伝説紀行 カッパの恩返し 小郡市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第106話 03年04月13日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

カッパの恩返し

福岡県小郡市


宝満川

 寒い冬も過ぎて、そろそろ田起こしの準備が始まると、「待ってました」とばかりにカッパ族が顔を出す。人間にとってけっして敵ではない宝満川のカッパを紹介しよう。

宝満川はカッパの天国

 舞台は、小郡市を北から南に縦断する宝満川。ときは江戸時代の中頃と心得あれ。当時の宝満川は、筑紫平野の農産物を都方面に運び出す重要な交通路だったそうな。
 鰺坂村(あじさかむら・現小郡市味坂)に、酒井庄一という武芸者が住んでいた。武芸には秀でていても、平和な時代には子供に武術を教えるくらいしか役に立たない。
 ある日、酒井さんのところに福童(小郡市福童)に住む伯父さんが危篤だとの知らせが届いた。田舎に住んでいると、身内の一大事を見過ごせば、そのツケは末代までものしかかる。そこで雨中も厭わず見舞いに出かけることになった。鯵坂から福童に行くには宝満川を渡らなければならない。酒井さんは端間あたりの浅瀬を渡ることにした。だが、最近の長雨で川の水嵩が増していて、難儀なことだ。

絡みつく妖怪

 酒井さんは川岸で着物を脱ぐと、風呂敷に包みこみ、長刀に提げて担いだ。褌一つになり、竹竿で行く手の水深を測りながら、川の中央にさしかかった。そのとき、右足の脛が妙にむず痒い。なにやら変な生き物が絡みついているらしい。持っている竹竿で払いのけようとするが、ますますくっついて離れようとしない。
 酒井さんは、絡みついている妖怪がカッパであると判断した。酒井さん、実は知る人ぞ知る「妖怪生態の研究家」でもあったのだ。
「拙者は伯父さんの死に目にあうために先を急いでおる。邪魔は許さん」
 怒鳴りつけてもカッパは、蛭のように食いついたままだ。
「邪魔すると、本当に斬るぞ」
 脅かしても逃げないカッパに酒井さん、背中の長刀を抜くと、カッパの片手を切り落した。さすがのカッパも驚いて、水中深く潜っていった。

カッパは悪さをするものか?

 酒井さんは岸に上がると、切り取ったカッパの手を柳の枝に括りつけた。カッパが切られた手を取り返しに来たとき見つけやすいようにである。酒井さんの研究によれば、カッパはいったん離れた自分の手を元通りにくっつける特別な能力を有している。だから、昨日のカッパは切られた手を必ず探しに来るはずなのだ。
 翌日、お葬式を済ませた酒井さん、昨日来た道を鯵坂の家に向かった。端間の宝満川にさしかかると人だかりが。昨日酒井さんが柳の枝に括っておいたカッパの手を見物する人たちだった。
「この間、近所の坊主が溺れ死んだつも、こんカッパの仕業じゃったつばいの」
「毎晩畑からキュウリば盗む犯人もこんカッパたい」
 口々にカッパのことをなじりながら、毛をむしりだした。たまらず酒井さんが止めにかかった。
「その方ら、いい加減にせんか! それなら訊くが、カッパが子供の足ば引っ張るところを見たもんがおるのか。夜中にキュウリば盗むカッパば見たもんがおるとでも言うちょか?」

カッパは骨接ぎの名手

「そげん言わるると、本当に見たわけじゃありまっせんばってん、年寄りの話だと、そげな悪かこつばするとはカッパしかおらんそうですばい」
「そうそう、わしも年寄りに聞いたばってん。カッパは深かとこで泳ぐ子供ば引っ張り込んで、尻の穴からじご(内臓)ば取り出して食うげなですよ」
 この際とばかり、カッパの悪口の言い放題。
「黙れ、黙れ。言わせておけば勝手なことばかり。拙者の研究では、カッパは人間にそのような悪さはしない生き物なのだ。それどころか、溺れかかった子供を助けたり、干上がりかけた田んぼに水を足したりして、よいことばかりしておる」写真:小郡市端間の福童神社
「そんなら訊きますばってん、野菜泥棒の一件は?」
「まだわからんのか。そこらの頭の黒いネズミ(人間)が真犯人なのだ。わかったら、これ以上カッパの毛をむしるでないぞ」
 

400年たって…

 それから400年が経過して、今は平成の御世とあいなった。宝満川の環境もすっかり変化して、カッパ族がどこでどんな暮らしを営んでいるものやら、とんと噂も聞かなくなった。
 あの時の酒井庄一さんのご子孫はおられないかと探し回ったら、数えて十七代目の又一さんが病院の院長として君臨されていることがわかった。又一さんは、「先祖の功徳だと思うが」と前置きして、昭和28年の大水害時の経験を語ってくれた。
 梅雨時の大雨で医院のある端間一帯が大水害に見舞われた。酒井又一さんが往診の帰り道、堤防が切れて泥水が襲いかかり流され始めた。「これで俺の人生も一巻の終わり」かと観念したその瞬間、目の前に電柱が現われた。夢中でその電信柱に捕まっていたら命拾いした。
 翌日助けてくれた電信柱を確めに行ったがそんなものはなかった。
「それはっさいの、ご先祖さんが助けなさった恩ば忘れんでいたカッパの子孫が、恩返しばしたつたい」だともっともらしく説く街の物知り博士であった。
(完)

ページ頭へ    目次へ    表紙へ