伝説紀行 ほら吹き村 玖珠町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第052話 2002年03月24日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

大ほら吹き村

大分県玖珠町


 玖珠のシンボル「童話の里」碑
後方の山はむかしの山城跡

 大分県玖珠町は、筑後川上流の玖珠川を挟んで広がっている。久大線豊後森駅に保存されている蒸気機関車の転車台も有名だ。南を眺望すると、まるでクスの大木を根元から切り取ったような伐株山や巨船を思わせる万年山などが連なる。北を仰ぎ見ると岩扇山や鏡山などが荒々しい表情で玖珠盆地を見下ろす。
 その大岩扇山の麓に、森藩のお城跡(角牟礼城)がある。お城の主は大むかし村上水軍の流れをくむ久留島一族だったそうな。かつて日本のアンデルセンとうたわれた久留島武彦氏は、森藩主の直系の子孫なんだそうな。

 そんなこんなで、ご先祖の殿さまも大変お話が好きだった。

ほら吹き名人

 森の殿さまは城下町の町人や農民をお城に呼んで、「あーじゃない、こーじゃない」と議論したり、おもしろい話を聞くのが大変好きだった。きょうも、ホラ吹き名人を自認する小金吾を呼び出して、「なにかおもしろか話ばしちくれろ」とねだられた。
「お殿さま。それはよかばってん、お殿さまは私が話しとるとすぐ横から、『それは嘘じゃろう』と茶々を入れられる。お願いですけん、私の話を最後まで黙って聞いてくれんでっしょか」
「わかった、わかった。きょうは黙って聞いちゃろ」
 あてにはならないとわかりながら、小金吾は最新の体験話を語り始めた。

「きのうですね、私ゃ、羽根ヶ谷に鴨ば撃ちに行きましたと。水面いっぱいに何百羽も泳いどる鴨めがけて鉄砲ば撃ちましたですよ。そしたらなんと池中の全部の鴨に命中しました」
 何百羽もの鴨に一発で命中するはずがないと思ったが、約束でもあり、殿さまは小金吾の話を黙って聞いていた。
「私ゃ、獲物ばかき集めにゃあと水ん中に入りましたと。きもん(着物)がずぶ濡れになりましたもんじゃけん乾かそうとしたら、きもんの中から魚がぐちゃぐちゃでてきましたと。これで今夜の酒の肴は十分ばいと、家に帰りかけよりましたら、石にけつまづいて(躓いて)しもうて、スッテンコロリン」
「それゃ、気の毒に」
 殿さまは、大げさな仕種で小金吾に同情してみせた。調子に乗った小金吾の口が止まらなくなった。
「転んだ拍子に、背中に担いどった鉄砲が暴発してしまい、鉄砲ん弾は藪ん中ばうろうろしちょった狸に命中しましたと。狸の奴よっぽど痛かったつでっしょ、足元の泥ば前足で掘りたくりながらもがくもんじゃけ…」
「そしたら、泥ん中から山芋が出てきた…」
「…じゃから、殿さまとの約束はあてにならんち言うたでっしょ」
「悪い、悪い。黙って聞くによって先を話せ」
 殿さまはとうとう小金吾に頭を下げなさった。
「そんなら先ば…。殿さまの言わるるごと。泥ん中から山芋が3貫目も出てきよりまして。そん山芋ば包むためにカヤば切ろうとしたら、根っこになんと雉の卵が30個もありましたと」

富士山の支え棒

「そりゃ、たいしたもんじゃ。小金吾は日本で2番目の大ホラ吹きじゃ」
 殿さまがさりげなく誉めたものだから、小金吾のプライドがガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

「この私が日本で二番目なら、一番のホラ吹きはいったいどこに?」
 殿さま、ただニタニタしながら。写真は、玖珠町松信の佇まい
「よいか、小金吾。これから余が話すことをよっく聞け。余はそなたより数段上のホラ吹きを知っておるのじゃ」
「ぜひ聞かせてください。私めより数段すぐれたホラ吹きとは、いったいどこに…、そしてそれは誰?」

「実は…」
 殿さまが江戸にお勤めの折、関東の西の方に「大ホラ吹き村」という村があると聞いた。仕事も暇だし、ここは一つその大げさな村を訪ねることにした。お供を連れての訪問では相手が構えてしまうし、殿様は町衆のなりをして一人で出かけなさった。真上から灼熱の太陽が照りつける暑い日の午後だった。
 話に聞いてきた村は何故かひっそり静まっている。殿さまは、村中で一番のホラ吹きと言われる権兵衛の家に行こうと、道端に座り込んで遊んでいる童に尋ねた。
「それゃ俺の親父(おとう)のことじゃ」
 童の名前は、太郎助。殿さまは太郎助に家まで案内を頼んだ。
「連れて行ってもいいがの。親父は旅に出とる」
「どこへ行った?」
「うん、先日の地震で富士山が傾いて倒れるち言うて、ツッパリをしに行った」

おいらは、鯨捕り

「そんなら、おっかさんがおろうもん?」
「おっかさんもおらん。おっかさんは、ここんとこの日照りで川が干上がったち言うて、琵琶湖の水ば柄杓ですくいに行った」
 富士山につっかえ棒をしたり、琵琶湖の水を柄杓で汲むとは、殿さまのお話人生でも聞いたことがない。すまし顔で答える太郎助を見て、へたり込んでしまった。
「そんなら、おまえはそこで何ばしちょるとか?」
「わからんのかねえ、おいらのやってることが」
 こんな小童(こわっぱ)に馬鹿にされた殿さま。身分を明かせぬ悲しさで怒りもできない。
「俺は、この水の中にいる鯨ば捕まえとる。いまは小さいがそのうち何10メートルもの鯨に成長するけんね」
 それはメダカ。さすがの殿さまも、まいった、まいった。

「わかったか、小金吾。日本一の大ホラ吹きが誰だか」
「そんなら、その太郎助ちゅう童が日本一で?」
「馬鹿もんっ。本当の日本一はな、そのホラ吹き村を訪ねて童の話を聞いたものじゃ」
「????????」
 一つ歯車が狂うと、なかなか頭が回転しなくなる小金吾。首を右に傾けたり、左に押し曲げたりしながらお城をあとにしたんだと。(完)

 玖珠町の久留島記念館を訪ねた。玖珠インターチェンジから国道387号線を北上してしばらく行くと、昔ながらの城下町が残っていた。お城の跡は公園になっていて、殿さまが贅を尽くして造成なさったお庭がそのまま残っている。公園の隅には巨石に「童話の碑」石碑が立っていた。
 公園横の「わらべの館」には、町のことなら何でもわかる資料が揃えてある。武彦翁を慕ってか室内は子供とお母さんたちでごった返していた。館の前の通りを殿町といい、上町から中町、そして下町まで飾られた童話の主人公(モニュメント)に挨拶しながら歩くと、久留島記念館に出会った。二階建ての部屋いっぱいに展示された武彦翁に関する資料を真面目に見ようとしたら1日や2日ではすまないだろう。
写真:久留島記念館がある旧森城下町
「…いかがなものか」なんて、わけのわからない日本語をひけらかして、国会議事堂にしがみつくお人なんて小さい小さい。本当の大物とは、殿さまや小金吾のような「誰からも愛される大ホラ吹き」でなきゃあ。

 

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