伝説紀行 六田の観音さん 佐賀 みやき町(三根)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第056話 2002年04月21日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢(とし)居所(いばしょ)なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしばだ。だから、この仕事をやめられない。

六田の観音さん

佐賀県みやき町(三根)


三根町六田の観音堂

季節が春から夏へと移り行き、お百姓さんたちがボチボチ田植えの準備にかかる頃のこと。カッパたちの動きも激しくなってくる。筑紫次郎も、そんな自然界に順応して各地のカッパを訪ねることに。
 国道264号を久留米から佐賀方面に向かっていると、旧道脇に観音堂が見える。祭壇には、背丈が一尺ほどの観音さまが祀られていて、こともあろうに、カッパを踏みつけてなさる。

観音さまが踏みつけた

 むかし、筑後川は蛇のようにグニャグニャ曲がりくねっていて、川岸の葦林の下はヌルヌルの泥だらけ。カッパどもにとって、そんな場所が絶好の棲家(すみか)だった「どうしたのかねえ、うちの子がまだ戻らん」
 河吉の母親、緑子が心配そうに玄関の周りをウロウロしている。そこに長男の河太郎が駆け込んできた。

「大変だ、大変だ」
 河太郎が話すには、兄弟で陸に上がってうまそうなトマトをちぎって食べているところに、突然観音さまが現われて弟を踏みつけなさったと言うのだ。

母親の抵抗

「観音さま、それは私の大事な息子ですけん、どうか助けてくれんのう」
 母親の緑子が涙ながらに訴えた。
「駄目です。六田の住民たちの話だと、最近おまえたちの悪さがひどいと言うではありませんか。牛や馬を水中に引きずり込んだり、せっかく田植えした田んぼで相撲を取って苗をむちゃくちゃにしてしまう。そのうえ、やっと収穫しようかというときに、畑の野菜をがっさい盗んでいくとか。この子カッパもトマトを勝手にちぎって食っていた。わたしがちゃんと目撃しています」
 観音さまは本気で怒っていなさる。

「それは違います。そりゃ少しは畑のもんばおすそ分けしてもろうたかもありまっしょうたい。ばってん、人間にも野菜どろぼうば商いにしとるもんがおりまっしょうが。最近では盗んだ野菜ば車に積んで街に売りに行くもんもおるち聞いとります」
「言い訳をしてはなりません」
 大きな足で踏みつけられて、河吉の幼い命は風前灯火(ともしび)であった。

子供はタカラ

「よございます。観音さまがそげんカッパの言うことば信用してくださらんのなら。河吉の代わりにどうぞあたいば殺してください。この子たちはこれから長く生きて、筑後川ば守っていかにゃならんとです。それば考えりゃ、あたいの命なんちゃどげんでんよかですけん」
 緑子は意を決して観音さまの前に進み出た。
「それならおまえの言うことを少しばかり信じることにしましょう。いいですか。これからは水に溺れる子供を助けると約束しますか?」
「私の子供を助けてくださるなら、そげなこつくりゃお安かご用です」
 観音さまは、自分の命とひっかえに子供を助けようとする母親カッパに同情され、踏みつけていた足を上げられた。緑子は何度も観音さまに頭を下げた。そして、川岸から葦の繁る川に向かっていっせいに飛び込んだ。そのときから今日まで、六田あたりの川で人間の子供が溺れ死んだという話を聞いたことがない。

人間が一番悪い

 カッパを許してあげた観音さま。人助けをしていい気持ちのはずなのに顔色は冴えない。「人間の中にも野菜どろぼうがおりまっしょうが」と言った母親カッパの言い分が気になって仕方がなかったのだ。緑子が言うように人間にもどろぼうがいるとすれば、そちらを懲らしめるのも苦情処理担当の仏としては大事な仕事。だが、人間はカッパのように素直ではない。人を傷つけても、みんなから集めたお金を誤魔化しても「私はそげな悪かこつはしとりまっせん」「人を悪者扱いするのはいかがなものか」と(とぼ)けてしまう。
 どうしたら、人間みんなが正直に助け合っていくようになるものか、観音さまの悩みは尽きない。(完)

悪さカッパを懲らしめた観音さまを探して三根町の六田地区に行ってみた。
「この観音さまの何ば調べとるんです?」
 観音堂にカメラを向けている僕を見て、近所に住むおじさんが声をかけてきた。お陰で本来ならカーテンで見えない観音さまのお姿も見せてもらうことができた。いつ頃の作なのかわからないが、お身体を拝んでいるとなぜか自分にもありがたいことをお授けくださるような気分になった。
 それにしても不思議なことに、観音さまがカッパを助けたという大きな川がどこにも見えない。六田から南に2キロ走ると、筑後川に架かる下田の大橋に出た。お話しの時代の大川は、蛇のように曲がりくねっていて、観音堂が川岸に建っていたのかもしれない。欄干から川面を覗くと、初夏の風物詩であるエツ舟がいまや遅しとその出番を待っていた。

本号をお読みいただいた方から、[観世音菩薩]の性格について厳しいご批判をいただきました。

観音(正しくは観世音菩薩)は大乗仏教(1世紀ごろの北部インドで生まれた教えで、釈尊の思想とはかなり異なる。これが中国経由で日本にやってきた)を特徴づけるものですが、「一切衆生を救済する」救いの仏(正確には仏になりかけの修行者)です。それまでの原始仏教が自分自身の救済(=解脱)というところに終始していたのに対して、この世に生きるすべてのものを大乗(大きな乗り物)に救い上げるわけです。一般に慈母(子を優しく慈しむ母)のイメージが重なります。
 つまり、悪童を懲戒する、しかも足で踏みつけて殺そうとするというのは、観音さまのイメージからは最も遠いように思われます。
 親鸞の浄土真宗になると、救済思想はさらに発展して、自分で悪事を抜け出せない人をこそ仏さまは救ってくださるのだというところまで進みます(悪人正機説)。「他力本願」というのは、こうした仏の偉大な力を信じて身をゆだねるという、本来は素晴らしい言葉なのです。

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