伝説紀行 助べえカッパ 柳川市
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
奥方のお尻を触るカッパ 福岡県柳川市
掘割はカッパの天国 縦横に張り巡らされたクリーク(堀割)をのんびり旅するどんこ舟。なまこ壁の土蔵と独特の民家形式。北原白秋や壇一雄ら文学者が集った町。うなぎ料理に有明の珍味…、数えれば「名物」づくしの柳川である。そんな柳川に名物がもう一つ。堀割に棲むカッパの存在だ。もっとも、カッパという妖怪は、めったに人前に姿を現さないのだから、「名物」と定義するのもいかがなものか。 厠に妖怪が 江戸時代、柳川藩の中級武士である戸波芳蔵の屋敷で奇怪な事件が勃発した。夜更けに 「手を返せ」とカッパが哀願 「これが、切り取った妖怪の腕でございます」 どこに消えたかカッパの手 「カッパさん、もう諦めなさい。一度体から離れた手は元には戻らないのですから」
それからというもの。芳蔵の屋敷には毎夜毎夜カッパが現れ、なにやらおぞましい節回しで踊りまくるようになった。最初は2匹、そのうち4匹、8匹と倍々にその数を増し、庭中がカッパだらけで朝方まで続いた。 |