伝説紀行 おせん荒籠 久留米市


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作:古賀 勝

第064話 02年06月16日版

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             【禁無断転載】
        

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

おせん荒籠(あらこ)

福岡県久留米市(城島町)


頼母荒籠(久留米市)

 夏ですから、少し怖いお話しとまいります。それも江戸の女が久留米で殺される。男の我がままと女の一途が産んだ悲劇の結末は…
 時は慶応から明治に移って間もなくの頃でございます。筑後川岸の江島(現城島町)から突き出た荒籠(あらこ)に、若い女の他殺体が引っかかっているのが発見されたのです。

 久留米藩の御徒が遊女と恋をした

 300年続いた徳川の世も終ろうとする頃、久留米藩の江戸屋敷(現東京都港区三田)内に奉公する御徒(おかち)の八太郎は、品川あたりの遊女屋に入り浸る日が多かった。
 そんな折、知りあったのが遊女のおせんである。
「お前のような気の優しい女は初めてだ」
 正直、その時はそう思っていた。身分もわきまえずに、おせんを身請けして、高輪のあたりに住まわせた。藩の掟では、身分の低い御徒が勝手に女と同棲することなど許されなかった時代である。
 そのうちにおせんが男の子を産み落とした。隠れ宿に出入りする八太郎を同僚に見られてしまったから、始末がおえなくなった。お咎めを恐れた八太郎は、ある晩江戸屋敷から出奔した。写真は、当時の久留米藩江戸屋敷
「急に国元に帰れとの命令が出た。必ず迎えに来るから、それまで息子の正次郎を頼む」
 八太郎は、おせんにそう言い残して江戸を発ち国元に向かった。久留米についた八太郎は、下野村(現佐賀県鳥栖市下野)の知り合いの家に転がり込んで、再仕官の機会をうかがった。

御徒(おかち)徒侍(かちざむらい)ともいう。江戸時代の最下級侍。

女が恋人を訪ね

 それから3年、明治維新を迎えた。下野に居候をする八太郎は、県の役人に取り入れてもらう寸前までこぎつけていた。
 一方、江戸に残されたおせんは、物心がつき始めた息子正次郎の手を引いて、遥か筑紫路を目指した。待てど暮らせど八太郎からの便りがなく、痺れを切らしての旅であった。久留米のお城で八太郎の行方を訊いたが、「そんなもんは、とっくに所払いじゃ」と冷たい返事。
 荘島にある彼の実家を訪ねたが、一度も戻っていないとのこと。力なく久留米を後にしようとしたおせんに、八太郎の兄嫁だという女が、「どうやら下野のあたりに潜んでいるらしい」と教えてくれた。
 渡し舟の向こうが下野村。おせんは八太郎が住んでいる家を見つけた。写真は、水天宮そばの瀬の下の渡し跡
「あなた、会いたかった。ほら、正次郎もこんなに大きくなったのよ」
 おせんは八太郎に飛びついて泣いた。
「悪かった、俺が悪かった。もっと早くお前らを迎えに行かなきゃならなかったのに…」
「いいの、そんなこと。これからずっと父子水入らずで暮らせるんだから」
「おせん、すまないが、ここはまずいんだ。あとで連れに行くから、大川の栴檀島(せんだんじま)で待ってておくれ」

慕う妻を袈裟切りに

 栴檀島は下野からすぐ近くの筑後川の中にできた中州である。今はその姿はないが、浅瀬が広がり葦の葉が繁る淋しいところであった。
 陽が落ちても、八太郎はなかなか現われなかった。初夏とはいえど夜になると冷え込む川辺である。それに、先ほどから小ぬか雨もひっきりなしに降っている。
「もうすぐお父ちゃんが来るからね。お腹すいたろうが、辛抱して」
 おせんは、正次郎に自分の上っ張りをかぶせてやりながら、むずかる息子をあやした。
 その時背後から、「おせん、許せ!」の声がした。振り返ろうとするおせんを、八太郎の剣が袈裟斬りに。
「あなた、お願いです。正次郎だけは助けてください」
 やっと一言、子供の命乞いをして、おせんは事切れた。彼女はこうなることを予感していた風であった。
「すまねえ、お前と一緒だと、俺の仕官がかなわねえのよ」
 八太郎は、そこに息子の正次郎が泣きながら座り込んでいるのにも気づかずに、繋いであった小舟で瀬ノ下に渡った。

死んだ女が隣に座った

 岸に上がっても寒さと恐怖と懺悔で震えがとまらず、八太郎は水天宮脇の夜泣き蕎麦屋に入った。
「いらっしゃい」
 店の親父が元気よく迎えて、出来立ての蕎麦を3人前置いた。
「親父、一人前でいいんだぜ」
 八太郎が2個のどんぶりを返そうとすると、親父ににらみ返された。
「旦那、それはないでしょう。こんな寒い晩に、腹も減ってるだろうに。あんただけあったかい蕎麦を食べようってんかい。お隣のお内儀も坊っちゃんも、雨に濡れて震えてらっしゃるてえのに」
 親父の視線の先には、どう見たって人はいない。まして、先ほど斬り捨てたおせんなどいるわけがなかった。
「そうだ、正次郎は…」
 あの時おせんと一緒に斬ったのか、それともその場に置いてきたのか。栴檀島に取って返したが、おせん母子の姿は見当たらなかった。

毎夜亡霊に悩まされ

 ままならぬ自分の足を引きずりながら下野の家に帰ると、八太郎は布団にもぐりこんだ。それでも震えはとまらない。ウトウトしていて、夜中に目が覚めると枕元に女が正座していた。
「恨みますぞえ、八太郎さま」
 おせんの亡霊は翌日もまたその翌日も現われた。こうなると、悪でありながら気の弱い八太郎のこと。生きている心地もしなくてフラフラと水道町の番所へ。「実は…」、江戸屋敷を脱走してから、栴檀島でおせんを殺めたことを白状した。
「お前だったのか、ひどい殺し方をしたもんだ。江上の荒籠に引っかかっていた仏さんの傷みようはひどかったぜ。お前は鬼か、それとも蛇か!」
 調べに出た役人が、改めて八太郎の顔を見直して、身震いした。
「お役人さまにお尋ね申し上げます。仏の近くに5歳くらいの男の子の死体はありませんでしたか?」
「そんなものはねえ。行方不明や迷子などの届けもねえ。悪いことをして、お前の頭が変になったんじゃないか、子供の事を言い出すなんて…」(完)

 荒籠にかかったおせんの水死体を引き上げた江上村の漁師は、番所に届けた後、懇ろに埋葬した。
「この水量だもんな、栴檀島で殺されりゃ、3里下流の江上村まで流されるの訳ねえわ。あそこに荒籠があったからよかったぜ。そうじゃなきゃ、有明の海まで流されて、魚のご馳走になるとこだった。なんまいだ、なんまいだ」 それから誰言うとなく、おせんが流れ着いた石組みを「おせん荒籠」と呼ぶようになったそうな。
 この恐ろしい話、多少の脚色はあるかもしれないが実話なのである。八太郎が久留米の処刑場で獄門に処せられた記録まで残っているのだから間違いない。それでは「八太郎」というのは本名かというとそれは怪しい。何故なら、わずか130年前の話であり、子孫の人権も考えて、仮名で伝えられたかもしれないのである。「子孫」とは・・・
栴檀島に取り残された男の子は・・・。

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