伝説紀行 カッパの伝授  立花町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第116話 2003年07月20日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

雷さん怖い!
カッパの伝授三か条
福岡県立花町


カッパの天国だった辺春川 2013年4月15日撮影

 八女市街を抜けて矢部川を越えると、立花町(現八女市)に出る。面積の大部分が筑肥山地の斜面からなり、筍やみかんの産地として有名だ。町の中央部に聳える250bの飛形山(とびかたやま)から見下ろす辺春川(へばるがわ)には、むかしからカッパの一族が君臨していた。彼らは、人間の目が届かないところで農業を助けたり、子供の安全を守ってくれたりしたものだ。だが、カッパという生き物は、なかなか人間に信用されない宿命を担っている。畑の作物を盗んだり、子供や馬の足を引っ張って川底に沈めたりとろくな噂は聞かない。

悪戯のつもりが馬に蹴上げれ

 ある夏の日、高輔は昼飯の時間になったので、愛馬のトビを辺春川(へばるがわ)岸に繋いで家に帰った。その隙に、トビに悪戯しようと子供カッパの治五郎が近づいてきた。
「どーどー」とかなんとか、人間の真似をして馬に話しかけ、結んである手綱を解き、川岸に連れて行った。水を怖がる馬の叫びが面白くて、一度やってみたかった悪戯である。
 ところがところが、トビの奴、カッパより数段知恵が働いた。騙されたふりをしてカッパに連れて行かれ、水際まで来ると大きく前足を上げて立ち上がったのだ。驚いたカッパの治五郎が手綱を放したところを、トビの後ろ足に蹴り上げられた。治五郎は宙をさまよった挙句に地べたに叩きつけられることに。
「ギャーッ」
 聞きなれない生き物の叫び声に、高輔がすっ飛んできた。その時トビは何事もなかったように、畦の青草を食んでいる。その脇で変な生き物・カッパの治五郎が十の字になって伸びていた。

カッパ3000匹の頭領が

「見世物小屋にでも売り飛ばそうか」
 高輔と女房が次の算段を話しているときだった。「もーし」と声をかけて、柱に括られている変な生き物を一回り大きくしたのがやってきた。治五郎の父親の治助であった。
「お前も息子といっしょに縛られたいのか。いっしょに売り飛ばされたいのか」
 高輔が変な生き物の親を威嚇した。
「そうじゃなかとです。息子は悪さは好きなばってん、本気でお宅のお馬さまを水の中に引きずり込もうと思うたわけではなかとですよ」
「だれがそげなこつば信用するもんか」
 高輔も、ひるんではおられないと、立てかけてあった鍬を振りかざして構えた。
「おどん(私)は、矢部川一帯の川を取り仕切っとるカッパの治助ちゅうもんですたい。川の魚を人間が捕りすぎらんごつ見張ったり、一方にだけ水が流れて田んぼの稲が弱らんごつ、流れを按配したりしよっとです。おどんの子分はおおよそ3000匹おりますばってん、みーんなおどんが言うこつば聞かんもんはおらんとです。ですばってん、こん治五郎だけは、まだまだ聞き分けがのうて、ついお宅のお馬さまに悪さばしよりましたと。どうか許してくれんの」
 なるほど、治助の言うことは理にかなっている。
「ばってん、ちょっとは落とし前ば貰わんと・・・」

川が逆さに流れても

「わかっちょります。じゃけん、おどんが今から言うこつばよう聞いてくれんの。何よりの落とし前ち思いますけん」
 いつの間にか、高輔の女房の膝には長男の尚太郎が乗っかって、父ちゃんとカッパの会話を楽しそうに聞いている。
「よかですか、おどんが川に戻ったら、3000匹の子分どもに言いつけて、人間の子供が溺れ死なんごつ助けろち言いますけん」
「ほんなこつ(本当)じゃろね?」
「おどんなすらごつ(嘘)は言いまっせん。例え辺春(へばる)の川が逆さまに流れるこつがあったっちゃ、そこんにき(その付近)の雑竹が孟宗に化けたっちゃ、岩仏さんの石の心が腐るようなこつになったっちゃ、村の人にだけには悪さはしまっせんけん」写真は、辺春川
「たったそりだけか、お前の落とし前は」
 治助は、8歳か9歳になって悪さ盛りの高輔の子供にも聞くように念を押した。
「よかね、坊っちゃん。これから川で水遊び(泳ぎ)ばするときは、西の方から聞こゆる太鼓の音ば聞き漏らさんごつ。太鼓が鳴りだしたら、すぐヘコ(パンツ)ば履いて、走って家に帰らにゃばい。川で泳ぐ前には、耳ばそーっと水につけてみるたい。そうすると、水の中でどげな悪か奴が坊っちゃんば狙うとるかようわかるけん。それから、どげん暑かったっちゃ、いきなり水に飛び込んじゃいかんばい。いきなり飛び込まれると、おどんの子分やカッパの子供どんがびっくりして、足ば引っ張ったりしますけん

泳ぐ前には必ず準備運動を

「それでは、どちらさんもまた会う日までさようなら」
 治助は息子の治五郎の手を引いて、辺春川の方に去っていった。カッパとは変な生き物ではなくて、人間以上に律儀な動物なのである。それからというもの、辺春の村で子供が溺れ死んだり、馬が川底に倒れこんだりした話しなど聞いたことがない。
 賢明な読者ならもうおわかりであろう。治助が言い残した三つの伝授のわけを。
 その一つ。西のほうで鳴る「太鼓」とは、「ゴロゴロ」となる雷さんのこと。落雷に遭えば、人間なんていちころです。高い木の下や野っ原など周囲ががらんとしている場所では、雷さんの餌食になりやすい。避雷針のある建物や家の中が安全なのです。
 その二つ。泳ぐ前にそっと耳を水につけるのは、水泳中に耳に水が入ると中耳炎など病気になるからです。唾栓(つばせん)をしたり、そっと水に耳をつけた後泳げば比較的安全です。
 その三つ目。いきなり水に飛び込むと心臓麻痺など起こしやすいのです。準備体操を十分にして、体を冷たい水でぬらしたあとに泳ぐと、皮膚が驚かないので、心臓が守られます。
カッパは人間に、無用な事故に遭わないための教えまでやってくれるありがたい妖怪なのです。(完)

 さあ、いよいよ夏休み。どちらさんも、水の事故にだけは注意しましょう。

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