伝説紀行 金丸川のカッパ 久留米市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第65話 02年06月23日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
金丸川のカッパ

福岡県久留米市


現在の金丸川

 大むかし、カッパは筑後川のどこにでも住んでいた。一口にカッパといっても、その性格は地域と環境によって大きく異なる。あるときは溺れる子供を助ける善玉であり、またあるときは一変して人間に災いをもたらす疫病神にもなるからだ。
 今回は、子供の頃よく聞かされた「カッパの手」の話し。ほんとうにカッパの手を見たと言う人もあれば、「あれはくさい、なんかほかの動物の手げなばい」てな具合でさまざまだ。当のカッパにしてみれば、たった2本しかない片方の手を誰かに持っていかれたらたまったものじゃない。そこで、「カッパの手」奪取作戦が展開される。
 舞台は現在の久留米市津福町。江戸から明治にかけては津福村といった。400年も前、筑後の大名だった田中吉政さんが久留米と本拠地柳河を結ぶ、通称「柳河街道」を造られた。その街道の久留米側入り口あたりである。

草刈り中に悪寒

「あんた、きょうは馬鹿に早かね。どうしたと?」
「………」
 いつもは暗くなってしか帰らない亭主の寅吉が早帰りして、女房が驚いている。実は寅吉、(まぐさ)刈りの途中に、寒さとだるさが体じゅうを襲ってどうしようもなかったのだ。
「よいしょっと」
 寅吉は背中の籠を下ろし、中の草を(うまや)に放り投げた。夏草の臭いが鼻から胸まで駆け巡っていまにもぶっ倒れそう。
「ありゃ、こりゃなんじゃろか?」

 草に混じって、毛むじゃらの棒きれみたいな物が転がり落ちた。

真夜中にシュプレヒコール

 夜も更けて、寅吉は寒気がおさまらず目を覚ました。すると、庭のほうから何やら聞き慣れない騒ぎ声が。そっと起きだして雨戸の節穴から外を見た。10匹のカッパが庭いっぱいに輪を描き、両手を上げて踊りまくっている。口々にわけのわからないことをわめきながら…。
 彼らのわめきをよくよく聞くと、「手を返せ!」と言っているようだ。1匹だけは片手しか上げていない。一方の手が根元から千切れている。
 カッパの大将らしいのが「手を返せ!」と発生すれば、残りのカッパが「手を返せ!」と唱和した。まるでデモのときのシュプレヒコールみたい。輪を描きながら繰り返す「手を返せ!」の合唱はいつ果てるともなく続いた。
「手を返せ」と言われても、カッパの手など見たこともない。「やかましか! さっさと失せろ!」先ほどまで10匹だったはずのカッパが、いつの間にか倍の20匹に膨らんでいる。カッパの輪は、最初はスローだったのがだんだん早くなった。ときには左回りが右回りに転換したりもする。

変な感触

「なんじゃろう、あいつらの言うカッパの手とは…?」
 布団に潜って暗闇の中で考え込んだ。
「そうだ! で転がり落ちた、あれが…」
 毛むじゃらの棒きれみたいなもの、あれがカッパの手だったのか。それでは、いつ、どうして俺の籠に紛れ込んだのか?
写真は、金丸川の河口あたりの筑後川大堰
 寅吉は布団に座りなおして今日一日のことを思い出そうとした。昼過ぎになって、刈りおきのが少ないので、金丸川縁に出て柔らかそうな草を刈りにいった。
 あのとき俺は確かにを入れる籠を担いでいた。岸辺で草を刈っているとき、何かグニャっとするものを鎌の先に感じたような気がする。ひょっとして、あのときそばにカッパがうろついていたのかもしれない。そこで草といっしょに手を切り落としたのかも。そして、背中の籠に放り込んだ…。その直後に悪寒が走った。

水天宮さんに助け求む

 カッパは(たた)るものだと村の物知りから聞いたことがある。そうなんだ。手を切り落とされたカッパが、俺の体に潜んで暴れまわってるんだ。再度庭に戻った寅吉は、カッパに言い放った。
「俺が悪かった。ばってん、一度切り落とした手ば返せち言われたっちゃ(言われても)どんこんこんこんならん(どうしようもない)。どげんしたらよかもんか、あした、水天宮さんに行って相談してくるけん、それまで待っちくれ」
 すると、20匹のカッパは潮が引くように金丸川のほうに消えていった。寝間に戻って女房の寝顔を伺うが、相変わらず寅吉の心配ごとなど知らぬげ。
 翌朝、寝ぼけ眼の亭主を見て女房が心配顔。
「熱はまだひかんとね? 熱だけじゃなかごたるね、なんか考えごとでもあると?」
 そんなはずはない、あんなに大騒ぎしたカッパの合唱と、隣にいる自分が起きたり寝たりを繰り返したことに、いくらのんびりやの女でも気がつかないはずはない。それとも、俺が勝手に夢を見ていたのか。ほんとうはカッパなど出現していなかったのか???
 何はともあれ、寅吉はの隅から変な毛むじゃらの棒きれを取り出すと、桐の箱に大事に納め、酒樽をぶら下げて水天宮に向かった。昨日の寒気はまだ完全にとれてなく、千鳥足ならぬフラフラ足で筑後川の土手を歩いていった。
 カッパどもは、その晩から寅吉の前に現れなくなった。(完)

 金丸川が筑後川に注ぐあたり、江戸時代初期に久留米藩の普請奉行であった丹羽頼母(にわたのも)が、対岸の千栗の土居に対抗して築いた「安武土居」があったところ。筑後川が大きくカーブを描き、福岡市方面などへ飲み水を送り込むための筑後大堰が見通せる。
 金丸川の両岸はコンクリートで固められ、「おーいカッパ君、出て来い!」と呼んでも現れそうにない。瞼を閉じたら、ようやく1匹のカッパが陸に上がってきた。「何か用か?」と尋ねるので、「おまえのことを伝説紀行に登場させるが、さて、おまえを善玉とするか悪玉に仕立てるか迷っている」と答えた。
「そんなの勝手にしやがれ。それより、国道交通省に言って、あの大堰を取り払うように言ってくれんか。そうでなきゃ、川下から上ってくる小魚も食えないし、カッパ族は死滅するしかなか」だと。
「わかった、わかった、今度扇千景君(当時の大臣)に会ったらそう言っとくよ」なんてホラ吹いたら、カッパの奴、あっという間に水中深く消えてしまいやがった。

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