ヘトメの薬売り
福岡県大川市
柳川の三柱神社
正月も近いことだし、今回は少し砕けたお話しとまいりましょうか。
貧乏人には正月も来ない
むかし、柳川と久留米の国境あたりに、卯之助爺さまとトメ婆さまの老夫婦が住んでいた。
「もうすぐ正月が来るばんも、どげんしまっしょか」
トメ婆さまは、今にも崩れ落ちそうな屋根の下でため息ばかり。
「こうなりゃ二人で首でん括ってしまうかん。それともあの重箱ば開けちみゅうか」
「あの重箱だけはいけまっせん。あれは、ご先祖さんが竜宮の乙姫さまから貰うた大事なもんじゃけん、死んだあんたのとっつぁまが言わしゃったろうが」
「何ち、言わっしゃったかの、爺さまは」
こういうとき、すぐに呆けるのが卯之助爺さまの得意技であった。
「ずーっとむかし、ご先祖さんが柳川に反物ば売りに行かしゃったげな…」
婆さんが、爺さまの父さまから聞かされた遺言を復唱した。
亀の背中に乗って竜宮へ
柳川の町にでた爺さまの父さま、「反物はいらんかいの〜」と呼びながら歩き回ったが、誰一人振り向いてくれない。爺さまの母さまが寝ずに織った上等な反物なのに。
「爺さんさい、どげん立派な反物でん、そげん手垢ばつけとりゃ、だれも買わんばん」
通りかかった若衆に冷やかされた。そういえば、この反物はずっと前から、客に見せるたび触らせて、あちこちがピカピカの手垢だらけだった。
「仕方なかね。どうせ売れんもんなら…」
爺さまは、ブツブツ独り言を言いながら、大川に下り立って売り物の反物を洗いだした。
「乙姫さん、もうすぐ寒うなりますけん、これでも着て、温(ぬ)くうしてくれんの」
爺さまは、洗った反物を竜宮城の乙姫さまに着てもらおうと大川に流した。反物を貰った乙姫さまは大変喜ばれて、家来の亀を遣いに出し、爺さまを竜宮城に招待された。これまで見たことも聞いたこともないご馳走と、鯛やひらめの舞い踊り、帰りには漆塗りの重箱までみやげに貰ってしまった。
「この重箱を持っていると、むこうからよかことがやってきます。ですが、蓋を開けると、その後のことは保証しません」
竜宮城から家に帰ったご先祖さんは、乙姫さまに貰った重箱を神棚に祭って、言われたとおり、絶対に蓋を開けなかった。
三柱神社境内
重箱の蓋を開けたら
「そげな訳で、どげなこつがあっても、この重箱の蓋ばとっちゃいかんち、爺さまのとっつぁまがご先祖からの伝言として、今わの際に言いなさったろが」
信心深い婆さまは、ご先祖さんにも従順であった。
「よかくさい、あれから何百年もたって、もう時効じゃけん。それより、生きているわしらが首括ろうかち、言よるとじゃけん」
婆さまと違って、今どき珍しいハイカラ爺さまである。婆さまの手を払いのけて、重箱の蓋を開けてしまった。
「何のこりゃ?」
中から出てきたのは、白煙ならぬ巻物が一巻、しゃもじが一個、それに、白い粉の入ったおもちゃ箱と耳掻きがそれぞれ一個だった。巻物のタイトルには「説明書」と書いてあり、しゃもじや耳掻きや白い粉の使い道が詳しく書いてあった。
「こりゃよかもんが出てきたばんも」
三柱神社で一儲け
元日の朝がやってきた。爺さまは婆さまといっしょに柳川の三柱神社に出かけた。境内は正月気分で華やかなこと。参道には、所狭しと露店が並んでいる。太鼓橋の袂に立った爺さまは、着飾った若い娘の集団に近づいた。そして、お嬢さんのお尻に例のしゃもじをポン。するとお嬢さん、かわいい顔が突然険しくなった。
「どげんしたと? お腹でも痛かつね?」
連れの娘さんたちが、心配してお嬢さんを取り囲んだ。
「うん、お腹が急におかしゅうなって。ああ、もうたまらんばんも〜」
もがいているうちに、下の方か「プ〜ッ」と、かわいい音が飛び出した。そこで情け深い爺さまは、「一人だけではかわいそう」と、連れの3人にも同じようにしゃもじをお尻にくっつけた。
「プ」「ぶっ」「ぶるっ」
堪えようとする娘さんたちの顔はますますゆがみ、それぞれに違った音色が、まるで心地よい合奏のようにあたりに響き渡った。そぞろ歩きの初詣の客たちは、娘たちのかわいい仕種を横目に見て「クスッ」と笑う。わざわざ立ち止まって見物するものも。
「恥ずかしゅうて、どこかに隠れたか〜」
娘たちは、いっせいに走り出して大きな楠の向こうに隠れた。
タイミングよく妙薬売りが
「え〜、ヘトメの薬はいらんか〜」
そのとき、太鼓橋の向こうから、手提げ籠におもちゃ箱を入れて、薬売りの婆さんが現われた。
「おばちゃん、お願いだから、その薬売って!」
婆さんの声に吊られて娘たちがなりふりかまわず駆け寄ってきた。
「よかの、こん薬は、どこでん売っとらんけんね。一つが一文ばんも」
婆さんは、もったいぶりながら、口をあけて待っている娘たちの口に耳掻きに乗せた薬を放り込んだ。娘たちのおならは、たちどころに治まった。
「こげん効き目がある薬にしては、安か」
娘さんたちが婆さまに感謝している間に卯之助爺さんは、通りかかった伊達男の尻にしゃもじをピタッ。
「ぶ〜っ」写真は、消失前の本殿
かわいくない屁の臭いが辺りを包んだ。周囲の者は鼻をつまんで逃げ出した。
「ヘトメの薬はいらんかんも〜」
よいところでヘトメの薬売りが現われるもんだ。
ほんによか正月ばんも
卯之助爺さんとトメ婆さんは、懐に入りきれないほどにお金を持って、意気揚々と大川の破れ家に帰ってきた。
爺さまが娘らのお尻に当てたしゃもじは、ご先祖さまが竜宮城の乙姫さまから貰った屁のなる道具。婆さまが売っていた「ヘトメ」とは、同じく乙姫さまがくれたおもちゃ箱に入っていた白い粉、つまり屁止めの薬だったのだ。
よかった、よかった。乙姫さまの心遣いに感謝感激。だってそうでしょう、もしみやげの品がしゃもじだけだったら、柳川と大川のあたりは、猛烈な“屁公害”が充満して、平成の大合併どころじゃなかですもんね。
爺さまと婆さま、乙姫さまとご先祖さまのお陰でよい正月ができたそうです。
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