魔法使いの大師さま
大分県日田市
大師も出現した三隈川
子供の頃から聞かされてきたお大師さま(弘法大師)は、とにかくすごい念力の持ち主であった。あるときは葦の葉っぱを珍魚に変えたり、またあるときは持っている錫杖(しゃくじょう)を地面に突き立てて、病気を治す温泉を噴出させてくれたりした。それも、良い行いをした人に限ってのご褒美であって、逆に悪いことをしたものに対する罰も厳しかった。まるで日本版魔法使いである。
弘法大師は、平安時代に天台宗を開いた伝教大師とともに唐に渡り、密教の奥義を極めた後、高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を建てて真言宗を開いた歴史上の人物。「真言」とは、「大日如来の真実の言葉」(山川出版社刊『日本史研究』)だそうな。その空海和尚が全国行脚の途中で豊後の日田にも姿を見せなさった。
才田芹
季節は真夏の、それはそれは暑い日のことだった。今年は空梅雨で、農民は田植えもできず、飲み水にも困っている。才田を流れる二串川(にくしかわ)の川べりを通りかかった旅のお坊さんが、赤ん坊を背負って洗い物をしている女に声をかけた。
「おしめの洗濯ですか? 大変ですね」
「お坊さん、何か私に用かね?」
「いやね。喉が乾いて仕方ないんだよ。ほんの一口でいいんだ、飲み水をいただけませんか」
お坊さんが遠慮深そうに頼み込んだ。
「お安い御用ですよ」
女は洗濯を途中で切り上げると土手の向こうの家に案内した。
「お疲れでしょう。いま白湯(さゆ)を沸かしますからゆっくりしていってください」
女は赤ん坊を寝かせると、慣れた手つきで竈(かまど)に火をつけた。
「こんなにおいしい湯をいただくのは久しぶりです」
出された白湯にはたくあんが三切れ添えてあった。お坊さんは、湯をすすり、たくあんに舌鼓みを打ちながら、「うまい」「おいしい」を何度も繰り返して立ち上がった。
「こんなに親切にしていただいて…。何かお礼をしなければ」
「いえ、旅のお方へのご接待は当たり前のことですから」
お坊さんは、女といっしょに先ほどの川べりに戻った。大きな岩の上に立ったお坊さんは懐から数珠を取り出すと呪文を唱え始めた。最初は小声で、だんだん声が大きくなって、なにやら経文らしい紙を川に向かって投げ入れた。あっけにとられている女がふと我に返ると、そこらにお坊さんの姿はいなくなっていた。
「あっ、水だ! 水が湧き出ている」
やり残していた洗濯に取り掛かろうとした女がしゃがみこんだ場所から、コンコンと清水が湧き出ている。掌にすくって赤ん坊に飲ませたら、それがまたご機嫌なこと。この清水、夏は冷たく冬温かい。どんなに日照りが続いても枯れることがない。お陰で川べりの芹がよく育ち、春一番の頃に「才田芹」として特産品になったそうな。(写真は、行脚中の空海像)
鍋清水
お坊さんが才田を後にして二串村(にくしむら)の君迫川辺にやってくると、老婆が川べりの水溜りで汚れた鍋を洗っていた。
「お婆さん、そこに溜まっている水は飲んでもいいのかね?」
お婆さんは旅の僧を見るとすぐに作業の手を止めた。
「毒ではなかろうが、この水はうまくないよ」
お婆さんがしわがれ声で応えた。洗いかけの鍋を重たそうに抱えてお坊さんを案内した。
「おいしい水のあるとこ知ってるからよ、案内すんじゃよ」
「ところで、その鍋で何をするんです?」
「お坊さんが喉乾いていると言いなさったから…。家まで柄杓(ひしゃく)とりに帰る時間がもったいないち思うて…」
老婆は自分の言葉が気にいったのか、「ワハハハ」と豪快に笑った。雑草が生い茂る川の渕に鍋をすけて、お婆さんはきれいな水をすくい上げた。
「さあ、どんどん飲んどくれ。いくら飲んでも川の水はタダじゃけん」
お婆さんはまた高笑いをして鍋ごとお坊さんに突き出した。
「確かに、この水はうまい」
お坊さんは鍋に直接口を持っていき、喉を鳴らして飲み干した。飲み終えると、手に持った鍋をそばの岩の上に置き、才田のときと同じように呪文(じゅもん)を唱えながら、西の方へ去っていった。
「さあ、もう帰らないと、爺さんが腹へらして待っとるじゃろ」
お坊さんを見送ったお婆さんは、ひとり言を呟きながら岩の上の鍋を抱え上げた。
「なんじゃ、これは?」
硬い岩盤にくっきりと鍋を置いていた跡がついている。首を傾げながらじっと跡形を眺めていると、今度はその場所から冷たい清水が湧き始めた。すくって飲んでみたら、これがまた冷たくておいしいこと。水不足で困っている村の衆が集ってきて、お婆さんの話を聞いた。
「そん人はきっと噂の弘法大師さまじゃで」
村では、このときの清水を「大師がくれた鍋清水」と呼び、後世まで大切に使ったとか。
高野村
二串村を後にしたお坊さんは、進路を北にとった。現在の夜明ダム付近である。切り立つ山陰に陽が隠れてしまい、墨を流したような暗闇がお坊さんの行く手をふさいでしまった。幸い彼方にか細い灯りが見えた。
「旅の坊主ですが、一夜の宿をお願いできませんか」
出てきた女房がお坊さんの頭から足元までを見回した。目の前のものが本当に人間だとわかると、それまでの怖い顔が和らいだ。
「こんなみすぼらしい家でよかったら…」
狭い上がり口から家の奥に進むと、亭主らしい男が煎餅布団の上に横たわっている。
「中風なんですよ、この人。長患いで、稼ぎがなくて…。せっかくお泊まりいただいてもなんのおもてなしもできません」
女房がお坊さんに謝った。写真は、夜明ダム
「そんなことはありませんよ。この山中で…、泊めていただくだけで大助かりです」
お坊さんは首に下げていた頭陀袋(ずだぶくろ)から白い粉を取り出すと、椀の中で調合した。
「旅をするのに必携の薬ですよ。効いてくれればいいんだが」
お坊さんの差し出した薬がよほど苦かったのか、亭主のしかめ面はなかなか治まらなかった。
「お坊さんは、どこのお寺からおいでで?」
「都に近い、高野山に住む坊主です。仏の教えを伝え、民の心を直接いただくために全国を修行して歩いているところです」
「難しいことを言われてもわからねえが、ご苦労なことですね」
夫婦は夜が更けるのも忘れて、お坊さんの話を聞いた。翌朝、女房が朝餉の支度と思って早起きすると、すでにお坊さんの姿はなかった。気がつくと寝ているはずの亭主も庭に出て、畑を見廻っている。昨日までの病魔がどこかへ吹き飛んだらしい。
「あのお坊さん、本当は有名な医者(くすし)じゃないのかな」とは、夫婦共通の意見であった。
「大変お世話になりました。この地に来て、温かい人々にたくさん会えて幸せでした。皆さんのご親切を糧にして、また次ぎの土地で仏の道を広めてまいります」
夫婦は、高野山からきたお坊さんのことを村の衆に話した。そこで、衆議一決、村の名前を「高野(たかの)」に変えたんだって。(完)
弘法大師は念力で清水を湧かせて難儀しているお百姓さんたちを救ってくれたし、村の名前まで授けてくれた。むかしの人はそんなありがたい魔法のご利益に預かろうと、全国各地に「大師信仰」を築いていった。
お話のネタを探して筑後川を遡っていくと、熊本に行くにも大分方面に出るのも必ず日田を通らなければならない。お陰で、それまではとんと縁が薄かったこの地のことが少し詳しくなった。途中道を尋ねたお爺さんが、わざわざそこまで案内してくれた。賑やかな豆田のお店では、ご主人が日田の歴史のことを詳しく説明してくれて大いに勉強になった。冬寒いときなど、奥のほうから火鉢を引き寄せてくれた親切な女将さんにも出会った。弘法大師の時代と変らず、今も豊後の人はみんな優しいのだ。
大師のお恵みのお陰か、四方八方から三隈川に流れ込む河川には、美しい水が溢れていた。
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