筑後川本流(国土交通省流)が、間もなく小国の市街に入ろうとする下城(しもじょう)というところの北里川付近の話。気の利いた道もなければ乗り物だってなかった時代、屋敷ノ谷というところに、由太郎、マサという夫婦と18歳になるミキの親子三人が慎ましやかに暮らしていた。
ある日、マサが発熱して3日後にあの世に旅たった。残された父娘は、泣く泣く裏山にマサを葬ると、ただ茫然と日を過ごす日が多くなった。
こんなことでは生き残ったものまで飢え死にしてしまう、ミキは気を取り直して畑を耕し、山菜を摘み、小川の魚をとった。だが、永年連れ添ったマサに先立たれた由太郎は、体を動かすことすら面倒そうに、部屋に篭りきりであった。
「おとっつあん、少しは食べないと、死んでしまうよ」とミキが諭すと、「いいんだよ、早くおっかさんのとこに行きたいんだから」と、腑抜け状態から立ち直れそうにない。そのうちに本当に重い病気になってしまった
医者が見離したら生きたがる
小国にいる医者に無理を言って往診してもらった。
「病気には違いないが、本人がそんなに死にたいんなら、なるべく早く死なせてやるほうが親孝行というものじゃないかい、娘さん」
医者が病人を前にして無責任なことを言う。
「そんな、あんまりです」
ミキは泣き崩れた。
「俺が死んだら、ミキは一人ぼっちだな」
由太郎が蚊の鳴くような声でささやいた。写真:下城のなべかま滝
「当たり前じゃないか、親子3人のうち、お前ら夫婦が死んでしまえば、残るは娘一人に決まっとる」
「それではミキがかわいそうだ。死にたくねえ。まだ死ぬわけにはいかねえ」
どこにそんな力が残っていたのか、ミキが思わず退いてしまいそうな大声で、医者の死の宣告を拒否した。
「勝手にしろ、死にたいと言ったり、生きたいと言ったり。俺はそんな我が儘にいつまでも付き合うほど暇人じゃねえ」
医者は、怒っているのか笑っているのかわからない複雑な顔をしながら、帰っていった。
救いの神はカッパ
「ミキのために生きたい」と由太郎は言ったが、医者が帰るとまた元の木阿弥に。「早く死にたい」「おっかさんのとこに行きたか」と涙ながらに訴える。そうなると、病状はますます悪化する。医者に頼んでも、「二度とあんな勝手な病人など診るもんか」とそっけない。
ミキは、北里川の縁に祀られているお地蔵さんに日参した。
「お地蔵さん、あたいの命なんかどうなってもいいから、おとっつあんを助けて」と。
しばらくお地蔵さんの前に佇んでいると、うしろから肩をたたくものがいる。振り向くと、小学生くらいの皮膚の色が緑色をして頭に皿のようなものを乗せた変な生き物が立っていた。
湧水を飲む筆者
「あんた、だれ?」
「だれ?はないだろう。お地蔵さんにおとっつあんの命を助けてと拝んでいたくせに」
「そうよ、お地蔵さんにはお願いしたよ。でもあんたには・・・」
目の前の生き物がケラケラ笑い出した。
「おいらは、そのお地蔵さんから頼まれたんだ。あのかわいそうな娘を助けてやれと。おっと、言い忘れていたが、おいらは筑後川を仕切るカッパの総帥三千坊さまの手下のものでカッペというんだ」
「へえ、あんたカッペというの?どうりでキュウリ臭いと思ったよ」
「そんな憎ったれ言うなら、いくらお地蔵さんの頼みでも、お前のことなんてかまうもんか」
カッペは、ひょいと身を翻すと、北里川の渕に飛び込もうとした。
滝壺の向こうに薬草が
「待って、あたいが悪かった。謝るから早まらないで!」
「早まっているのはどっちだ。医者でも治せないおとっつあんの病気をおいらが治してやろうって言うのも聞かずに。カッパは、人間が言うように悪い生き物じゃないよ」
「わかったよ。それで、おとっつあんの病気はどうしたら治るの?」
「じゃあ、教えてやろう。薬草を飲ませるんだ」
「薬草って、どこにあるの?」
こうなったら、カッパを信用するしかないと覚悟し、必死で薬草の在りかを問い質した。カッペは滝壺の向こう岸に咲く紫色の花を煎じて飲ませろと言った。カッペに言われたとおり、屋敷の谷から少し下ったあたりを探したら、水量豊富な滝が轟音を立てて落ちていた。深そうな滝つぼだが、さてどうして向こう岸に渡るか。悩んでいると、またカッペが顔を出した。
「口ばっかり達者だが、泳ぐこともできないのかよ」
カッペに挑発されたミキは、腰巻一つになると滝壺に飛び込んだ。だが、もともと泳ぎが得意ではないミキは、溺れそうになり引き返して家に帰った。
由太郎はあいかわらず眠っているばかりで、虫の息であった。
駄目なときに出す知恵
表に出てしょんぼりしていると、また後からカッペに声をかけられた。
「口ほどにもない奴だ、お前は」
「どうして?」
「そうだろう、おやじの命が危ないというのに、あんな小さな滝壺さえ泳げないんだから」
言われればそのとおりで、下をむくしかなかった。
「しょんぼりしているお前も案外かわいいな」
「冷やかさないでよ。それで私はどうすればいいの?」
「頭を使え。滝壺の向こうに渡るには、泳げなかったらどうするか。謎をかけても頭の悪いお前にはわからないだろうから、教えてやるか」
ミキは、夜が明けると、カッペに教えられたとおり滝壺の横の林をよじ登った。だが、目の前の大きな岩が遮って、先には進めそうにない。「頭を使え。右が駄目なら左を試せ。それでもできなければ・・・」と言ったカッペの言葉を思い出した。
ミキが地面の夏草をかき分けると、大岩の下のほうにやっと人間が通れるほどの穴を見つけた。膝をすりむきながら潜り抜けると、そこは滝壺の向こう側だった。
秘薬の在かはカッパ道
ミキが紫色の花を煎じて飲ませると、父は急に生気を取り戻し、1週間もしたら元のように畑に出て仕事をするようになった。それからは二度と死にたいとは言わなくなった。
お地蔵さんの遣いだというカッパのカッペはその後どんなに声をかけても現れない。起死回生の紫の花があった滝壺の向こう岸を再訪しようとして岩の穴を探すが、どうしても見つからない。写真:カッパ滝下の遊水峡
「どうして、そうして・・・」。頭を抱え込んでいるところに小国の医者がやってきた。
「どうじゃな、おとっつあんのあんばいは?」
まさか、「あんたみたいな藪医者よりお地蔵さんのほうが・・・」とも言えず、「お陰さまで」とだけ答えた。しばらく二人の間に沈黙があって、「あっ、先生!」。ミキが大声を発しそうになってあわてて自分の口を押さえた。父の命を助けたい一心でお地蔵さんに願をかけているのをこの医者は知っていたんじゃないか。カッパのカッペとは、実は、お地蔵さんの遣いじゃなくて、目の前の医者の遣いの者ではなかったのか。
「お前が今何を考えておるかわしにはわかっておる。だが、わしはカッパなんかじゃないぞ。りっぱな人間の大人じゃよ」
「一つだけ教えてください。おとっつあんが飲んだらいっぺんに治ったあの薬草は、いったいなんだったんです?」
「いいか、お前のおとっつあんの病気が治ったのは、実はあの紫の花の成分じゃなくて、お前が苦労して持ってきてくれた薬を飲んだからじゃないのか。あの病気は、医者でもわからん難しいもんだからな。ワッハッハッ」
「????。もう一度滝壷の向こうにいってみたい」
ミキが問いかけたが、医者はさっさと小国の街に向かっていた。
「それは無理だ。あそこはカッパでしかわからん『カッパ道』じゃけん」(完)
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