伝説紀行 若づくりの婆しゃん 筑後地方


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第72話 02年08月11日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

水車小屋のババしゃん

福岡県久留米市


むかしの水車小屋

 つい50〜60年前まで、川のあるところどこにでも水車小屋があった。籾(もみ)を精米したり、麦を粉にしたり、川の水を田んぼに汲み上げるのもみんな水車の仕事だった。農家にとって貴重なエネルギーだったわけだ。今回は、筆者の生まれ故郷の標準語(別名地方弁ともいう)をじっくり味わってもらおう。青字は、上段の共通語翻訳です。

婆しゃんは若つくり

 もう100年もむかしだったか、三潴郡荒木村(現久留米市)の水車小屋には、65歳になる賢太郎爺(じっ)ちゃんと60歳のお袖さんが夫婦仲良く暮らしておった。
 今日もお袖さん、鏡の前で白粉(おしろい)塗りに余念がない。顔がすむと今度は着物を何枚も引っ張り出して品定め。どれもこれもど派手なものばかりだ。このお袖さん、他人(ひと)から年寄り扱いされることが大嫌いな性格の婆さんなのである
「たいがいにせんか。おまいがどげん若っかかっこうばしたっちゃ、60は60たい」
いい加減にしなさい。おまえがどんなに若いなりをしても、60歳は60歳だよ

 爺ちゃんが呆れ顔でお袖さんに注意した。
「何ば言よらすとじゃろか、こん人は。あたしゃっさいの、だりからでん、わっか、わっかち言われよっとばい」
なんということを。あたしは誰からも若い若いと言われていますのよ
「そげん言うなら、おまいがよかごつすりゃよかたい」
そこまで言うなら、おまえの勝手にしたらいい
 爺ちゃんはこれ以上逆らっても無駄と思い、さっさと村の寄り合いに出かけていった。写真は、水車小屋があった荒木川(広川)
「もーし、だりかおらっしゃれんの?」
ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか?
 しばらくして、表のほうから大きな男の声がした。

梨売りが来て

 ゴットン、ゴットン、水車が回る玄関先。
「何(なん)か用の? おどんなさいの、いまお化粧中でこう忙しかつじゃんの」
何か用ですか? あたしはいま身支度の最中で、大変忙しいんですのよ
「あのくさいの、ババしゃん。おどんな梨売りですもんの。丁度熟れ頃んごたるけん、ババしゃんにくろうてもらおうち思うて…」
あの…、おばあさん。俺は梨売りです。丁度熟れ頃だから、おばあさんに食べてもらおうと思って持ってきました

 梨売りは天秤棒から品物を下ろした。
「ちょびっと待たんの?。おまやいまなんばこいたか。ひょっとして、おどんがこつばババしゃんちこきゃせんじゃったか?」
ちょっと待て。あんたいまなんと言うた。もしかして、あたしのことをばあさんと言わなかったかい?
「そげん言いましたたい。そいが何(なん)かようなかったつじゃろか?」
そう言いましたが、何か不都合でも?
「ぞうだんのごつ。おどんがババしゃんてんなんてん」
冗談じゃあない。あたしのことをおばあさんだなんて

 お袖さん、真剣に怒っている。
「すんまっせん、言い直します。ババしゃんじゃ悪かなら、おばしゃん。そんならよかでっしょもん?」
すみません、言い直します。おばあさんじゃのうて、おばさん。それならいいですか?
「ほんなら訊くばってんさい。おみゃが目にゃ、おどんの年齢ないくつに見ゆんの? 正直に答えにゃばい」
それなら訊きますが、あんたの目には、あたしの歳がいくつに見えますか? 正直に答えてよ
「はーい、お言葉に甘えて正直に答えまっしょ。えーと、えーと、60…」
はーい、お言葉に甘えて正直に答えます。えーと、えーと、60…
「せからしか、早う帰らんの!」
もうあんたのことは知らない。早く帰って!
 袖さん、そばにあった高箒(たかほうき)を振り回した。

近所の人にわけを訊く

「なしてあのババしゃんなあげん腹かかっしゃたつじゃろか?」
どうしてあのおばあさんはあんなに怒るのかな?
 お袖さんに叩き出された梨売りは、田んぼの畦道(あぜみち)に座り込んで頭を抱え込んでいた。
「どげんしたつの?」
どうしました?
 田んぼ帰りのおかみさんが声をかけた。
「はーい、水車小屋のババしゃんにばさらかこなされて…。ばってん、あげんおごらっしゃるわけがわからんとです」
はーい、水車小屋のおばあさんにたいそう叱られて…。だけど、あんなに怒られるわけがわかりません

「あんたさい、お袖さんに歳ば言わされたろ? そっで、何んち答えたつね?」
あんた、お袖さんに歳ば言わされたでしょう? それでいくつと答えたの?
「はーい、正直に言えち言わっしゃるもんじゃけ、思うたごつ、60ち言うたつです。そしたら雷さんがさでくりおててこらっしゃった」
はーい、正直に言えと言われるものだから、思うたとおり60歳と言いました。そしたらとたんに雷さんが落ちてきて
「ハハハハ……」
 おかみさんが笑うこと笑うこと。
「何がそげんおかしかですか?」
何がそそんなにおかしいですか?
「あのくさいの、お袖さんにほんな歳ば言う人がありますもんか」
あのね、お袖さんに本当の歳を言う人がありますか

婆しゃんに再挑戦

 田んぼ帰りのおかみさんが立去ったあと、梨売りはしばらく考えた。
「こげんなったら、意地でんあのババしゃんに梨ば売りつけんこつにゃ気がすまん」
こうなったら、意地でもあのおばあさんに梨を売りつけないと俺の気がすまん

「もーし、梨売りです。おらっしゃんの」
もーし、さっきの梨売りです、おられますか?
「ほんなこつせからしか男ばいね。何べん来たっちゃ梨や買わんち言うたろが」
ほんとうにあんたはしつこい人ね。何度来ても、あたしは梨は買わないよ
「うんにゃ、そげなこつじゃなか。さいぜんなおりが間違うたこつば言うたけん、謝りにきたとです」
違うんです。さっきは俺が間違ったことを言うたから、謝りにきたんです
「何(なん)ば間違うたち言うとか?」
間違ったこととは?
「オクサマのお歳ば…。例えぞうたんち言うたっちゃ、言うてよかこつと悪かこつがあるこつに気がついたとです。このとおりですけん、オクサマ。こらえてくれんの」
オクサマのお歳を…。冗談とは言え、言っていいことと悪いことがあることに気がついたんです。このとおりですから、オクサマ。許してください

「おどんがオクサマちの。そげん言うなら、もういっぺんだけ訊き直しますばい。よかの、ほんなこつはおどんが歳はいくつに見ゆっとかの?」
あたしがオクサマって? あんたがそこまで言うなら、もう一度だけ訊きなおしますよ。いいですか、本当のところあたしの歳はいくつに見えるの?
「はーい、ほんなこつは九つ…」
はーい、九つ…
「いくらなんでちゃ、おどんなそげな幼子じゃなか。言い過ぎばい」
いくらなんでも、あたしはそんなに若くはないですよ
「違うとです。九つに十ばたして十九…、それに…二十、…二十一」
いいえ。九つに十をたして十九…、それに…二十、…二十一
「おどんな、十九か二十、二十一ちの? よか、そん籠ん中ん梨ばみんな置いていかんの」
あたしが十九、二十、二十一って? いいよ、そこにある梨をみんな買いましょう

婆しゃん、いくつ?

 夕方、寄り合いから帰った賢太郎爺ちゃんが、座敷に積んである梨の山を見て驚いた。
「どげんしたつか、こりゃ?」
どうしたの、こりゃ?
「そりゃっさい。あんたが出ていったあとにきた梨売りがくさい、おどんがこつばばさらか若う見ゆるち言うもんじゃけん、きしょくのほんにようなってみんな買うてしもたったい」
それはですね。あんたが出ていったあとにやってきた梨売りが、あたしのことをたいそう若く見えるって言うもんだから、気持ちよくなってみんな買ってしまいました

 呆れ顔の爺ちゃんが質した。
「ほんなら訊くばってん、そん梨売りゃ、おまいが歳ばいくつに見ゆるち言うたつか?」
それなら訊くが、その梨売りは、おまえの歳をいくつに見えるって言ったのか?
「そいがっさい、おどんが顔ば惚れ惚れしながら見つめち、十九、二十、二十一ち」
それがですね、あたしの顔を惚れ惚れしながら見つめて、十九、二十、二十一って
 途中まで聞いていた爺ちゃんも、自分の嫁さんをどうたしなめたらよいものか、言葉を選び始めた。
「おまや、そん梨売りにたてがわれたつたい」
おまえは、その梨売りにあしらわれたのだ
「どげんしての?」
どうして?
「よかか、よう考えてみ。十九、二十、二十一じゃろ。19+20+21=…、いくつになったか?」
いいか、よう考えてみ。十九、二十、二十一だろう。19+20+21=…、いくつになったの?
「えーと、ありゃりゃ、丁度60、おどんがほんな歳とおなしじゃんの」
えーと、ありゃりゃ、丁度60、あたしの本当の歳と同じじゃないの
 さあ、水車小屋の老夫婦、大量に買い込んだ梨の始末に大困り。(完)

 子供の頃の記憶をたどって水車小屋のあたりを歩いたが、もちろん、跡形さえ確認できなかった。通りがかりの奥さんに尋ねたら、「あたしゃっさいの、途中から嫁にきたつじゃけん知りますもんか」と相手にしてくれない。
 諦めて、佐賀県神埼町立の水車の里を訪ねた。そこにはあるある、大小さまざまな昔の水車が。実際水車を回して米をついたり製粉したりするらしい。周りの水田を眺めたら、ことしも稲は元気で大豊作間違いなし。
 ところで、今回登場する「ババしゃん」だが。漢字で書くと「お婆さん」「お祖母さん」と両方に使い分ける。前者は一般的にお年寄のこと。後者は孫から見た呼称であろう。子供の頃、うちの60歳のお祖母ちゃんは本当にお婆さんだったように記憶している。自分がその年齢になって、これまた同じ歳の連れ合いの顔を眺めてみる。「冗談じゃありませんよ、あたしはまだ若いんだから」と睨みつけながら、連れ合いは鏡台のほうへ去っていった。

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