伝説紀行 黒川の首なし地蔵 南小国町
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
孝行息子とお地蔵さん 熊本県南小国町
春本番を迎えてドライブにはもってこいの季節となった。お薦めのコースは何といっても九重高原から阿蘇への山なみハイウエーだ。豊後中村から十三曲りを駆け上って、まず千町無田の朝日神社にお参りして欲しい。なぜかというと、そこは自著「大河を遡る」の主たる舞台だから。ついでに伝説朝日長者の屋敷跡である年の神神社(掘立て小屋風)から眺める九重の山々は、忘れられない思い出になること請け合いだ。 父の遺言「瓜食いたい」 300年以上もむかしの話。阿蘇外輪山の麓の小国郷に住む15歳の少年睦五郎は、病弱の父に代わって毎日町に出て塩を売った。でもなかなか商売がうまくいかず、父の病気も悪くなる一方で、少年の気持ちは落ち込むばかりだった。
「黄色く熟れた瓜ば食べたか」 身代わりに地蔵の首が飛んだ 首を刎ねた役人が帰ったあと時蔵が睦五郎の死体を見ると、そこにあるはずの首がない。代わりにお地蔵さんの首から先がコロンと転がっていた。 地蔵さんの足元から湯気が ところが、どんなに腰に力を入れて抱えようとしても地蔵さんの首はびくともしない。それに、地蔵さんの口元がかすかに動いている。
「ここだ! 地蔵さんが住みたいと言われた場所は・・・」 睦五郎がお地蔵さんを運んできた場所こそ、現在の黒川温泉だと。そしてそこは、国土交通省が認定する「筑後川の源流」なのである。温泉宿が連なる黒川温泉は、今ではあちこちから湯気が立ち、湯の量が多いことを示している。みやげ物売り場を覗きながら歩いていると、「地蔵坂」の看板が目に入った。急坂を下りたら、そうとう古そうなお堂が建っており、そこに「首なし地蔵」が祀られていた。遠慮しながら絵馬のかかる板の間に上がると、お地蔵さんが「よく会いに来てくれた」と微笑み返してくれたような気がした。 |