伝説紀行 油屋事件 小郡市
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
油屋物語 福岡県小郡市
江戸時代、久留米から大坂(現大阪)や江戸(現東京)に向かうには、筑前街道を通って山家(現夜須町二夕)に出るのが普通だった。 旅籠:旅人に食事を出してくれる宿泊所 供侍が法度を犯した 所変ってここは大坂(現大阪)。参勤交代の途中身分の低い侍が泊まる宿泊所でのこと。筑後の有馬の殿さまのお供を勤める中間(ちゅうげん)林雄之助が突然高熱を出して動けなくなった。大事な大名行列をたかが中間の病気ぐらいで遅らせるわけにはいかない。雄之助には熱が下がったら一人で久留米に戻るよう言い渡して一行は大坂を発った。 雄之助の高熱は実は仮病で、お清という宿つきの遊女と離れたくなかったからの嘘であった。一週間もするとお清との逢引にも飽きて、雄之助は宿を発つことにした。だが、お清の方が雄之助の手を握って離さない。 信じて待つ女 そんなこととは夢にも思わないお清は、遊女をやめて雄之助が迎えに来るのを待った。だが、1ヶ月たっても愛しい男は現われなかった。そのときお清は妊娠していることに気がついた。それから5年が経過した。お清は雄之助を疑わなかった。これにはきっと深い事情があるに違いない、と思うことで自分を慰めた。 遥か筑後路へ お清はおみよの手を引いて、愛する男の住む筑後を目指した。筑前街道を通って松崎宿(現小郡市)の油屋に宿をとった。
男の企み 一方、お清からの文を受け取った雄之助は困った。お清とのことはただの遊びとしか思っていなかったからである。今では上役の紹介で嫁をとり、庄島(しょうじま)の屋敷で親子ともども平和に暮らしている。もしこのことが妻や上役に分かったら、身分もどうなることかわかったものじゃない。 哀れなるは母と子 「疲れたろう、よくぞこんなに遠いところまで来てくれた」 死んだはずの女がそばにいる 何食わぬ顔で油屋に戻った林雄之助。
あてもなく屋敷を出た雄之助は、気がついたら遥か大坂と紀伊の境にある高野山に来ていた。行き倒れになったところを身分の高そうな僧に救われ、その後はこの地に庵を結んでお清とおみよの供養のために生涯を過ごしたとのこと。(完) 最近松崎の宿を訪ねた。大分自動車道の小郡インターからすぐ近い場所だが、広いバイパスができたため筑前街道は裏道になっていた。写真のように、江戸時代の姿をそのまま保存してくれているのが嬉しい。玄関の鍵がかかっていて旅籠の中は見れなかったが、覗き見したところ、天井が高くて趣は十分である。 |