伝説紀行 ゴッテどん 朝倉市(杷木)
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| 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
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脛傷人間を救う神 原題:ゴッテどん 福岡県杷木町
朝倉地方は昔話や伝説の宝庫だ。悠久の大河・筑後川がもたらす宝なのか、はたまた、古い街道に面していたために、むかしから多くの文化を吸収してきた賜物なのか。いやいや、ここは大むかし、飛鳥時代に斎明天皇が仮宮を造られた古都だからと諸説入り乱れ。 身中の虫 話は江戸時代中頃に遡る。筑前の国・若市村(現在:朝倉郡杷木町大字若市)では、待ちに待った「おこしんさま」の祭りがやってきた。つまり庚申の日である。当番の家には、村の男衆が集って念仏を唱え、酒盛りを始める。おかみさんたちが総動員で作ってくれたご馳走をつまみながら、後継者のこと、若者の結婚話など話は尽きない。何もこんな夜更けにと思えるようなことを真面目に論じ合っている。
それもこれも、庚申(かのえさる)の日に禁忌行事を営むことで過去に犯した罪から免れようとする信仰の一つなのだ。人間誰もが一つや二つは、脛(すね)に傷を持っているもの。ましてや助平が売り物の男どもには、絶対に女房に知られたくない“実績”があるはずだ。どんなにだんまりを決め込んでいても、どんなに悪さ仲間で示し合わせようとも、体の中に潜む「三尸(さんし)」の虫がお見通しなんだって。この三尸さん、何故か60日に一度の庚申の日に体から這い出てきて、天におわす上帝さまに主人の悪行の数々を告げ口するというから始末が悪い。 罪滅ぼしの石碑 そんなこんなのドサクサの中で、若市村の天満宮に「猿田彦大神」の石塔を建てることが決った。それもそんじょそこらにあるようなちゃちな石塔では駄目で、よその村のものがびっくりするような大きなものを、ということになった。 誰が巨石を運ぶ? 「そいばってん、こげなおっか(大きな)石ば10町(約1キロ)も離れた天神さんまでだい(誰)が運ぶかん?」
この巨石、本体部分が1500`、台座だけでも1000`はゆうにある。どうせ飲みながらの談合で決まったこと、発想はいいのだが後先までもは誰も考えていなかったようだ。 腹がへっては… まず庄屋さんがゴッテどんのところに相談に出かけた。ところが、家の中に灯りはなく、奥のほうでゴッテどんが青い顔をして煎餅布団(せんぺいふとん)に包(くる)まっている。 400貫目を軽く担ぐ 二軒茶屋に集った村の衆。巨石を囲んで主人公の到着をいまや遅しと待っている。そこに巨体を揺らしてゴッテドンがやってきた。 ゴッテどんの墓 若市の天満宮の境内にある、庚申さまの大きな石のいわれは、ざっとそんなとこ。さて、その後のゴッテどんだが…。記録上は定かでないが、力持ちの評判が評判を呼んで、あちこちの村から声がかかるようになり、お陰で食うに困ることはなくなったとか。歳をとってからも侍時代の教養が役立ち、村人の相談相手にもなって大事にされたそうな。だが、身寄りのないゴッテどんがどこで眠っているのか誰も知らない。
僕が子供の頃までは、庚申祭りが盛んだったような気がする。隣組中から集ったお母さんたちが、白いエプロン姿でかいがいしくご馳走を作っていた。そのおすそ分けをいただこうと、子供たちは家の周りをうろうろしていたもんだ。そんな「庚申さん」のお祭りも、高度経済成長とともに霧消してしまったのか、とんと聞かない。 ※若市:江戸期から明治22年までの村名。その後町村合併を繰り返し、現在は杷木町の大字名。杷木はむかし「杷伎郷」と呼んでいた。 その後甘木市・朝倉町・杷木町が合併して「朝倉市」になる。 |