伝説紀行 慈恩の滝 日田市天瀬
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
大蛇の命 大分県日田市天瀬町
JR久大線を走る「特急ゆふいんの森号」が、途中スピードを落として車窓から見える滝を案内してくれる場所がある。天瀬町と玖珠町の境界線上に位置する「慈恩の滝」のこと。いつ見ても変らぬ美しさに、取材の行き帰りに見惚れること当たり前になった。五馬高原を水源とする山浦川が、筑後川支流の玖珠川と合流するあたりだ。 収獲前の麦が全滅 千数百年もむかし、玖珠川(筑後川上流)のほとりの早水(そうず)村に住む与一が、ため息混じりに麦畑を見つめていた。秋に蒔いた麦の種が、やっと花を咲かせて稔ったばかりだというのに、何者かに麦畑を荒らされて全滅したからだ。だが、犯人が誰なのか誰にも見当がつかない。 旅の僧が乗り出した ある日、良勘という若い僧が早水の村を通りかかった。男どもが、眉を逆立てて大蛇対策を思案中のこと。
滝壷に大蛇が棲むことは何かの書物で読んだことがある。だが本当にそんな怪物がこの世に生息するとは、さすがの良勘和尚にも信じられないことだった。 滝壺の怪物とは 「愚僧にお任せあれ」 「どうしたのじゃ?」 大蛇の天敵 「何だ、こりゃ?」 慈恩寺という寺は今何処? 翌年から、麦が稔っても大蛇が這い出すことはなく、豊作が続くようになった。農民も大変喜んで、僧のために寺を寄贈した。寺の名前も、僧への恩返しの気持ちをこめて「慈恩寺」と名づけた。 大雨の直後に立ち寄ったせいか、慈恩の滝はものすごい音をとどろかせ、四方にしぶきを散らしながら滝壺に落ちていた。その様は、周囲の濃い緑とあいまって、額縁の中の名画を観ているよう。慈恩の滝もまた、自然が恵んでくれた筑後川の財産なのである。 |