伝説紀行 薬師の池 久留米市三潴町
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
親孝行の代償 薬師の池 福岡県久留米市三潴町
久留米から柳川に通じる通称「柳川街道」と西鉄大牟田線に挟まれたところに「小犬塚」という古い地名が残っている。このあたり江戸時代までは「筑後の国三潴郡(みずまぐん)小犬塚村」といったそうだが、現在では三潴郡三潴町玉満。柳川街道から一歩離れるとそこは雑木林、そして八女方面から流れ来る山ノ井川の水を活かした水田が広がる。その小犬塚の農家の庭先に薬師堂が建っていた。 死の床にあっても我が儘な母 江戸時代の春まだ浅い頃、田んぼの中の一軒家に、母親と青年期を迎えた半太郎が住んでいた。半太郎は近所でも評判の孝行息子で、寝たきりの母のことが心配で眠れない夜が続いている。お医者さんから、あと幾ばくもない命だと宣告されていた。 時期はずれの蓮根探し 夏にはあれほど広がっていた蓮根畑も、今では寒々と波打つ水面しか見えない。どこかに切れ端でも落ちていないかと探したが無駄骨だった。このまま帰れば母親は悲しそうな顔をするに違いない。 蓮根畑にお化けが出た 「あった」 満足して死ぬ母、だが… 満足そうな母の死に顔を見て半太郎は嬉しかった。だがその瞬間、ものすごい悪寒が体中を襲った。足をひきずりながら一丁ほど離れた爺さまの家に助けを求めた。 翌朝、半太郎は言われるままにお供えする花と酒樽を持って爺さまのあとに着いていった。 薬師の池は大正時代に埋められてしまい、今では見渡す限り水田ばかり。岸辺の薬師堂も、そのときに現在地に移されてしまったのだそうな。ところで、池を埋めるとき、いたはずのうわばみはどこにいったか。古老に訊いたが、そこのところだけははっきり答えてくれなかった。 |