伝説紀行 米噴き井戸 東峰村(宝珠山)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第050話 2002年03月10日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

行者のおまじない

米噴き井戸

福岡県宝珠山村


役の行者縁の井戸

 宝珠山村の大半が山地で、人口は2000人たらず。村の形は南北に長く、サッカーのワールドカップ(トロフィー)にそっくりだ。おめでたい村名の由来はというと、村の北部に鎮座する岩屋神社の天然記念物・宝珠石にあるとか。この村、西隣りの小石原村と並んでむかしから英彦山での旅人で賑わったところ。
 そんなむかしの延田の村(現在の宝珠山村延田に残るいわくありげな古井戸を訪ねた。JR宝珠山駅の正面、村の鎮守の福井神社の西隣の「福の井」である。
*「福井」の由来:田んぼの中に福をもたらす一辺3尺ばかりの井戸があったことによる。(続風土記)

八歳の女の子が母親代わり

「ひもじか(お腹すいた)」
 5歳になるゲンの機嫌がすこぶる悪い。
「待っとかんね、もう少しで芋が煮ゆるけん」
 八歳の姉・トクコが背中でむずかる赤ん坊をあやしながら弟をたしなめた。父と母と一番上の姉は山の上の段々畑(棚田)に出かけている。父母たちが耕す畑は猫の額ほどに狭いが、汗水たらして収穫する農作物の大半は名主のもとに納めなければならない。トクコの一家は、いつも空腹を我慢しながら生きてきた。トクコは、弟たちの世話をする傍ら親たちの晩ご飯もつくらなければならない。
 背なの赤ん坊が火をつけたように泣き叫んだ。トクコが額に手をやると、
やけどしそうに熱い。ゲンに井戸から水を汲んでこさせ、布に含ませて冷やしてやるが熱はいっこうに下がらない。
「どうしたのじゃな? 赤ん坊の具合が悪いのか?」
 いきなり、表戸を開けてお坊さんが入ってきた。
「トシが、トシが、熱が下がらんとよ」
 トクコは泣きべそをかきながらお坊さんに訴えた。
「どれどれ、うーん、体じゅう水ぶくれだ」
 旅の途中らしいお坊さんは、砂埃にまみれた頭陀袋から粉らしいものを取り出すと、赤ん坊の口に含ませた。
「これで熱は下がるじゃろう。おいしい重湯をつくって食べさせなさい。そうすれば、4−5日のうちに水泡も取れるはずじゃ」

坊さんが米くれた

 お坊さんが外に出て行こうとした。すると、今度はトクコが大声で泣きだした。姉につられて弟のゲンも激しく泣いた。
「どうしたんじゃ、いったい?」写真は、役の行者堂(小石原)
「重湯をつくろうにも、うちには米がなか」
「そうじゃったのか。米がなければ重湯もつくれないか」
 お坊さんは、また頭陀袋を開けて今度は掌に乗るだけの米を差し出すと、急いで出て行った。
「ありがとう、お坊さん」
 トクコは泣きながら、遠ざかるお坊さんに頭を下げた。米のご飯があれば弟の命が救える。トクコはお坊さんにいただいた米をザルに入れると、小走りで井戸端に向かった。ゲンも姉の跡を追ったが、慌てすぎて小石につまづき、つい姉の背中を押してしまった。
 あっという間のできごとだった。トクコが持っていたザルは手を離れ、中の米ごと井戸の中に落ちていった。
「姉ちゃん、ごめん」
 ゲンは先ほどよりさらに激しく泣いた。お坊さんのいる前であれほど子供じみていたトクコも、ここでは涙一つ見せず何かを考えこんだ。
「よかね、ゲン。トシを助けるための大事な米をなくしてしもうた。姉ちゃんはあの世に行って、仏さまにトシの病気ば治してくるるごつ頼んでくるけん。父ちゃんと母ちゃんが帰ったら、そう言っといて」

大きくなったら人のために…

 トクコは、履いていた草履を脱ぐと、片足を井戸のにかけた。
「待ちなさい! 死んではいかん。おまえが死ねば、弟たちの面倒は誰が見るんじゃ」
 気がつくと、先ほどの旅のお坊さんが後ろでトクコを睨みつけていた。
「じゃけんど、トシに食べさせる米がみんな井戸の中に・・・」
 トクコは、お坊さんの顔を見るなり、また涙が止まらなくなった。
「おまえたちのことが心配になって、途中から引き返してきたのじゃが・・・、間にあってよかった」写真は、役の行者像
 お坊さんは姉弟の頭を撫でながら安堵の表情を浮かべた。
「おまえの弟思いには感心した。もう泣くな、仏さまにはわしから頼んでやるほどに。よいな、もう二度と死ぬなんて考えるんじゃないぞ。精一杯生きて、大きくなったら、今度はおまえたちが世の中で苦しんでいる人たちを助ける人間になれ」
 お坊さんは、井戸に向かって何やら呪文を唱えた。呪文を唱えながら、足は彦山の方角に向けて歩き出していた。

井戸の中から米が

「姉ちゃん、これは何だ?」
 お坊さんが去ってしばらくして、ゲンが水を汲み上げた釣瓶(つるべ)の中に真っ白い米が…。今度はトクコが釣瓶を下ろした。「ザブーン」井戸の底で水音がして、今度も釣瓶の中には米がいっぱい詰め込まれている。汲めども汲めども井戸からの米は尽きることがなかった。
「そのお方は、彦山で修行中の役の行者(えんのぎょうじゃ)さまに違いなか」

 トクコの話を聞いて父親が名主に報告し、名主はかねて名高い行者のことを思い出した。

役の行者:奈良時代の山岳呪術(じゅじゅつ)者。修験道の祖として有名な人。多分に伝説的な人物で、大和の葛城山で仏教を修行、吉野の金峰山・大峰などを開いた。九州でも行者伝説はたくさん残っている。その代表的なものの一つが、小石原村の「行者杉」である。

「このお米のお陰で赤ん坊の命が助かった。米をくれた行者さまとありがたい井戸の恩を忘れまいぞ」
 名主は村人を集めて、永劫に井戸をお守りすることを誓い合った。宝珠山駅前の熊谷さんの敷地内にいまも大事に保存されている井戸がそのときのものとか。

今も祭りが

 井戸から噴出する米のお陰で、その後の福井村はたいそう豊かになったそうな。井戸の水は英彦山から流れ来る大肥川に直結していると考える村の人たちは、役の行者への感謝とその年の収穫に感謝して、今日まで福井神社の奉納祭(10月28日)を欠かしたことがない。祭りでは、村ごとに選ばれた若者が1ヶ月前から身を清め、藁神輿(わらみこし)を担ぎ、その後から裃(かみしも)を着けた宮総代や村人が太鼓を打ち鳴らしながら続く。神輿の中には、33把の鏡餅と米を3斗3升入れる。
 行列は村ごとに進んでいき、山に供米を置いてきて、それが腐るかどうかを見てその年が豊作かどうかを占ってきた。(完)

 宝珠山村を縦断する宝珠山川は、英彦山山地を水源とし、物語の延田あたりで小石原村から流れ落ちてきた大肥川と合流し、日田の夜明ダムに注ぐ。写真:豊後と筑前を分ける国境石
 人気の少ない筑前岩屋駅近くで、キャンプ場を管理するご夫婦に話を聞いた。
「宝珠山はご覧のとおり山また山です。田んぼといえば昔の人が苦労して築いた棚田ばかり。ですが、自慢するものもたくさんありますよ。まず、人口は少ないですが一つの村に鉄道の駅(JR日田彦山線)が3つもあるんですから。それから、梅雨前に乱舞する蛍はそれは幻想的ですよ。そうそう、ここらへんは英彦山から大宰府の宝満山に通じる修験の道筋でもあったから、たくさんの宝物や言い伝えが残っています。もう一つの自慢は、岩屋付近の紅葉の美しさです。その頃ぜひ奥さんと一緒においでなさい」だと。

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