伝説紀行 伐株山 玖珠町
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
伐株山物語 大分県玖珠町
筑後川を遡っていくと、日田から上流は川の名称が玖珠川と変る。すると、周囲の景観も一変する。玖珠川を挟んで両岸に林立する山の形は火山特有のもので、それぞれに個性豊かだ。なかでも、今回紹介する伐株山がおもしろい。JR久大線の北山田駅を過ぎたあたり、巨大な樹木を根っこから切り取ったような形をした山がそれだ。こんな形の山のことを学術語で「メサ」というそうな。メサとは「卓状の台地」のことだと説明書には書いてあった。 盆地に巨大楠出現 大むかし、玖珠や日田の盆地が湖だったころ、万年山(はねやま又はまんねんやま)の北のあたりに1本の楠の双葉が顔を出した。楠の木はあれよあれよという間に天高く伸びていった。最初は「木の成長には限りがあるもんだ」とタカを括っていた村人たち。木の枝が3キロ四方に広がって1日中太陽があたらなくなると、農作物は育たたず、加えてあちこちで病気がまん延して死者が相次ぐようになった。そこで村人は、慌てだした。ずっと西の島原(長崎県)の人がやってきて、「朝日の時間にまったくお日さまが拝めん」と苦情を言いだした。何日かすると今度は四国の松山の人がきて、「この木のために夕方3時には日が暮れてしまう」と、善処方を訴えた。
「お天道さまのありがたさと怖ろしさ」を改めて知らされた村人たちは、「早くこの楠の木を伐らなければ、九州や四国の人たちが生きていけない」と大騒ぎ。だが、幹回りが南北に1キロ、東西に300メートル、四方に伸びた枝は半径3キロにも及ぶお化け楠の木をいったい誰がどのようにして伐るかが問題だ。 伐採にジャイアント 玖珠の山中に「マグネチュ−ド10」は下らない地響きを立てて、身長300メートルもある蛇威按斗(じゃいあんと)と名乗る大男がやってきた。人々の難儀を聞きつけて関東方面から救助にやってきたのだと言う。 ムダ骨を笑う精 「うーーっ」 ヘクソ蔓にも意地がある 「誰だ! そこにいるのは?」 ※へクソカズラとは、漢字で「屁屎葛」と書き、れっきとした学術用語なのである。細い葛で他の植物に巻きつき、茎や葉に傷をつけると猛烈な悪臭を放つ。だが、淡いピンクの花は、臭いのとは対照的に大変可憐だ。別名をヤイトバナ、サオトバナ、または蛇威按斗が言っていた「くそかずら」ともいう。 大楠と蔓の仲間割れ 「どうしようかなあ、あんたは人がよさそうだし、教えてやろうかな。それにこの楠の木め、私の情も恩も忘れて勝手なことばかり言うしね」
へクソカズラの精が話すには…。楠の木が一人前に成長する前から、へクソカズラは楠の樹の液をいただくために巻きついていた。その代償として、楠の木が大風や害虫などで怪我をしたり病気になったら、自分の体内からたまらなく臭い汁を搾り出して傷口につけてやった。そうすると、傷口はあっという間に治った。 盆地の崩壊で玖珠川できる 「いえね、こんなにかわいくて恩ある私に向かって、臭いからあっち行けなんて言うのよ。だから、私も腹がたって、こんな奴と付き合うのもそろそろ潮時かなあって思っていたところ。・・・いいわよ、教えてあげる」
なるほど、そう言うことだったのか。へクソカズラは、樹木の傷を治す薬を持つ医者だったんだ。蛇威按斗は、へクソカズラの精に言われたとおり、一日の仕事が終わると、その日にでた鋸屑を残らず焼き捨てた。すると、翌朝には切り口がはっきり見えて、さらに作業は幹の核心に近づいていった。 むかしの人は、よくもこんなでかいお話を考えだしたもんだ。それも玖珠地方にとどまらず、長崎から朝倉・日田と次々に筑後川流域をお話の世界に巻き込んで行く。「童話の里」っていうのは、想像もできない大むかしに始まっていたのかもしれない。よく晴れた日、車で伐株山に登ってみた。下から見上げて想像したとおり、頂上は鋭利な刃物で切ったように平面が広がっていて、若者たちのハングライダーのメッカになっていた。 |