伝説紀行 逃げた大蛇 朝倉市杷木


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第076話 02年09月08日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

逃げた大蛇

福岡県杷木町


杷木町から望む耳納連山、その向こうが星野村

むかしの人は、山から流れ来る小川の水を桶に汲んで、天秤棒で担ぎ坂を登り下りしながら田畑を潤した。切ないくらいに辛抱と体力を強いられる仕事であった。だから、水を粗末にすることは許されなかった。洪水で田んぼが流されると、「あれは水神さまが怒っているから」と思い、日照りが続いて農作物が枯れたりすると、「神への信仰が足りないからだ」とふさぎこんだ。
 だから、山の上の池には水神さまが宿っていると信じてこれたのだ。

大蛇は光るものがお嫌い

 ここは筑後川の支流・赤谷川のまた支流の乙石川べりにある中村という小さな集落。村の周囲は標高700〜800bの山に囲まれ、谷間に連なる段々畑(棚田)が美しい。
「広蔵山のテッペンのの池(とうのいけ)に、ピカッと光るもんばいっちょん好かん(大変嫌いな)大蛇がおるげな」
 由蔵が幼馴染の金蔵に、突然妙なことを言い出した。
「それがどげんした?」
「俺はあげなこーまか(小さな)池に大蛇てんなんてんおるわけなかち思うちょる」
「大蛇はおるげなよ。祖父ちゃんも親父もそう言っとった。そこん大蛇は、田んぼに水が必要なときに雨を降らせ、多すぎたら川に流す水の量ば調整してくれるありがたーい大蛇げなばい」

試しに鎌を投げてみた

「よーし、決まった」
「何が…?」
「賭けよう。あん池にほんなこつ(本当に)大蛇がおるかおらんか。賭けに勝ったもんがおミチちゃんば嫁さんにする」


豪雨災害前の中村地区

「それはよかばってん…」
「大蛇は光るもんが好かんとじゃろ。おまえが納屋から鎌ば持ち出せ。それを塔の池に投げ込んで見ればわかる」
「どうして、俺が?」
「おまえが大蛇はおるち言うたけんたい。そげなもん迷信と思うちょる俺が投げ込んでも意味がなか」
 金次は納得しないまま由蔵の言いなりになった。
「何やってんだ?」
 背中で大声がして金次は慌てて振り返った。
(あぜ)の草が気になって…」
「殊勝なこつじゃな」
 日頃何かと言い訳ばかりして野良仕事をさぼる息子が納屋から鎌を持ち出すのを見て、父親の寅吉が感心した。胸をなでおろしながら家を飛び出した金次は、由蔵と落ち合って塔の池へ。

突然激しい雷が

「よかね、光る鎌を見て大蛇が出てきたらおミチちゃんはおまえのもん。もし何にもなかったら諦めるとばい」
 肝心の彼女の意思などそっちのけで争うあたりが、いかにも山の中の話。
「天気はよかし、夕方じゃけん、ここまでは誰も登ってこん。金次、今だ、鎌ば投げろ!」
 言われるままに金次は持ってきた鎌を池の中央めがけて放り投げた。
「な、何にも出てきはせんじゃろが」
 勝負は決まったと、二人が池を離れて里に下りかけたそのときである。
「うぉ〜ん、うぉ〜ん」
 池の方から野太い、気持ちの悪い声が聞こえた。声を合図にして、あれだけ晴れ渡っていた空が突然暗雲に覆われ、あたりが夜中のように暗くなった。黒雲は渦を巻き、無数の稲妻が交差した。
「どうしたんじゃ?」
「わかるもんか、俺にも何が何だか…」

大蛇は雲に乗って

 二人が呆然とする目の前で、信じられない光景が展開された。黒い雲は少しずつ池の水面近くに降りてきた。池は嵐の海のように波うち、轟音とともに中央部分が盛り上がった。そこに2本の大きな角を持ち、4本あるそれぞれの足には鋭い爪を尖らせた大蛇が浮かび上がった。全長20メートルはあるだろう、銀の鱗をくねらせながら、全身を水上に浮かせた。そして、瞬きする間に大蛇は黒雲に乗り移った。
 雲に乗った大蛇は、金のをぎらつかせ、耳まで裂けた真っ赤な口から炎を噴出し、何度も「うぉ〜ん、うぉ〜ん」と唸りながら下界を見下ろした。その姿と鳴き声は、まさに何より嫌いなものを見せられた怖ろしさと、信じていた者に裏切られた悲しみをいっしょにしたように金次と由蔵には映った。
 大蛇を乗せた黒雲は、塔の池の周りを3周すると、そのまま南を目指して飛んでいき、筑後川を跨いで遥か彼方の耳納連山の向こうに消えた。

干ばつが来て、大蛇捜し

 それからというもの、広蔵山周辺にはまったく雨が降らなくなった。棚田が一番水を欲しがる7月には、とうとう塔の池が干上がってしまった。川に水がなくてはせっかく植えた稲もすべて立ち枯れだし、農民たちの飲み水さえ危ない。
「金次、ちょっと来い」
 父親の寅吉が金次を睨みつけた。その迫力に押されて金次はあっさり塔の池に鎌を投げ込んだ一件を白状した。
「こりゃ、おおごつ(大変なこと)になってしもうた。大蛇さんに悪かこつばしたけん罰があたったとたい」
「早う大蛇さんば見つけてお詫びばせにゃいかん」
 大蛇の有り難さを知っている年寄りたちは右往左往。それからというもの、村総出で逃げた大蛇の捜索が始まった。三隈川(日田)から城島まで、筑後川の上流から下流まで探し回ったが、(よう)としてその行方はわからなかった。
「おまえたち、そのときのこつばちゃんと思い出せ」
 寅吉は金次と由蔵を正座させて、大蛇がどちらに向かって消えていったかを追及した。そこで、黒雲に乗った大蛇が南方に聳える鷹取山に向かったこと、そこで姿が見えなくなったことを思い出した。

膝まづいて大蛇に謝る

 村の者が手分けして鷹取山周辺を隈なく探したがわからない。そのうちに大蛇が星野村の麻生池に沈むのを見たと言う人が現われた。村人たちは大池の岸にいた。池にはお神酒を流して、「何とか塔の池に帰ってくれんでっしょか」と頼みこんだ。だが、いったん臍(へそ)を曲げた大蛇は姿さえ見せようとしない。


枯れることのない麻生池

「もう、決してあなたに悪さばしまっせんけん」
 金次と由蔵が手を合わせて一生懸命拝んだが駄目。
「そんなら、帰ってこんでんよかけん、どうか雨だけでも降らせてください」
 村の衆が池の山を後にして中村に戻って間もなく、塔の池のあたりに雨が降り出した。池の水は乙石川を駆け下り、枯れかけていた稲を生き返らせた。
 それからというもの、中村の人たちは星野の麻生池へへ「大蛇さま詣で」を欠かさなくなった。そのお陰か、塔の池には水が溜まり、以前のように調節しながら田んぼを潤してくれるようになった、とさ。(完)

 杷木町役場の方に頼んで同行してもらい、乙石川を遡っていったら、一面棚田が連なり稲穂が重たそうに頭を垂れる場所に出た。そこが中村という集落である。何軒もない民家のご主人に来意を告げたら快く塔の池までジープで案内してくれた。山道は高くなるほど狭くなり、一人でマイカーを運転してこなくてよかったと胸をなでおろす。
 問題の塔の池は今はなく、それらしい跡だけが残っていた。少し不満げに南を望んだら、眼下に油絵を連想させる広々とした田園風景が。中央を筑後川がゆったりと横切り、その向こうには、大河と並行するように耳納連山がどっしり横たわっていた。連山の中央部には標高802bの鷹取山が天を突いている。あの山の向こうが八女郡星野村で、そこに池の山の麻生池があるはず。
 農民にとって家族の次に大事な田んぼの水を粗末にした報いが如何なるものか、目の前の遠景が何より説得力をもって訴えていた。ところで、大蛇の存在を恋人争奪の賭けに使った金次と由蔵はその後どうなったか。案内してくれた役場の方も中村の人も「そんな作り話ば…」と、付き合ってくれなかった。

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