伝説紀行 六田の観音さん 佐賀 みやき町(三根)
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。 |
六田の観音さん 佐賀県みやき町(三根)
季節が春から夏へと移り行き、お百姓さんたちがボチボチ田植えの準備にかかる頃のこと。カッパたちの動きも激しくなってくる。筑紫次郎も、そんな自然界に順応して各地のカッパを訪ねることに。 観音さまが踏みつけた むかし、筑後川は蛇のようにグニャグニャ曲がりくねっていて、川岸の葦林の下はヌルヌルの泥だらけ。カッパどもにとって、そんな場所が絶好の 母親の抵抗 「観音さま、それは私の大事な息子ですけん、どうか助けてくれんのう」 子供はタカラ 「よございます。観音さまがそげんカッパの言うことば信用してくださらんのなら。河吉の代わりにどうぞあたいば殺してください。この子たちはこれから長く生きて、筑後川ば守っていかにゃならんとです。それば考えりゃ、あたいの命なんちゃどげんでんよかですけん」 人間が一番悪い カッパを許してあげた観音さま。人助けをしていい気持ちのはずなのに顔色は冴えない。「人間の中にも野菜どろぼうがおりまっしょうが」と言った母親カッパの言い分が気になって仕方がなかったのだ。緑子が言うように人間にもどろぼうがいるとすれば、そちらを懲らしめるのも苦情処理担当の仏としては大事な仕事。だが、人間はカッパのように素直ではない。人を傷つけても、みんなから集めたお金を誤魔化しても「私はそげな悪かこつはしとりまっせん」「人を悪者扱いするのはいかがなものか」と 悪さカッパを懲らしめた観音さまを探して三根町の六田地区に行ってみた。 本号をお読みいただいた方から、[観世音菩薩]の性格について厳しいご批判をいただきました。 観音(正しくは観世音菩薩)は大乗仏教(1世紀ごろの北部インドで生まれた教えで、釈尊の思想とはかなり異なる。これが中国経由で日本にやってきた)を特徴づけるものですが、「一切衆生を救済する」救いの仏(正確には仏になりかけの修行者)です。それまでの原始仏教が自分自身の救済(=解脱)というところに終始していたのに対して、この世に生きるすべてのものを大乗(大きな乗り物)に救い上げるわけです。一般に慈母(子を優しく慈しむ母)のイメージが重なります。 |