魚屋の嫁さん
福岡県大川市
若津港付近
筑後川も大川市あたりまで下りて来ると、川幅は海のように広くなる。潮風に吹かれながら川面を見つめていると、今にも鬚アザラシが愛嬌を振りまきながら近寄ってくるような気がした。昔の人もきっとそんなことを考えながら、川と付き合っていたに違いない。
不思議な美女が流れ着いた
「吾郎、大変だよ!」
駆け込んできたのは、近所に住むトメ婆さん。何が大変かと問えば、「人間が流されとる」だと。吾郎が大川(筑後川)の岸辺に出ると、川の中ほどで本当に若い女が満ち潮に流されていた。吾郎はふんどし一つになって飛び込み、虫の息の女を川岸に引き上げた。
「おい、しっかりせんか」
びしょ濡れの女を背負って、トメさんの家に連れていった。二人で寝ずの看病をした甲斐があって、朝方には女が意識を取り戻した。
「おまえが面倒を見ろ。こげな美人には滅多にお目にかかれんばい」とトメさん。吾郎も逆らわずに女を自分の家に連れていった。
彼女の味噌汁のうまいこと
吾郎は魚の行商をしている独身の若者である。吾郎の住む場所から筑後川を少し下るともうそこは有明海。その頃、ここらは若津港の建設で大賑わい中。久留米藩のお殿さまは、九州一の荷揚げ港を造ることにご執心だった。お陰で淋しかった川岸にも人が集り、吾郎の魚屋も大繁盛。きょうはたまたま時化(しけ)で仕事はお休みのところにトメさんが駆け込んできたというわけ。
「私はカツと申します。この度は命を助けてもらってありがとうございました。お礼をしたくても何もできません。せめてもと考えまして、台所にあるものでお昼を作らせていただきました」
娘は両手をついて吾郎に礼を言った。彼女は名前のほかは何も語ろうとしなかった。丁度腹ぺこだったのでカツがこしらえてくれた味噌汁に箸をつけた。
「これはうまか! こげなおいしか味噌汁は生まれて初めてたい」
正直、吾郎はそう思って一気に飲み込んだ。
一つ屋根の下で
「どうだい、あの娘のあんべえは?」
吾郎が河岸に出かけようとすると、トメさんに呼び止められた。
「あの女ば嫁さんにせんね。一晩でも一つ屋根の下で寝れば、いくら女嫌いの吾郎でもちっとはみょうな(変な)きしょく(気持ち)になったろもん」
「と、突然何ば言い出すと。あん人はたまたま転げ込んできた客人じゃなかか。嫁にしろてんなんてん…」
「そうかい、そうかい。そう言うおまえの頬ぺたが夕焼けのごつ赤こうなっとるがね」
トメさんはここらでは評判の世話焼き婆さんである。100組めの縁組は男前で働き者の吾郎と決めていた。吾郎にはこれまでにも10を越す縁談を持ち込んだが、「もっと美人ば持ってこんね」と、まるで相手にしてくれない。
素性も知れず
カツとの同居生活が始まって、吾郎はよく働いた。そのうちに、カツのいない生活など考えられなくなり、タイミングを見て求婚した。彼女とて命の恩人からの申し入れを断れず、「私のような者でよければ」ということにあいなった。
時間が経つにつれ、吾郎の心配が膨らんだ。いまだにカツがどこから来たのか、彼女がつくる味噌汁はどうしてあんなにうまいのか、何も知らされていない。味噌汁については一度だけ、「出汁(だし)は何ば入れとると?」と訊いたことがある。すると突然彼女は不機嫌になり、「私のすることにいちいち干渉せんでください」と念を押された。大川市榎津の街中
だが、彼女の体が日に日に細くなっていくのが吾郎には心配で仕方なかった。
出汁の秘密は
そんなある早朝、小便がしたくて目が醒めた吾郎。台所ではカツが既に起きていて火吹き竹で竈の火を起こしている。小便をしばらく我慢して耳を澄ませていると、今度は味噌汁鍋に具を入れる音が。薄目を開けて台所を見たら、障子にカツの影が。彼女、竈の上によじ登って鍋の中におしっこを垂らしている。たまらず起きだした吾郎、
「こら! おまえは何ちゅうこつばするとか! 亭主にしょんべんば飲まする気か」
吾郎の大声に仰天したカツが竈から飛び降りた。
「だから、私のすることを覗かないでとお願いしたのに…」
蚊の泣くような声で恨みを言うと、カツは裏戸から外に飛び出した。
「駄目だ、おまえはかけがえのない女房だ」
反省した吾郎は寝巻きのままでおカツを追いかけた。
魚群が嫁さんを連れて行った
トメ婆さんも駆けつけた。二人は期せずして川下に目をやってたまげた。筑後川河口にできた巨大な中洲・大野島と対岸の間を流れる早津江川を、まるで津波のような勢いで大波が押し寄せてくる。よく見ると、津波ではなくて魚の大群であった。
魚は1キロの川幅いっぱいに整列して見る見るうちに向島に近づいてきた。水辺にはカツが宙を見据えたまま立っている。吾郎は我を忘れて葦の林の中を駆けた。
「駄目だ! 川に飛び込んじゃいかん。俺が悪かった、もう一度戻ってくれ!」
必死の叫びも届かず、カツはそのまま引き潮の早い流れの中に飛び込んだ。しばらく経って、浮かび上がってきたのは痩せ細ったかつおが一匹。それを、魚の大群が包み込み、再び川下の有明海に向かって消えていった。
「かつおじゃったつばいね、…おまえの恋女房は」
トメが、そっと吾郎の肩を叩いた。
「自分の身を削って出汁をとり、俺においしか味噌汁を食べさせとったつばいね、あの女は」
吾郎もまた、未練がましく川下を見つめたままだった。(完)
斉魚(えつ)やクツゾコなど豊富な海の幸に恵まれた有明海付近の人も、かつおやマグロなど回遊魚は知らない。この川は南シナ海や太平洋にだって続いているのだから、かつおが上ってきてもいいじゃない、と地元の人たちが考えた贅沢な話しかもしれない。
「鶴の恩返し」に通じる物語だが、僕のふるさとでは一捻りも二捻りもして筑後川と有明海をアピールした。この話を伝えたむかしの人は偉い。
大川市の向島は、国道208号線が福岡県から川向こうの佐賀県に通じる大川橋の袂の一角をいう。橋の上から下流を望むとまず目に入るのが、昔の国鉄佐賀線の昇開橋とすぐ脇の若津港跡。丁度汽船が通過する時間らしく、橋の中央部分が吊り上げられるところだった。目の前に迫って見えるのが大野島、その彼方に有明海が。
しばらく川岸を歩いていたら「斉魚料理有ります」の看板が目についた。とっくにシーズンは過ぎたというに。来年また書き換えるのが面倒なのか、と勝手な推理をして帰った。
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