伝説紀行 北野の三千坊 久留米市北野


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第58話 02年05月05日版

2007.10.14
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。
誇り高き三千坊

福岡県北野町


かつて三千坊が君臨した陣屋川(旧北野町)

 学問の神さまとして有名な菅原道真(845〜903)が亡くなって、来年で(04年)丸1100年にもなるそうな。そこで公の墓所である太宰府天満宮ではさまざまな記念イベントの真っ最中。天才的な頭のよさがときの宇多天皇に認められて、権力の最高峰にまで上りつめた菅公であった。だが、政敵藤原時平の陰謀に遭って太宰府に左遷されることになる。太宰府では、勤務先の政庁から800b南の粗末な「南館」(現榎社)に押し込められた。
 京の都から同行した門弟の味酒安行(うまさかのやすゆき)とともに、来る日も来る日も、都に残した家族を思い、華やかだった過去を偲んでふさぎこんでおられた。 
 今回の物語は、そんな菅原道真公のある日のエピソードである。

馬に跨り千歳の川へ

「そんなことではお体に触ります。どうです? ひとつ遠出でもいたしませぬか。南方に筑前と筑後を分ける千歳川とかいう大きな川が流れておりますそうで。ゆったり流れる大川でも眺めていれば、気持ちも晴れましょうほどに」
 味酒安行は主人を愛馬の「シロ」に乗せ、自分も黒毛の背に跨った。南館から千歳川(筑後川)のほとり・北野荘までは4里(20キロ)。薫風を受けながら、師弟は南に向けて走り出した。昼過ぎには川のほとりに着き、飲み水を貰おうと農家に立ち寄った。接待する女が安行におかしなことを言い出した。
「あの川にはカッパがおりますけん、近づかんほうがよかですよ」


菅公の住まいがあった榎社(南館)

「カッパ? それは、どんな身分のものか?」
「いえ、人間ではありません。千歳川や陣屋川を巣にしている妖怪です。体は人間の格好をしていますが、頭にお皿を乗せて、背中には甲羅を担ぎ、緑色の皮膚をした不思議な生き物です。足には水掻きを持っとるけん泳ぎは得意中の得意ですたい。その上、カッパ族は誇りが高くて、人間よりはるかに偉い生物だと信じているからやっかいで…」
「どんな悪いことをするのかな、そのカッパとか言う妖怪は?」
「はい、川で泳いでいる子供を水中に引きずり込んで、尻の穴から(はらわた)ば引き出して食べたり、川を渡る舟をひっくり返したり、悪さのし放題です。そうそう、カッパはときどき陸に上がって、百姓さんがやっと実らせた胡瓜(きゅうり)やトマトば盗んだりもします。そのせいですかね、カッパに近づくと、その体臭たるや胡瓜の臭いがプンプン」

愛馬の足に変な生き物が

 半信半疑で川辺に出た主従は、太宰府からの走りっぱなしで汗をかいた馬に水浴びをさせた。シロも黒毛も生き返ったように水辺を走り回った。
 道真と安行がちょっと目を離したそのとき、「ヒヒーン」シロのけたたましい叫び声が響いた。なんと、あれだけ丈夫で水泳も得意のはずのシロが水の中に倒れこんでもがいている。よくよく見ると、シロの後ろ足に変な生き物が食らいついていた。
「カッパだ! カッパですよ、ご主人さま!あの女中が言っていた」
 安行が叫んだ。シロの足に絡みついている生き物は、頭に皿を乗せ、緑色の皮膚を持つ、まさしくカッパであった。それも1匹や2匹ではない。数えただけでも5匹はいる。彼らは、次々にシロの前足と反対側の足首を掴んで水の中に引き込もうとしている。
「シロになにをする、妖怪め!」
 安行は、腰の剣を抜くが早いかカッパに斬りつけた。緑の皮膚を真っ二つに割られた体からは白い血が噴出し、血は早い流れに乗って下流に下っていった。

役人が威張る世界は嫌い

「キイー、キイー」
 安行がもう1匹に斬りつけようとしたそのとき、周囲の葦原から奇妙な声を発しながら100匹、いや200匹はいそうなカッパの群れが踊り出てきた。
「わしの子分を斬るとは不届きな奴。見たところ、お前らは人間族のようだが、わしの名前を聞いて驚くな。わしは千歳川一帯を仕切るカッパの頭領・三千坊なるぞ。わしの子分はざっと3000匹」
 見るからに強そうなカッパは、相手が何にも訊かないのにさっさと自己紹介をしてしまう。


三千坊が活躍した陣屋川

「ほう、その三千坊なる妖怪がどうして馬に悪さをする。ここにおられるお方をどなたと心得る?」
 主人の身を守るべく、安行がいきり立った。
「知らぬでか。最近都から落ちてきた弱虫と評判の菅原道真だろうが。わしは人間が嫌いじゃ。特に肩書きを盾にして威張りくさる役人はな。貧乏人からはなけなしの金をむしりとるし、頼みもしないのに川のあちこちをいじくりまくってカッパや魚の棲家(すみか)を奪ってしまう。はたまた弱みに付け込んで袖の下を要求したががるのも役人じゃからな」
「違う、ご主人さまはそんな汚い政治家ではない。学問に秀でておられ、都では右大臣にまで登られたお方。先の勤務先の讃岐でも庶民に慕われる立派なお仕事をなされた」
「ふん、それもこれも自分の利益のためじゃろが。大むかしから、地球上ではカッパ族が一番の高等動物なんだ。だから、わしは日頃から子分どもに言って聞かせている。下等な人間ならいくらいじめてもよい、とな。わかったか、この腰抜け役人め」

カッパの本分は人助け

 三千坊の長セリフが終わるか終わらないうちに、安行の刀が鞘を離れた。瞬間、三千坊はその場にうずくまり、右手が砂浜に転がった。
「人間より偉いから何をしてもよいという、カッパの思い上がりが許せない」
 親分の片腕が切られたのを見て、カッパの数はさらに増えた。安行はかまわず三千坊の頭をめがけて振りかぶった。
「待ってください。命ばかりはお助けを」
 三千坊の女房らしいカッパがすすみでて、亭主の命乞いをした。
「旦那がいなくなったら、3000匹の筑後川のカッパは明日から生きてはいけません。カッパのことを人間社会では、悪の象徴でもあるかのように言いますが、それは誤解です。カッパは自然界の宝である川を守っているのです。畑の胡瓜をいただく代わりに、日照りのときにはカッパ族総出で畑に水をかけたりもします。子供が水に溺れそうなときは、カッパの連携プレーで救助します」
「先ほど聞いた話とはまったく違うではないか。カッパは子供の腸を抜き取って食べるのではないのか?」
「あれは人間が勝手にでっち上げた、カッパ追放のためのものです。子供の水難事故は、無謀にも流れの速いところで泳いだり、高いところから飛び込んで、川底の岩や切り株で怪我をするから起こるのです。そんなとき、助けようにも間にあわないこともあります」

水難事故がなくなった

「そうであったか。誇り高きカッパ族にも、人間社会と共存する意志はあるのじゃな」
「はい、それはもう。なあ、あんた」
 女房は三千坊の頭を押さえつけながら、必死で道真主従に訴えた。周囲に群がるカッパたちも、後ろから手を合わせている。
「わかった、もう斬らぬ。シロもそなたの話を聞けば許してくれよう」

 そんな事件があった後、北野荘では水難事故がなくなったそうな。あとで話を聞いた農民たちは、菅原道真主従に感謝し、公を神として崇めることになった。これが今の世まで伝わる「北野の浮流」だと町の物知り博士がおっしゃっていた。その道真さんも、太宰府到着から2年後の延喜(903)年2月25日には、失意のうちにこの世を去られた。享年59歳。写真は、北野浮立風景(境内案内板より)
 味酒安行は、師でもある道真公を南館から東北の方角に向かって葬った。そのとき埋葬された場所が現在多くの参拝客で賑わう太宰府天満宮本殿の真下である。道真公の訃報を聞いた北野荘の農民たちは、村をあげて朱雀大通りの脇にある南館に駆けつけたという。
 その美談を聞いた関白・藤原道隆のお子にあたる貞仙僧正は、お上に願い出て北野荘に京都の天満宮を勧請した。それが現在
北野町の町名の由来ともなっている北野天満宮である。
 北野天満宮には、あのとき安行が切り落とした三千坊のものと思われる「カッパの手」が、いまも大事に保管されているとか。(完)

5月にはいってすぐ、北野町の天満宮を訪ねた。西鉄甘木線の北野駅を降りて南に300bの場所に、樹齢1000年級の楠の大木に保護されるようにして神社は建っていた。広い境内には、池の鯉にえさをやっている母子と昼食中の工事の男たちがいるだけ。樹木もそうだが、建物や祠など、平安から鎌倉、戦国時代と、どれも京都や奈良に引けを取らない年代の説明が施してある。大楠や銀杏の新緑と鮮やかな朱に塗られた大門のコントラストがこれまたすばらしい。
 境内を出てすぐ横を流れる陣屋川の縁に座り込んだ。真夏を思わせる陽気のせいか、足元の草が特有の臭いを発散し、真っ赤なアザミが元気いい。川幅20bの陣屋川だが、三千坊が君臨した頃には、ここが3キロ南を流れる筑後川への河口だったそうな。雑草と葦が覆い被さる川面を眺めていると、いまにも「我こそカッパの頭領なるぞ」と三千坊が顔を出しそうな、そんな雰囲気をもった小川ではあった。
 毎年10月第3日曜日の北野天満宮秋のおくんち
(御供日)では、界隈の衆が集まって延々続く参道を舞台に「浮流(ふりゅう)」が繰り広げられ、人気を呼んでいる。
 ついでに、菅原道真公が押し込められた場所といわれる榎社に寄った。菅公
(菅原道真公の略称)没後1100年ということもあるのか、本殿は真新しい総桧材で模様替えされていた。境内には人っ子ひとりいない。天満宮や政庁跡地の賑わいとはまたなんと対照的なことか。少し気持ちが落ち込んだところに、すぐ脇を急行電車が轟音とともに走り去った。


10月の北野おくんち

太宰府天満宮のこと:学問の神様である太宰府天満宮は、菅原道真公を神として祀る神社である。「なんとか志望の学校に合格しますように」と合掌するあの本殿の下が、実は菅原道真公のお墓だとは。昔は道真を葬った安楽寺の跡だとか。
ふりゅう(浮立とも浮流とも書く):民族芸能のの群舞。念仏踊り・太鼓踊り・獅子踊・盆踊・奴踊など。=広辞苑
大宰府と太宰府の違いだざいは、百官の長の意味。古来官名は「」、地名は「」と使い分ける。=広辞苑

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