飛形観音像が安置されるお堂が建っていた。特別に扉を開けてもらって驚いた。「物語」は白檀の神木で彫られた観音像でなければならない。それがなんと、硬い自然石を彫った像だった。これではお話しが成立しないなと観念しかけた。
 ところが、仏さまのお顔をよくみると、「何を悩んでおる。1000年以上も時がたてば、いろいろなことがあるさ。そなたらの考えるもっと先にある事情など、必要ないではないか」と話しかけられている。わかりました。素直に伝説紀行の仲間にお加えいたします。
 さて、物語に登場する白檀
(びゃくだん)についてだが、広辞苑には「栴檀(せんだん)と同じ。高さ6b余り。葉は対生し卵型、黄緑色。雌雄異株。花は初め淡黄色、後に赤色。材は帯黄白色で香気が強い。インドネシヤの産で、古くからわが国へも渡来、薫物(たきもの)とし、また、仏像・器具などに作る。皮も香料・薬料に供する。「栴檀は双葉より芳(かんば)し」の栴檀は、この白檀のこと」と書いてある。筑紫次郎の世界では、「仏像が空を飛ぶなんておかしいよ」なんて馬鹿なことは言いっこなしです。念のため。

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