伝説紀行 童子丸 うきは市吉井


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第098話 2003年02月16日版
再編:2017.12.30
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

小江の童子丸

福岡県うきは市(旧吉井町)


童子丸池

うぶ娘を人柱に

 土蔵づくりの街並みで有名な吉井町。北部の筑後川堤防内側の河川敷に、幅70メートル、長さが400メートルにも及ぶ大きな池が横たわっている。土地の人は決して涸れることのない「童子丸(どうじまる)」と呼んでいる。
 何百年もむかしのことになるが、小江村(おえむら=現うきは市)に住むおかつ婆さんが、筑後川の河川敷で遊んでいる見知らぬ
童(わらべ)を見かけた。童は神職のように白い衣服をまとっていて、神々しささえ感じさせた。声をかけると、童は音もなく茅林に隠れた。
 小江村は、毎年梅雨どきになると決まって筑後川の土手が壊れて村中水浸しになる。せっかく植えた早苗も流されてしまい、人々は年中、ひもじい思いをしなければならない。庄屋の甚兵衛さんは、村の男たちを集めては対策に明け暮れた。
「堤防に当たる水の勢いを弱めようと石を積んでも、すぐに流されよるし」


童子丸池を見下ろす水神社

「むかしから言わとるごと、土手に初心(うぶ)な女の子ば生きたままで埋めて、水神さまに捧げるしかなかじゃろか」
 皆が深刻になるわけだ。

水神への人身御供

男衆の話をそばで聞いていたおかつ婆さんは、庄屋さんを池に連れて行った。
「心配事のようですね?」
 葦の陰から顔を出した昨日の童は、大人びた声で話しかけてきた。
甚兵衛さんが、「流れを変える石組みが流されないようにならないものか、そのためには女の子を人柱に立てることも覚悟しておる」と訴えた。

 童は、大人の言葉で甚兵衛さんを遮った。
「あなたたちがどんなに石組みをしてもすぐ流されるのは、日頃川にゴミを捨てたり、川の流れを勝手に変えたりするからですよ。見かねた水神さまが怒っておられるのです。将来ある子供を水に沈めるなどもってのほか」
「それでは、どげんしたらよかとですか?」
 甚兵衛さんが食い下がった。

「子供の命を救うために、私が神さまにお願いしてみましょう」
 童は、言うなりそばの溜池に飛び込んだ。それから、どんなに待っても童は浮き上がってこなかった。

石組みが流されなかった

 甚兵衛さんは再び村中に(はね)造りを号令した。我々のために底なし池に潜って神さまと掛け合ってくれる童のことを思うと、村人たちはいっときの休みすらもったいないと言って働いた。
 川下に向けて積まれた石組みは、まるで剣を突き刺したように鋭角で、速い岸辺の流れを川中央に誘導した。刎が完成した翌日からまた大雨が降りだした。筑後川の水嵩はやがて堤防を越えて田んぼや家屋に迫った。だが、今までのように水の勢いが土手を突き崩すことはなくなった。雨がやんで水嵩が下がっても、石積みの刎はしっかり残っている。


小江八幡神社

「あん時の白いきもん(着物=白衣)ば着た童が言ったこつは、本当じゃったつばい」
 甚兵衛さんとおかつ婆さんは、童に礼を言おうとお神酒(みき)を下げて池に向かった。だが、どんなに呼んでも童は姿を見せなかった。(完)

 小江村では、村を救ってくれた童の恩を忘れまいと、水神さまが住むという池のあたりを「童子丸」と名づけた。あれから数百年が経過した今日、池のあたりで見知らぬ白衣を着た童が遊んでいるのを見かけたと言う人がいたが、見かけた人がどなたか誰も教えてくれない。 

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