伝説紀行 洟たれ小僧さま 山川町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第061話 02年05月26日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
洟たれ小僧さま

福岡県山川町


2011年10月01日 飯江川岸の洟垂れ小僧さま

 有明海から矢部川を遡っていき、支流の飯江川(はえがわ)水源あたり。そんな山奥だからこそ、人々の神や仏に対する信仰はますます盛んであった。のどかな地域にいまも残るお話を一席。

信心深い花柴売り爺さん

 谷間を流れる飯江川のほとりを徳兵衛爺さんが重い足どりで戻ってきた。爺さんは、近くの山から花柴を採ってきては、南関の街に売りにでかけて生計を立てている。ひもじくて泣いているいる幼な子がいれば、売上金の中から饅頭を買って与えたりするものだから、街では評判の爺さんであった。だが、このところの不景気で、柴がなかなか売れない。
「これも、わしの信心が足りんからじゃろう」

 徳兵衛さんは、近くを流れる飯江川におられる水神さまを心から信奉している。
「水神さま、水の中はさぞ寒かこつでっしょ。花柴でもながめて心だけでん温めてください」
 徳兵衛さん、売れ残りの柴を川の中央に放り投げた。土手に上がって女房のマサ婆さんの待つ家路につこうとした。すると、後ろから白い衣を着たそれはもうこの世の人とは思えないほどにきれいな婦人に呼び止められた。
「私は飯江川を守る水神さまの使いのものです。貴重な花柴をくださり、神さまも大変喜んでおられます。何かお礼をするようにと…」
 女の後ろには十歳くらいの男の子が立っている。その子ときたら、婦人とは不釣合いの粗末ななりをしていて、顔や手などあかぎれだらけ。おまけに鼻からは見事な青洟(あおばな)が二筋。
「ここにいるは、水神さまに仕える子供です。頂いた花柴のお礼にと、神さまからあなたへの贈りものです。この子に立派な着物を着せたり、ご馳走をやる必要はありません。ただ、毎日飯江川にいるエビを食べさせてください。それではご機嫌よう」
 きれいな女は、青洟垂らした男の子を残して、徳兵衛さんの前から姿を消した。写真は、飯江川ほとりに建つ洟たれ小僧様の社
「何の、こりゃ?」

 マサ婆さんは、爺さんが連れてきた男の子を見るなり顔を背けてしまった。それほどまでに青洟の臭いが部屋中に篭ってしまったのだ。徳兵衛さんからわけを聞いて納得したマサ婆さん、きれいに体を洗ってやり、自分たちの子供として育てることにした。着物は夫婦のお古を縫い直し、食べ物はすぐそばのエビを獲って食べさせればすむこと、こんな楽な授かり物はないと心から喜んだ。

たちまち大金持ちに

 そうこうする内に、徳兵衛さんの家では明日食べる米さえなくなってしまった。
「2、3日分でよかばってん、米が欲しか。なあ、洟たれ小僧さん」
 かんでもかんでも青洟垂らしが治らず、黙って座ってばかりいるだけの「洟たれ小僧さま」に、徳兵衛さんがつい愚痴ってしまった。
 すると、突然徳兵衛さんのあばら家がぐらっと揺らいだ。震源地の米びつを覗いたマサ婆さんが腰を抜かした。なんと、そこには真っ白の米が山盛り。
「こりゃどうしたこつかんも?」
 夫婦はキツネにでもつままれたように目を白黒。
「米の重さで家が傾きそうばの、爺さま」
 マサ婆さんの悲鳴に、徳兵衛さんも頷いた。
「もっと大っか家が欲しかね」写真:飯江川と集落
 言葉が終わるか終わらぬうちに、あばら家の前に総桧(そうひのき)造りの豪邸が出現した。黒瓦のテッペンには雄と雌の金の鯱鉾(しゃちほこ)が。
「家ばっかり大きかたっちゃどもならんばの。大きな家にふさわしか金が欲しかね」
 すると、座敷いっぱいに金銀財宝が。「財宝を入れる蔵も…」と言えば、裏庭に村一番の分限者を象徴する蔵が。「界隈の田地田畑がみんなわしのものにならんもんか…」で、三池一円の畑が徳兵衛さんの名義に。畑を耕す農夫まで何百人もついてきた。

長者になって恩忘れ

 気がつけば、徳兵衛さん夫婦は超豪華な屋敷の中でふんぞり返る殿さまになっていた。肝心の洟たれ小僧さまはと言うと、あいも変わらずぼろ着のままで、例の青洟もかまわず、離れのあばら家に放置されている。
「稼ぎが悪うて何も食うとらん、米ば少し恵んでくれんでっしょか」
 幼馴染みの次郎助が頼みにきた。(写真は、小僧さんの脇を流れる飯江川)
「他人にやるぐらいなら、馬に食わせるばい」
 金ピカの着物を羽織った徳兵衛さんが次郎助を追い払った。
「あんたくさい、あん洟たれ小僧さまにきょうはエビばやっとらんめえが。こげんよか暮らしがでくるのも、あの小僧さまのお陰じゃけんの」
 小僧さんに食べさせるエビは、爺さんが取ってきたものでないと食べてくれない。マサ婆さんに、エビをとりに行くように勧められるが、爺さんの腰はなかなか上がらなかった。
「よかくさい、1日や2日くらい」
「もう1週間も何も食べさせとらんですよ」

驕りのツケは

「せからしか(わずらわしい)ね、もうこげん分限者になったとじゃけん、小僧さまも無用の長物たいね」
 徳兵衛さんは小僧さまに向かって、水神さまの元に帰るよう言い含めた。途中まで見送って行った徳兵衛さんを、小僧さまは悲しそうに、またあるときは寂しそうに、そして軽蔑したような目で見返しながら川辺に降りていった。
「やれやれ、これで今日から、洟たれ小僧さまが食べるエビに悩まされんですむわい」
 そんなひとり言を呟きながら戻ってきて驚いた。先ほどまで聳えていた屋敷や蔵がどこにも見当たらない。広い田んぼやそこで働く使用人もいない。あるのは、小僧さまが来るまで住んでいたあのあばら家だけ。家の前には、むかしのボロ着をまとったマサ婆さんがうつむいたまま座っていた。 (完)

 山川町の洟たれ小僧さんは、九州自動車道を下りて北に少し進んだあたりの祠の中に祀られていた。周辺の道路脇には小僧さまの居場所を示す幟が何本も立っている。近所のおじさんが親切にも自宅の座敷に案内してくれて、「洟たれ小僧さま」の原画をコピーしてくれた。まさしく青洟をたれたりっぱな墨絵である。
 あるとき突然金持ちになったり位を貰ったりすると、人は必ず性格がおかしくなるから気をつけろという教訓話なのだろう。
あの青洟をたらした小僧の像を見て、気持ちが安らげば、旅もまた楽しくなるはずだ。

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