飯田の茂左どん
福岡県久留米市
久留米東部の田園風景
九州の頓知話といえば、大分の「吉四六」、熊本の「彦一」が有名だが、我が筑後にもあった。前記二人に勝れども劣らないすごい奴が。
浄土宗鎮西本山善導寺近くの飯田村に住む茂左どんと、雇い主の庄屋さんの掛け合い。二人のやりとりはなかなか歯車がかみ合わない。
コエはこえでも…
「こげん空気がきれいかと、耳納山もご機嫌じゃわい」と、庄屋さんが秋晴れの天気に満足しながら畑の見回り中。
「もさでござる、もさでござる」
蝙蝠傘のように広がった里芋の葉の陰から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ひょっとして、その声は茂左じゃなかか。そげなとこでいったい何ばしょっとか?」
庄屋さんに呼ばれて茂左が真っ黒に日焼けした顔をだした。
「ありゃ、庄屋さんじゃなかですか。おどんな(私は)こげん忙しかつに、庄屋さんはよっぽど暇ばいの。何か用でんあっとですか?」
「こっちが聞きたかたい。おまや今、もさでござるとか何とか言いいよったばってん、そこん芋畑にはほかに誰かおっとか?」
「いいえ、誰もおりまっせん」
「ふんなら(それなら)、ありゃ独り言か?」
そこで茂左どん、庄屋さんを睨みつけた。
「庄屋さんさい、そりゃ無責任というもんですばい。自分でゆんべ(昨夜)言うたこつば忘るるちや」
「わしがぬし(おまえ)に何ち言うたか?」
「あした芋畑にコエばかけろち言うたでっしょが」
しばらく考え込んだ庄屋さん。
「確かに言うたたい、あした芋畑にコエばかけろち。それも一株一株ていねいにとな」
「そんで、おどんな朝早うからコエばかけよっとです。芋の一株一株にていねいに。おどんが茂左でござる、ち」
写真は、巨瀬川
「馬鹿たれが! ぬしが言いよるコエは喉から出る声のこつじゃろが。わしがゆんべ言うたコエは、そのコエじゃのうて下肥の肥たい、わかったかこのじゅうげもん(性格が素直でない人のこと)が」
「そんならそげんち、はっきり言うちくれりゃよかつに」
茂左どん、叱られて口のなかで何やらモサモサ言いながら肥たごをとりに帰った。
飯は仕事をするか?
「さあ、朝飯食うてきょうも元気に働くばい」
茂左どん、庄屋さんに聞こえるように、わざと大きな声で「いただきまーす」。しばらくして現れた庄屋さん。茂左はとおに畑に行ったと思いきやいまだ飯食いの真っ最中。
「いつまで食よっとか。そりゃ今何杯めの?」
「はーい、10杯めです」
「よう食うね。さいぜん(さっき)の掛け声は、大飯ぐらいが少しは気がひけたつばいね。ぬしば見よると、飯がしごつ(仕事)ばしよるごたるもんたいね」
善導寺の山門
呆れ顔の庄屋さん。しばらくしてきょうも定期便の畑の見回りに。すると茂左があぜみちに座り込んでいる。何をしているかとよく見たら、立てかけた鍬に弁当をくくりつけて、何やらモサモサ。
「やい茂左、ぬしや何ばひとりごつ(独り言)ば言いよっとか?」写真:善導寺本堂
「いやばいね、庄屋さん。朝方飯の時におどんに言わっしゃったでっしょが。おまや飯が仕事するごたるもんち」
「言うたたい、それがどうかしたつか?」
「そんで、ほんなこつ(ほんとうに)飯が仕事するもんかどうか観察しよっとですよ」
高良山まで続く草鞋の緒
明日は年に一度の高良山の兵児(へこ)かき祭り(川渡り祭とも言う)。何故か庄屋さんがウキウキ。「何ば着て行こか」「賽銭ないくら持って行きゃよかじゃろか」とかなんとか、まるで子供みたい。
「茂左よ、頼んどった草鞋は作よるじゃろね?」
「はーい、言われたごつ、じっぱな(立派な)草鞋ば作よります」
「あん山ば登るとじゃけん、高良山までじぇったいに(絶対に緒の)切れんごたるとば作らにゃばい」
翌朝、すっかり遠足気分の庄屋さん。上等の着物と羽織姿に脚絆を巻いて、いざ玄関先に進み出た。そこに当然揃えてあるはずの草鞋がない。
「おーい、茂左どん、草鞋がなかぞ。どげんしたつか?」
やおら納屋から出てきた茂左。
写真:高良神社拝殿
「草鞋は今頑張って作りょります」
「早うせんか。ぐずぐずしょっと日が暮るるばい」
「庄屋さんもそうとうにゃ歳とらしゃったばいね、気が短こうならっしゃって」
「何ば言いよるか、きょうが兵児かき祭りちゅうことぐらいおまえでん知っとろうもん」
「そりゃ知っとりますばってん、とても今日の間にやあいまっせん。庄屋さんな、ここから高良山まで(緒の)切れんごたる草鞋ば編めち言わしゃったけん、高良山まで続いたずーと長がか緒ばいま編みょる最中ですたい」
呆れるやら、情けないやら、庄屋さん。玄関先にへたり込んでしまった。
*善導寺:筑後川と巨瀬川の合流域。承元2年(1208)、筑後在国司草野氏の保護を受けて、聖光上人が開山したという浄土宗鎮西本山。久留米市の東方、善導寺飯田地区にある。
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