伝説紀行 鬼夜の起こり 久留米市大善寺 作:古賀 勝


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第041話 2002年01月06日版
再編:2018.01.14

2008.06.15  2016.10.15
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

桜桃沈輪    

〜玉垂宮鬼夜の由来〜

福岡県久留米市(大善寺町)


07年初頭の鬼夜

 大善寺町の玉垂宮は、1600年以上もむかしに創建されたそうな。神社の最大の呼び物は、正月7日深夜に行われる「鬼夜会(おによえ)」だ。那智・鞍馬と並ぶ日本三大火祭りに数えられるほどのもの。国指定の無形民族文化財にも指定されている。
 直径1メートル、長さ13メートル、重さ1トンもある大松明が6本、境内を駆け回る姿は勇壮としか言いようがない。

鬼退治に朝廷が乗り出した
 

 1600年前、筑紫国では桜桃沈輪(ゆずらちんりん)という男が暴力で国を奪おうと暴れまわっていた。筑紫の豪族葦連(あしのむらじ)は、沈輪退治を大和の朝廷に願い出た。朝廷は、藤大臣(とうのだいじん)を筑紫に向かわせた。
「沈輪は、追い詰められると水中に隠れることもできる恐ろしい奴です」
と、(むらじ)が藤大臣に告げた。
 藤大臣は、数千の兵を従えて沈輪の館を攻め立てた。だが、沈輪の行方がわからない。
「さては、池に潜ったか」
 藤大臣の指令で焚かれた大松明が、昼間のような明るさで池を照らした。

刎ねられた生首が天空を舞う

「かかれ!」
 大臣が叫ぶと、家来たちは長い鉾で一斉に池の底をつつきまくった。たまらず水上に顔を出した沈輪の首を藤大臣が刎ねた。沈輪の生首は、鬼の形相をして天空高く舞い上がる。そこを藤大臣は、自慢の八目矢で打ち落とした。
「その首を焼き払え」
 鬼の形相がおさまらない桜桃沈輪の首は、大臣の命令で山積みされた茅に火をつけて焼かれた。
「これで筑紫に平和が戻ります」
 葦連は、大和に凱旋する大臣に、何度も何度も礼を言った。

300年たって怨霊が

  それから300年の月日が経過した。その頃、玉垂宮とその傍らの御船山高法寺上空に、薄気味悪い鬼火が天空を舞い、里人を怖れさせた。鬼火が出る年は凶作や水害が頻発し、筑紫国に多大の被害をもたらすと言われているからである。
 葦連の子孫である吉山久運が玉垂宮にお参りすると、かつて桜桃沈輪を退治した藤大臣の幻が現れて、「本殿の脇にお堂を建て、その中に鬼火を封じ込めよ」と告げた。
 久運の相談を受けた高法寺の安泰和尚(あんたいおしょう)は、早速本殿脇に鬼を封じ込めるためのお堂を建てた。お堂はその年の暮れに完成した。和尚が経を唱えると、どこからともなく怖ろしい声が響いた。
「我は鬼神である。我に逆らうものは滅ぼす」と。
 和尚は、唐で学んだ有り難い経を大声で唱え続けた。経に怒った鬼神が暴れだした。空には稲妻が走り、周りの大木に落ちた雷は木々を焼き尽くした。


鬼堂を説明する鬼夜保存会会長

鬼会祈祷が始まり

「そこに徘徊する鬼神は、300年前にそなたの先祖が首を焼いた桜桃沈輪の悪霊であるぞ」
 安泰和尚が久運に教えた。
「どうすれば、沈輪の亡霊は治まりますか?」
「まず、松明の灯りで鬼神の姿をあぶり出すのじゃ」
 久運が松明で闇夜を照らすと、不気味な鬼神が現われて、二人を睨んだ。久運は鬼神めがけて矢を放った。安泰和尚はその間も経を唱え続けた。しばらくすると、静けさが戻った。
「なにゆえ沈輪は鬼神となったのでしょう?」
 久運が和尚に訊いた。
「沈輪には弔うものもなかったゆえ、怨念だけが膨らんで悪霊となったのじゃ」
 安泰和尚は、その後毎年大晦日から沈輪の命日である正月7日まで鬼会祈祷(おにえきとう)を行った。それが、今日の鬼夜の始まりだと伝えられる。

鬼夜の起こり

 鬼火は毎年大晦日に採火し、その火は正月7日の夜まで燃え続ける。この火が大松明に移されて、祭りはクライマックスに。祭りのさなか、「鉾とった」「(つら)ぬいだ」の掛け声を合図に、鉦や太鼓が乱打される(鉾面神事)。これは桜桃沈輪と藤大臣の戦いを形にしたものだといわれる。
 同時に、大松明が境内を回る華やかさの陰で、密かに鬼がみそぎをする隠れた神事も行われている。鬼は決して人目に触れてはならないのだ。(完)

 鬼夜の舞台となる大善寺川(筑後川の支流・広川の別名)ほとりの玉垂宮を訪ねた。境内には、祭りの期間中鬼が隠れる鬼堂や歴史を実感させられる楼門など、舞台効果をなす施設が整っていた。案内してくれた鬼夜保存会の光山会長さん、「このお宮さんは、文化財の宝庫ですたい」と胸を張って説明された。大善寺川でみそぎをする氏子たち

 2007年1月7日、何年ぶりかで鬼夜見物に出かけた。前夜は台風並みの嵐で心配したが、当日は星も見えて絶好の“鬼夜日和”となった。
 昼間には何度も訪ねるが、暗闇での古木群に蔽われた境内は凄みすら感じさせられる。見物人も溢れんばかりだし、大松明を担ぐ裸の若者たちの気合も十分だった。関係者に、筑紫次郎の「伝説紀行」掲載が影響して観客が増えたと聞いて、見物する僕も十分すぎるほどに力が入った。

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