カッパ情話
福岡県柳川市
武家屋敷街をぬう掘割
本伝説紀行としては大変珍しく、明治の初めに柳川市で起こったお色気と少しおどろおどろのお話とまいります。
柳川といえばご存知のとおり、町中に張り巡らされている掘割りが有名だ。北側の沖ノ端川と南側の矢部川から取り入れた水で堀を築き、それがお城を守る重要な役目を果たしてきた。
明治維新後、柳川のお城は焼け落ちたが、堀だけはむかしのままの姿で残っている。市民はこの掘割りを炊事や洗濯など家事全般に活用し、道路代わりとしても重宝してきた。それがどうだ、最近では「どんこ舟」なる観光船が堀を埋め尽くし、主婦たちは平気で生活廃水を垂れ流している。役所も手のうちようがないのか、たまにどんこ舟に乗ると臭くてしようがない。そんなことも最近のことらしく、北原白秋が生きた時代の柳川は堀ととも人が住み、素朴なものだっららしい。
独り身を琴の音に紛らわせて
掘割りに沿って本城町あたりには、今でも武家屋敷跡がはっきり見て取れる。維新後商売や役人に転進できたものはよい方で、気の利かない武士上がりは、少しばかりの財産も食いつぶして、広い屋敷もぺんぺん草が伸び放題。柳やケヤキなど手入れする人もなく、それは淋しい屋敷街になった。
そんな破れ家に、里子さんという30歳半ばの後家さんが一人で住んでいたんだって。江戸時代、里子さんの旦那は中級武士といわれる身分で、彼女もきれいな着物を着て、琴や鼓などをこなすよい身分の奥様だった。
維新後、旦那は身を持ち崩して酒びたり。あっという間にあの世へおさらばしてしまった。里子さんはけなげにも再婚話を断り続け、身につけていた琴を近所の娘さんに教えながら細々と暮らしていた。
だが、女盛りの里子さん。夜になって、堀から聞こえる「ガボッ、ガボッ」という蛙の鳴き声が恨めしくて仕方がない。庭に蛍が舞っても、夜這いの男が現れるのではないかと胸をときめかす。
「お里さん、いいだろう、減るもんじゃあるまいし」
ある夜、魚屋の義三が言い寄ったことがある。途端に里子さんの右手が飛んで、義三を仰向けにさせてしまった。武家の内儀は、身を守る鍛錬だけは重ねていたものだ。また、魚屋ごとき身分の低い男のいいままにはならないというプライドが、普段以上の馬鹿力を発揮させたのかもしれない。その後、魚屋の義三は出入り禁止になって姿を見せなくなった。
淫らなところを覗き見された
秋になって、庭の雑草の中はやかましいほどに虫がなく。旦那が死んで3年が経った。昼間は我慢できても、夜が更けると乳房が張り、乳首がむず痒くてこらえきれない。着物の裾からはみ出た両の太ももの青筋も、怒ったように飛び出している。里子さんはそんな時、床の間に立てかけている琴を持ち出して奏でながら気を紛らすことにしている。鬱蒼と繁る木立の中の一軒家である。隣に迷惑をかける心配もなく、気持ちの向くままに乱れ弾いた。
その時、庭陰に何やら気配を感じて立ち上がった。庭先を覗いたが、それらしい人影は見えない。気のせいだと思いまた琴の爪を履き直した。
里子さんの寂しさは、翌日になってもおさまらなかった。夜更けになるとまた琴を据えた。日を追うごとに異性恋しさが募り、琴の糸が切れるほどに弾きまくった。それでも我慢できずに、両手を胸に当てて座敷の中を転がりまわった。ふと南側の障子に人影らしいものが目に入った。慌てて身づくろいをして障子を開けたが、やはり何の異常もなかった。
姿を見せた変な生き物
そんな夜が3日続いて、里子さんはとうとう庭に向かって声をかけた。
「誰かそこにいるんでしょう? いるなら返事をして」
すると、草むらから得体の知れない生き物が姿を見せた。背丈は子供くらいの濃い緑色の皮膚をした、それはまさしく話に聞いたことのある河童であった。
「部屋の中を盗み見していたのね?」
里子さんの問いに河童は首を大きく横に振った。
「それでは、なぜ毎晩庭に忍んでくるのです?」
「……」
「人間の言葉が話せないのね。私の恥ずかしいところを見たいのじゃなければ、私の琴を聴きたかったのですか?」
里子さんが問いかけると、河童は素直に首を縦に振った。
「嬉しいわ、私の琴を気に入ってくれて。もっと聴かせてあげるから、遠慮しないで座敷に上がってらっしゃい」
河童は転がるようにして座敷の端に座った。
ひとしきり次の曲を奏でると、河童は何度も頭をさげて庭の向こうの堀に消えていった。「また明日もいらっしゃい」と言葉になりかけたものを、里子さんはぐっと飲み込んだ。
子を孕み姿隠す
武家の内儀としてこれ以上恥ずかしいことはないものを覗かれてしまった里子さん。一人ぼっちの一軒家といえども、二度と過ちを繰り返すまいと心に誓って夜を迎えた。だが、決意とは逆さまで、体は昨夜以上に燃え盛った。これもあの河童に見られたせいだとわかっていてもどうにもならない。
琴を弾き始めると、今度は河童が軒先まで姿を現した。里子さんを見る河童の目が潤んでいる。身にまとうもののない河童の下半身が充血したように里子さんの目を誘った。彼女は、裸足で庭に飛び降りると、相手の小さな手を掴むんで座敷に引き上げ、障子を閉めた。
その翌日、里子さんの姿は忽然と一軒家から消えた。誰にも行き先を告げずに。
そんなことがあってから1年が過ぎた頃。筑後川のほとりで中年女性の水死体があがった。それだけならよくある話だが、女が得体の知れない生き物の赤ちゃんを自分の体にしっかりくくりつけていたから大変。河原の船頭も女たちも、暇さえあればその話でもちっきりになった。噂が噂を呼んでいく。だが、女の素性も赤ちゃんの正体もけっきょくわからずじまいだったとか。(完)
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