伝説紀行 天狗と熊さん 小国地方


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第049話 02年03月03日版

2007.09.16
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
魔法のうちわ
原題:天狗と熊さん

熊本県南小国郷


阿蘇の野焼き風景(大観峰案内版)

 寒すぎた冬も去って、筑後川には菜の花の絨毯(じゅうたん)が敷き詰められた。大河をどんどん遡って阿蘇の外輪山に行きつくと、どこもかしこも野焼きの真っ最中。這い出してくる害虫を退治して、大切な牛さんに栄養たっぷりのおいしいご若草を提供するためだ。変な役人どもの独りがりで、元気な牛さんまでもが「狂牛病」扱いされてはたまらない。ドライブ途中で飲む牛乳のおいしさを知る者にとって、阿蘇の草を食む牛さんは生きるための源なのだから。
 
今日は、そんな筑後川の水源地帯に案内しよう。小国郷といえば、むかしは山裾に茅葺き屋根が点々と見えるだけの淋しい山里だったそうな。住民は狭い田んぼを耕したり、農耕や荷物を運ぶための馬を飼育してお金に替えたりして暮らしていた。お話は、そんな素朴な時代の農夫と天狗の知恵比べ。

お化けが立ちふさがった

 時代は江戸の頃。満願寺(まんがんじ)あたりに住む熊さんが、早春のポカポカ陽気に誘われて温泉宿からの帰り道。湯疲れも手伝って道端でウトウトしていると、いつの間にか陽は西の山に沈んでしまった。満天に無数の星がきらめき、十三夜の月が周囲の山陰を墨絵のようにぼかしている。
「ウサギ追いしあの山〜」なんて歌がその頃にあったかどうかは定かではないが、月の光を真正面から受けながら鼻歌交じりで歩いている。すると、行手に両手をいっぱいに広げた入道のお化けが立ちふさがった
「退屈したな、もう。何かおもろいことなかもんか」
 入道のお化けがしゃべった。いくら気の強い熊さんでもお化けとはそれほど仲良くはなれない。思わずのけぞった拍子に砂利道に尻べたを打ちつけてしまった。
「いましゃべったのは誰だ?」
 熊さん、恐る恐る先ほど茶店で買った(ふるい)のすき間からお化けを覗き見した。入道と思いきや、それは野中に立つ巨大な一本松で、月明かりの逆光による影絵だったのだ。そう言えば、この松の木には昔から天狗が棲むと年寄りに聞いたことがある。

鳥のような…

 そのとき、松のテッペンから大きな生き物が舞い降りてきた。再びのすき間からそのものを見て、熊さんまたも腰を抜かした。目の前に立ったのは、背丈が3メートルはゆうにある人間らしい生き物である。そのうえ高下駄を履いてるからまるで大木の如く。顔は溶岩を塗りつけたように赤くてギラギラ輝いている。行者の格好をしていて、背中には鳥と同じ羽もある。天狗は50センチはありそうな巨大な鼻をりながら、大きな羽の団扇(うちわ)をばたつかせて熊さんに近づいてきた。
「ひゃー、天狗さま。何とぞ命ばかりは…」
と、その場にしゃがみこんでしまった。

「おまえは、今わしのことを天狗さまと言ったな。どうしてわしが天狗とわかったのか?」
「・・・・・・」
「わしは隠れ蓑と隠れ笠で身を隠しているのだから、天狗とわかるわけがない。どうしておまえにはわしのことが天狗とわかったとか? ははーん、おまえが持っているその道具が怪しかね。その道具でわしの正体を見破ったのじゃな。わしの神通力を見破ったその道具を渡せ」
 天狗は一人合点しながら、にじり寄ってきた。

フルイとうちわの交換条件

 熊さん、そんな天狗のようすがおもしろくなって、つい怖さを忘れた。ここは持ち前の知恵の出しどころ。
「あげてもよかばってん、タダというわけにはいけまっせん」
「そんなら、この団扇(うちわ)と交換しよう。これで(あお)ぐと、誰の鼻でん、どこまででん伸びるとぞ」
 熊さん、即座に取引を承知した。まんまとせしめた団扇をみやげに意気揚揚我が家に帰ってきた。

こういうふうに、ああいうふうに

家に着くなり、団扇の効き目を試すため、天狗に教わったマニュアルを紐解いた。「こうゆう風に」扇ぐと鼻が伸びる。「ああいうう風に」扇ぐと伸びた鼻が元通りになる、か。
「ようし、わかった!」
 使い方がわかればすぐに試してみたくなるのが人情というもの。熊さん、以前から振られてばかりいる大好きなおしげさんをターゲットに決めた。
 おしげさんの家に着くと、彼女は畑で大根の植付け中。熊さん、木陰に隠れて様子をうかがい、頃合を見計らってやおら団扇を取り出した。
「こういう風に」おしげさんに向けて扇いでみた。すると、おしげさんの鼻がグラグラと動き出し、やがて50センチ、1メートルと伸びていく。止まらない止まらない、鼻の先は庭の垣根を越えて竹薮を縫い、遥か彼方へ消えていった。
「?? ど、どうして? どうして?」「こんな鼻ではお嫁に行けない」
 おしげさんは鼻の根元を抱え上げたまま大声で泣き出した。そこに、やおら現れ出でた熊さん。
「これは大変だ。おしげさん。わしの嫁さんになると言わんか、そうしたらそん鼻ば元通りにしてあげるばってん」
 いくら好きでない相手でも、こんなみっともない鼻を元通りに治してくれるなら仕方ない。おしげさんはしぶしぶ熊さんの嫁さんになることを承知した。

鼻の先は外輪山へ

 それならと熊さん、団扇をおしげさんに向けて、「ああいう風に」扇いだ。すると、鼻は見る見る縮んで元の美形に。
 晴れておしげさんと夫婦になった熊さん。仕事は嫁さんに任せきりで朝寝朝酒が始まった。そのうち、天狗から騙し取った団扇のこともすっかり忘れてしまっていた。
写真は、阿蘇外輪山の草原

 そんなある日の昼下がり。縁側で舟を漕いでいたら、うっかりそばにあった団扇で「こういう風に」自分の顔を扇いでしまった。鼻はぐんぐん伸びて、その突端が10`離れた阿蘇の外輪山に届いた。その外輪山の広い草原では野焼きの真っ最中。草原いっぱいに広がった炎が熊さんの鼻のテッペンに燃え移ったからたまらない。
「アチチ、アチチ・・・」
 熊さん、ようやく眠気が覚めてことの重大さに気がついた。慌てて団扇を鼻に向け、「ああいう風に」扇いだら、鼻は元の鞘におさまった。だが、鼻の先に燃え残っていた野焼きの火がくすぶり続け、その火種がとうとう熊さんの家を丸焼きにしてしまった。
 ついでに天狗に貰った大事な団扇も燃え、おしげさんまでもが愛想をつかして出て行ってしまったとさ。

 筑後川の源流・阿蘇外輪山は見渡す限りの草原である。大観望に立つと、眼前に中岳がのんびりと煙を吐きながら他の四岳を従えるように横たわっている。その姿をお釈迦さまの寝姿にそっくりだと言った人がいる。有名な油絵画家や風景写真家が好む阿蘇五岳の絶景である。
 草原のあちこちで「放牧中の牛にご用心」と書かれた立て札が目につく。阿蘇はいつでも牛さんが偉いのだ。車を止めてあたりを歩いていたら、「筑後川最源流」の標識を見つけた。
 外輪山を下りてくるとそこが小国郷。むかしは淋しい山里だったそうだが、いまや何でも有りの賑やかな町になっている。熊さんらしい素朴な知恵者を見つけようとしてもそれは無理というもの。何とか野焼き風景をと、南小国の町役場を訪ねたら、3月10日過ぎないとスケジュールがはっきりしないとさ。筑後平野では菜の花が盛りを迎えようとしているのに、源流の春はまだまだ先のようだった。

「天狗」のついた名詞

@    天狗風…にわかに吹き降ろす強い風。
A    天狗酒…後先考えずに飲む酒。
B    天狗倒し…原因不明でものすごい音をたててものが倒れること。天狗の仕業か?
C    天狗茸…猛毒を持つきのこ。
D    天狗蝶…口の下の鬚が左右合わさって頭の前に突出した蝶。
E    天狗礫(つぶて)…どこからともなく飛んでくるつぶて。
F    天狗党…幕末、水戸藩における尊皇攘夷の過激派。
G    天狗話…自慢話。


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