伝説紀行 お島さん参り 人身御供 鹿島市
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
おしまさん参り
佐賀県鹿島市
有明海上(岩礁)のお島さん像
有明唯一の岩礁 有明海には、岩礁で形成された島がたった一つだけある。佐賀県鹿島市の港から約5`東に浮かぶ沖ノ島である。この島雄島と雌島からなっているが、潮の満ちひきによって顔を出したり隠れたりする。干満の差が特徴の有明海ならではの現象かもしれない。そんなわけで、このゴツゴツした岩の上に住み着こうとする人はいまだかつて一人もいなかった。だが、年に一度だけ(旧暦6月19日)、四方八方から漁船を連ねてこの無人島に人々が押し寄せる。「沖ノ島参り」またの名を「お島さん参り」という名のお祭りだ。この祭り、豊漁祈願かと思いきやさにあらず。海の真ん中で五穀豊穣を願う雨乞い祭りなのである。 農民思いの優しい娘 むかし、現在の鹿島市あたりにおしまという美しい娘と祖父ちゃんの二人が住んでいた。祖父ちゃんは山で炭を焼き、おしまは野菜や米を作って暮らしていた。
「どうしたらよかでっしょうか?」 人身御供となって おしまには太助爺さんが言った「生娘を神に差し出せば・・・」の一言が耳から離れなくなった。祖父ちゃんが「どうしたのか」と青白い顔色のおしまに訊くが、まさか自分が人身御供を本気に考えているとも言えず、悩むばかりだった。
炭焼きから帰った祖父ちゃんは、おしまが夜になっても帰らないことを心配して、太助爺さんに捜索を頼んだ。だが、どんなに捜してもおしまの姿は見つからなかった。太助爺さんは、あの時変なことを口走ったことが悔やまれて仕方がなかった。 娘の遺体に雨が降る おしまの遺体が鹿島の浜から一里も離れた沖合いの島に打ち上げられた。発見した漁師の知らせを受けて、祖父ちゃんや太助爺さんが島に向かった。冷たくなったおしまが、岩のてっぺんで合掌したまま横たわっていた。
それにしても、最近の有明海は騒がしすぎる。例の諫早干拓のためのギロチン(大堰)のことだ。福岡・佐賀・熊本・長崎と、有明海を囲む4県の主張が、それぞれ開門・閉門にそれぞれ分かれるからだ。堰のお陰で、有明海特有の漁が激減したのだから、聞く方も納得する。一方で閉門派は、お上の指示に従って有り金をはたいて買った土地だから、魚が獲れないことなど関係ないと言いたいのだろう。 |