大蛇の仕返し
大分県日田市大山町
田来原付近の集落
「明日は野焼き」と生き物に知らせ
大山川(筑後川の別名)を挟むようにして広がる大山町は、その昔万万金村と呼んでいた。大山川と合流する赤石川から見上げる田来原は、そのむかし、檪が生い茂る入り会いの山だったそうな。
10年前までは、春が近づくと村人総出で田来原の檪に火をつけて黒焦げにさせるのが慣わしだった。野焼きというより山焼きである。檪の旧葉を焼くことで、新芽に勢いをつけ、害虫を駆除するための大事な仕事なのだ。
万万金村の人たちは大変心優しい人が多くて、野焼きのときに狸や狐が被害に遭わないよう気をつかった。
「おーい、明日は野焼きぞ。今のうちに安全な場所に逃げろ」
村では、当番を決めて、翌日の野焼きを生き物たちに知らせて回る。その年の当番には与兵衛があたり、朝早くから山を駆け巡って大声を張り上げた。日も暮れて、一日の疲れをとるために熱燗をしたたか飲んだ。
田来原山中のシイタケ栽培風景
「もーし、与兵衛さん」
表で呼ぶ声がして出てみると、赤ん坊を背負い、未だ三つか四つの子供の手を引いた女が立っていた。
「ねえごつ(何事)じゃろか。こげな夜更けに・・・」
「はい、あした野焼きち聞いちょりましたもんで、折り入ってお願いがあるとです」
女は切羽詰ったような声で与兵衛に頭を下げた。
「私は万万金の一軒家に住んどりますが、家には高い熱を出して寝ている子がおるとです。今動かしたら命が危なかちお医者さんに言われとるもんじゃけん、野焼きば2、3日延ばしてもらえんでっしょうか」
女は、今にも泣き出しそうな声で与兵衛に哀願した。
「わかった、そげなわけなら野焼きば日延べするたい。今から村長に言うてくるけん」
「ありがとうございます。ありがとうございます。近いうちに必ず別の場所に移っておきますけん」
女は振り返り、振り返り、与兵衛にお礼を言った。
蛇の母子の焼死体が
与兵衛はというと、「万万金のもんはみんな優しかけん・・・」とか、独り言をつぶやきながら、ついつい1本が2本、2本が3本とお銚子の数が増え、1升徳利が空になる頃には布団も敷かずに寝込んでしまった。
そして朝がやってきた。前の晩の酒のせいで少し頭の芯が痛い。でも今日は晴れて野焼きの当番を勤める日なのだ。火除けの法被を着ると颯爽と田来原に向かった。そうなのです。与兵衛の奴、夕べ訪ねてきた子連れの女のことも、頼まれごともすっかり忘却の彼方に消え去ってしまっていたのだった。
午前9時丁度、村長が打ち鳴らすどらの音を合図に、山のてっぺんからクヌギの立ち木に火がつけられ、山中が焦げていく。炎は、立ち木の枯葉だけを焼いて次のクヌギに移り、やがて200町歩の山が黒焦げになった。
「おーい、ちょっと来い」
火が消えて、庄屋さんに呼ばれた当番の与兵衛が足元を見た。そこには長さが2bもありそうな蛇が3匹の子蛇を包み込むようにして死んでいた。
「おまえは、きのう動物たちにちゃんとお触れば出したじゃろね? 1匹も焼け死にせんごつ」
「はーい、きのうは朝から日が暮るまで山の隅々まで触れて回りました」
「そうか、かわいそうにな。この蛇の母子は、与兵衛の声が聞こえんじゃったつばいね。なんまんだ、なんまんだ」
夕べのことを思い出したが既に遅し
村長がお経を唱えたあと、皆は集会所に場所を移して打ち上げということになった。
「さあ、そろそろ畑ば耕さじゃくて。そのうちに檪も新芽ば出すじゃろけん」
無事野焼きも済んで、村の衆の酒もすすんだ。その時、「あっ!」と、与兵衛が叫んだ。
「実は・・・」
与兵衛が昨夜訪ねてきた母子のことを思い出したのだ。
「お願いじゃけん、ここだけの話しにしちくれ」
田来原の山林
与兵衛が仲良しの松太郎に手を合わせた。
「そろそろ、お開きにするばい」
村長の一声で、集まった者みんなが立ち上がった。だが、昨夜の女のことを思い出した与兵衛だけは座り込んだまま、茶碗酒をぐい飲みしていて取り残された。
その時、「グワーン」と地鳴りがして、裏山が崩れ、土砂が集会場の中まで雪崩込んできた。かわいそうに、与兵衛は土砂の下敷きになってあえなくお陀仏。
不思議だったのは、あんなに大規模な土砂崩れだったのに、被害は与兵衛が座っていた集会場だけで、隣の家もその隣も、石ころ一つ飛んでこなかった。
「土砂崩れで、一人が死亡」なんて瓦版が出たかどうかは確かめていないが、松太郎から話を聞いた村長さんの表情は複雑だった。
「与兵衛に野焼きの延期ば頼んだつは、おそらく焼け死んだ母蛇の仮の姿じゃったろう。かわいそうに、与兵衛は大蛇との約束ば破って仕返しを食らったつたい」
むかしの万万金村は、山中檪の森だった。檪は生長すると、シイタケ栽培の際の原木に使われる。村人は、檪を丈夫な木に育てるため、危険を押して野焼き(山焼き)をした。赤石川の北側に裾野を広げる田来原に入った。檪ばかりの山を想像していたが、大部分は杉と桧に代わっている。でも、シイタケ栽培は盛んに行われていて、大蛇の仕返しの光景を連想するのに不都合はなかった。(完)
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