伝説紀行 蝉丸塔 久留米市
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
御井寺の縁切り塔 九州の蝉丸塔 福岡県久留米市
「嫌いな男と縁を切りたい」と願う善女にとって、お参りするのに格好の場所がある。それが久留米高良山の麓の御井寺に建 世阿弥:室町時代の能役者・能作者。 これやこの/ゆくもかえるも/わかれては/知るも知らぬも/逢坂の関 そんな都の芸人が、何の縁あって遥か久留米の高良山(高良神を祀る山)に出没したのか。 上品な遊女 時は平安時代。高良山の麓の色町で三人の遊女が鼻にかかった甘え声で、客を呼んでいた。彼女らのターゲットは、筑後一の宮の高良玉垂神社にお参りする男衆である。小夜、とも、雪の三人姉妹の遊女は、よく見るとどこか垢抜けしている。筑後川の下流・城島からお参りにきた卯吉が小夜に手を引っ張られて座敷に上がった。
「あたしのサービスがうまいってことかい?」 遊女が法師に惚れた 「5年前だったかね」小夜と二人の妹は、共通の恋人蝉丸を慕って京の都から遥々九州の久留米までやってきた。蝉丸は盲目の琵琶法師だったが、顔も声も人並みはずれていて、京の女たちの憧れの的だった。彼は、公家など高貴な方の宴席にも引く手あまただった。 高良山の座頭に だが、この時代、盲目の琵琶法師が女の相手をすること自体がご法度(はっと)であった。軽い気持ちがお上に知れるところとなり、蝉丸に遊女を世話した公家は直ちに処刑。蝉丸は所払いとなった。トボトボと都を離れるところに、小夜・とも・雪の三姉妹が旅姿で追いかけてきた。 「あたしらが蝉丸さまをお守りします。ですから、何処へでも連れて行ってください」
一方「仏説座頭」は、日頃は筑後一円の村々に散らばっていて、各家の竈(樋の神)をお祭りすることを仕事にしている。彼らは、家々を回り「地神教」なるお経をあげてお布施を貰う。琵琶を弾き壇ノ浦も語るがそれはそんなに正確で厳しいことを要求されるわけでもない。 金の切れ目が・・・ 京の都から流されてきた蝉丸は、本場で鍛えた喉と頭のよさを買われて、「平家座頭」に組み入れられた。だが、銭金にルーズな蝉丸は、稼いだ金を賭博などにつぎ込み、食い扶持は小夜たち姉妹の懐を頼りにした。
そのうちに姉妹の持ち金も底を突いた。悪いことは重なるもの。都から蝉丸のもとに「罪を許すによって即刻帰還せよ」の命令が届いた。田舎暮らしにうんざりしていた蝉丸は、天にも昇る気持ちで三姉妹を置き去りにしたまま、さっさと久留米から消えた。 男と切れたければ御井寺へ 「蝉丸塔」は、九州自動車道を潜ったあたりの御井寺境内に建てられていた。もともとは近くの料亭水明荘の中にあったものを、この寺に移し替えたものだとか。塔が民間信仰のシンボルとなったのは、蝉丸と残された遊女の悲劇かららしい。塔の欠片を粉にして飲み込むと「縁切りの」願いが叶うという。塔を覗き見たら、なるほどあちこちに削り取られたあとがある。いまでもそのようなことを信じる人がいるのかどうかは確めていない。
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