伝説紀行 黒川の首なし地蔵 南小国町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第101話 2003年03月09日版
再編:2017.08.08 2018.02.04
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。


黒川温泉の首なし地蔵(首と胴体が分離している)

孝行息子とお地蔵さん
黒川温泉由来

熊本県南小国町


黒川温泉源泉

 春本番を迎えてドライブにはもってこいの季節となった。お薦めのコースは何といっても九重高原から阿蘇への山なみハイウエーだ。豊後中村から十三曲りを駆け上って、まず千町無田の朝日神社にお参りして欲しい。なぜかというと、そこは自著「大河を遡る」の主たる舞台だから。ついでに伝説朝日長者の屋敷跡である年の神神社(掘立て小屋風)から眺める九重の山々は、忘れられない思い出になること請け合いだ。
 再びハイウエーに戻って、大分県から熊本県へ、瀬の本高原のドライブインを右にカーブすると間もなく黒川温泉の湯気が歓迎してくれる。黒川温泉といえば、今や日本有数の人気スポットである。入湯手形を買って露天風呂を梯子するなんて最高の贅沢だと思うけどな。さて、その黒川温泉の起こりだが・・・。

父の遺言「瓜食いたい」

 300年以上もむかしの話。阿蘇外輪山の麓の小国郷に住む15歳の少年睦五郎は、病弱の父に代わって毎日町に出て塩を売った。でもなかなか商売がうまくいかず、父の病気も悪くなる一方で、少年の気持ちは落ち込むばかりだった。
「この世には神も仏もないものか」
 いよいよ手元に銭もなくなり、米も買えなければ父の薬も買えなくなった。そして父が臨終を迎えた。枕元に睦五郎を呼んでかすかな声で無理を言った。


写真:黒川温泉に近い筑後川源流(清流公園)

「黄色く熟れた瓜ば食べたか」
 孝行息子の睦五郎、父の願いをきいてあげたいとは思うが、一個の瓜を買う銭もない。ぐずぐずしていると父は思いを果たせないまま黄泉の国(よみのくに)に行ってしまう。
 闇夜を待って余所の畑に潜り込んだ。あいにくそこに見回りの時蔵がやってきて、役人に言いつけた。睦五郎は役人に首を刎ねられてしまった。

身代わりに地蔵の首が飛んだ

首を刎ねた役人が帰ったあと時蔵が睦五郎の死体を見ると、そこにあるはずの首がない。代わりにお地蔵さんの首から先がコロンと転がっていた。
 時蔵から地蔵さんの首の一件を聞いて睦五郎は、考えた。
「父ちゃんに瓜を食べさせるために、お地蔵さんが俺の身代わりになってくれたんだ」
 そう考えたら、地蔵さんがかわいそうになって、今度は自分が首を元通りに据えてやろうと思った。

地蔵さんの足元から湯気が

ところが、どんなに腰に力を入れて抱えようとしても地蔵さんの首はびくともしない。それに、地蔵さんの口元がかすかに動いている。
「わしを、川上の美しい景色の場所に移して欲しい」と言っているようだ。
 命の恩人の願いは無視できない。夜が明けると、首と胴体が分かれたままの地蔵さんを荷車に乗せて、山道を田の原川に沿って登っていった。一休みして、また出かけようとしたら今度は車輪が凍りついたように動かない。遠くを眺めたら、それはまた何と景色のよいことか。連なる山中を清流が気持ちよさそうに流れている。川岸には今を盛りと、真っ赤に染まったもみじが川面を染めていた。


地蔵堂

「ここだ 地蔵さんが住みたいと言われた場所は・・・」
 睦五郎は川辺に丁寧に地蔵さんの胴体を置くと、肩の上に斬られた首を据えた。だが、首と胴体をくっつける接着剤などなく、技も知らない。仕方なく首の周りに持っていた手拭を巻いて、今来た道を引き返そうとした。
 そのとき、あら不思議。地蔵さんの足元からモクモクと湯気が立ち上った。湯気はそのあと田の原川の水面からも立ち昇り、手をつけると心地よい湯になっている。(完)

睦五郎がお地蔵さんを運んできた場所こそ、現在の黒川温泉だと。そしてそこは、国土交通省が認定する「筑後川の源流」なのである。温泉宿が連なる黒川温泉は、今ではあちこちから湯気が立ち、湯の量が多いことを示している。みやげ物売り場を覗きながら歩いていると、「地蔵坂」の看板が目に入った。急坂を下りたら、そうとう古そうなお堂が建っており、そこに「首なし地蔵」が祀られていた。遠慮しながら絵馬のかかる板の間に上がると、お地蔵さんが「よく会いに来てくれた」と微笑み返してくれたような気がした。
 黒川温泉は、昭和36年に6軒の宿屋から始まった。木々の深い山に隠れ里のように点在する宿はいずれも情緒豊かな和風旅館である。黒川温泉の最大の魅力は.各旅館の個性を生かした露天風呂だ。入湯手形を利用すると全旅館のうち3カ所の露天風呂に入ることができ、それが黒川の人気をさらに高めている。老若男女がカラコロと下駄の歯を鳴らしながら行き交う浴衣姿は昔ながらの温泉街を彷彿させる。温泉街全体がしっとりした風情に包まれて心から癒してくれるようだ。

 この物語を発表した頃、黒川温泉の人気はうなぎ昇りだった。それが心無い新興勢力のホテルによって台無しさせかけられた。ご存知の元ハンセンシ病患者の入湯を拒否した事件だ。最近では少しずつ名誉挽回をしていると聞いて一安心。

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