伝説紀行 龍門の滝 九重町
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
言い伝えを馬鹿にした報い 龍門の滝由来 大分県九重町
夏休みになると大賑わいする龍門の滝(九重町)。流れ落ちる水がそのまま滑り台になるのだから、子供たちにはたまらない遊び場だ。 滝壺に龍が棲む? 260年以上もむかしの享保年間。豊前中津藩士たちが、宴会の席で妙な論争をぱじめた。 肯定派と否定派が見分 科学信奉派の丸山三平と、言い伝えを信じる内田碌郎、それに中間派(どうでもよい派)の麻生為蔵が「龍の存在確認」のため代表選手となって、勇躍龍門の滝に出向いた。
当時の滝周辺は原始林が生い茂る淋しいところだった。雑木や雑草を掻き分けてたどり着いた3人は、早速褌(ふんどし)一つになり、長刀を背中に縛り付けて滝壷に飛び込んだ。息をこらえて潜ること2度3度、それらしい怪物には出会わない。 龍が怒った ところが、三平が腰掛けた大木が動きだした。慌てて立ち上がった三平。「出た!」と叫ぶや否や背中の長刀を抜いて“大木”めがけて斬りつけた。 逆らった奴の最後は 夢を見ている気分の3人は、やっと我に返り、恐ろしさのあまり取る物もとらず駆け出した。近くに繋いであった馬に飛び乗って駆けること駆けること。ようやく三角形の小倉山が見えたところで一安心。そこにまたもや稲妻が襲いかかった。あっという間のできごとだった。丸山三平は雷に打たれて即死。だが不思議なことに残りの2人は傷一つ負わずに無事だった。 竜門の滝を訪ねたのは2002年の滝壷周辺に広がる梅畑の収穫の時期だった。夏休みには間があって、いまだ賑やかな子供の声は聞こえなかったが、目の前に覆い被さる壁から落ちる滝を眺めながら食べた握り飯のうまかったこと。
読者から貴重なお便り 「竜門の滝」を読んでくださった東京の読者から、「龍門」と「蘭渓道隆禅師」について貴重なお便りをいただきましたので紹介します。地元の方に是非読んで欲しいと思います。ありがとうございました。 本場の龍門は、5世紀の石窟寺院でたいへん有名なところです。黄河がイスイ盆地を出て華北平原へと流れ下りる箇所にある大変な難所で、コイさえも上ることができず、上りきった魚は龍になる、という伝説がいわれています。龍が住んでいるかどうかは知りません。 |