伝説紀行 御供納の由来 五穀豊穣 久留米市宮ノ陣


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第033話 2001年11月11日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
天神掘の子守唄
御供納の由来

福岡県久留米市宮ノ陣


八丁島の天神堀の御供納神事

 むかしの人は、日照りが続くとお天道さまに雨乞いをし、水神さまに水の恵みをお願いした。それが、いまも各地に残る豊作祈願の祭りである。筑後川の北岸に流れ込む太刀洗川沿いの八丁島にも、「御供納(ごくおさめ)」という珍しいお祭りが残っている。ここは久留米市宮ノ陣町字八丁島だが、明治33年までは「八丁島村」といった。すぐそばを久留米と博多を結ぶ筑前街道が通っていて、結構人の往き来で賑わっていたらしい。そして村の中には、大きな池があった。

わけ有り娘に恋をした

もう何百年もむかしになろうか。八丁島村で徳松爺さんが婆さんと二人で旅籠を営んでいた。そんなとき、二十歳前後の若い娘が店で働かせてくれと頼んできた。娘はお兼と名乗ったが、素性も言わず、夫婦も無理に訊こうともしなかった。娘は朝早くら夜遅くまでよく働いた。
 そんな折、吾助という若者が泊り客として現れた。吾助は諸国を歩く薬売りだったが、お茶を運んできたお兼を見て一目惚れ。仲立ちを頼まれた爺さんがお兼に打診すると、二つ返事で話はまとまった。吾助は薬売りをやめてお兼といっしょに旅籠の離れに住むことになった。


古賀茶屋

月日は巡りて、1年もしたらお兼が妊娠し、玉のような男の子を産み落とした。

嫁さんが家出した

ある夜、徳松爺さんの部屋に吾助が訪ねてきた。
「おやじさん、お兼が何だか変なんですよ。毎晩遅く、赤ん坊を寝かせるとどこかへ出かけるんです」
「どうしたんじゃ、夫婦喧嘩は犬も食わんちいうからな。おまえらの痴話喧嘩には付き合えんよ」
 爺さんは笑いながら聞き流した。しばらくして、爺さんが若夫婦の住む離れを覗いた。真っ赤に目を腫らした吾助が膝の上に赤ん坊を乗せて寂しそう。赤ん坊はといえば、青白く底光りする直径20aもある珠を無邪気に舐めている。
「どうしたんじゃ、お兼さんはおらんのか?」
「それが、昨夜遅くに出て行ったきりなんです」
「何じゃと、こんな小さな子供を残して家出したちゅうのか。どうしたんじゃ、いったい?」

不思議な珠

吾助が話すには…
お兼には何度か「毎晩どこへ行くのか」と尋ねた。だが訊かれたことに返事はせず、「心配しないで」と言うだけで、「けっして私のすることを詮索しないよう」と釘をさされた。
 だが、夫と乳飲み子を残して毎晩家を出て行く嫁の行動を無視はできない。そこでこっそりお兼のあとをつけた。お兼は天神掘にやってきて、そこで姿を消した。そして、翌朝には何ごともなかったように隣の布団に寝ている。
「それで、赤ん坊が舐めている、そりゃなんじゃ?」

「はい、昨夜、お兼が家を出て行くとき、天神掘の楠の下に置くと言い残した珠です。母親がいなくても、この珠を舐めさせると赤ん坊はすぐ泣きやみます」
 吾助は話し終わると、処かまわず大声で泣き出した。


付近を流れる大刀洗川

「こんなことはしておれん。早くお兼の行方を探さなきゃ」
 徳松爺さんの一声で集った村の衆が、何日もかかってお兼を探したがとうとうその姿を見つけることはできなかった。

夫と赤ん坊も天国へ

お兼が旅籠の離れから姿を消して十日もたったある日、今度は吾助と赤ん坊の姿が消えた。再び爺さんの号令で村総出の捜索をしたところ、天神掘の中の島で父子の遺体が見つかった。
「いったい、何があったんじゃ、誰か心当たりのものはおらんのか?」
 徳松爺さんが恐ろしい顔をして村人たちを睨みつけた。すると後方に立っていた一作という男が恐る恐る進み出た。
「実は…、わしが赤ん坊の珠を盗んだんだ。あの珠を持つとよかこつ(いいこと)があるち聞いたもんで、つい出来心で…」
「馬鹿たれ、あれは赤ん坊のおっぱいたい。おっぱいを取り上げたら乳飲み子は一日も生きてはおれんこつくらいわからんのか」
 珠を盗んだ一作はさんざん爺さんに叱られ、村人から小突かれて、仕方なく盗んだ珠をさし出した。


写真は、御供納の行事(2009年12月)

「それにしても、この手毬のごつ大っか珠はいったい何じゃろう? どう見てもおっかさんのおっぱいには見えんが。あのとき、吾助によく訊いておけばよかった」

それから日照りが続いて…

吾助と赤ん坊の遺体が天神掘で見つかった日を境に、この地方にはまったく雨が降らなくなった。日照りは翌年もまた次ぎの年も続いた。太刀洗川は枯れ、天神掘に溜まっている水をいただこうと、神主を介して水神さまにお伺いを立てた。
「おまえたちが悪さをしたために、水神さまは水を一滴も下さらんそうじゃ」
 水神さまの返事はつれないものだった。
「何を怒ってなさるのか、水神さまは?」
 村の知恵者が鳩首を集めるが、どうしても解せない。そのとき、徳松爺さんの頭にあることが思い浮かんだ。それは、吾助が話していた「お兼が天神掘で消えた」という話。ひょっとすると、あのわけありげなお兼の正体は、天神掘に住む水神さまの仮の姿ではなかったろうか。こんなに雨が降らんのは、お兼さんが夫と子供を奪われて、村の者に敵討ちをしてるんじゃなかろうか。
 そうであれば、彼女が毎晩天神掘に通った意味も合点がいく。しかし、それなら、あの赤ん坊が舐めていた手毬のような珠はいったいなんなんだ?

罪な村人に復讐を

爺さんはその足で天神掘に出かけた。一作から取り上げた不思議な珠を大事に持って。


旧古賀茶屋あたり


「お兼さーん、出てきてくれんか。わしじゃ、旅籠の徳松じゃ」
 爺さんは天神掘に向かって大声で呼んだ。すると、中の島あたりの水面がざわついて、体長が10bもありそうな大きな蛇が水面に現れた。
「お兼さんじゃな、おまえは? お兼さんじゃな」
 すると、大蛇は大きくうなずく仕種をして、人間の言葉で応えてきた。
「はい、お爺さん。お懐かしゅうございます。せっかく人間社会に溶け込もうとしたのですが・・・」
「悪かった。わしがもっとしっかりおまえさんを守ってあげればよかったのじゃ。・・・して、吾助と赤ん坊は?」
「はい、父子して天に召されました。私もいっしょに行きたかったのですが、このとおり盲目では天にも昇れません」

愛する坊やに会える!

「そうか、お兼さんは、かわいい赤ん坊のために、自分の目玉をさし出したんじゃな」
「はい、一つは私が家を出た翌朝に赤ん坊がお腹をすかさないようにと。もう一つも、大事な目の玉が盗まれたと聞き、赤ん坊が大変だと思って・・・、二つともさしあげました。その二つめの目玉も盗まれ、赤ん坊は間もなく亡くなりました。世をはかなんだ夫も天神堀に身を投げたのです。私は夫と子供をそこまで追い詰めた村人を絶対に許せません」
 これでお兼が天神堀に消えたわけも吾助父子が身投げした謎もすべて解けた。
「だが、村に雨が一滴も降らん。農作物ができずに飢え死にするものが続出しておる。生まれたばかりの赤ん坊にあげる母親の乳も出ず・・・。これでは村はおしまいじゃ」
 徳松爺さんは堀端に正座して、盲目の大蛇に哀願した。
「わしの生命なぞどうなったってもよか。どうか、何百もの百姓と子供を助けてくれ。もう遅いじゃろうが、ここにおまえさんの目玉を持ってきた」
 爺さんの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。爺さんの手にある二つの目玉を見て、大蛇の動きが激しくなった。

化粧なおして、・・・天国へ

お兼の大蛇は、爺さんから目玉を受け取ると、そのまま水中深く潜っていった。どれくらいの時間がたったろう。それまでの星明りが瞬時に真っ暗闇になり、天神堀が激しく波立った。そして四方から稲光が交叉する中、堀の中央から1匹の龍が踊り出た。龍の全身は眩いばかりの黄金色に彩られ、鋭く尖った角を天に向け、4本の鋭い爪を空気中に突き刺すようにして立ち上がった。そして、いま取り戻したばかりの両の眼を徳松爺さんに向けた。
「お爺さん、ありがとう。お爺さんのお陰で私の両目が開きました。村の子供のために、堀の水をお使いください。これで愛する夫と子供が待つ天に昇れます」
 水中で化粧直しをしたお兼の大蛇は、両目を取り戻して立派な龍となり、いままさに昇天しようとしている。
「ありがとう、お兼さん。村のみんなに代わって礼を言うよ。それから、吾助と赤ん坊によろしくな〜」
 龍は天に向かってゆっくり昇っていき、やがて黒雲の中に消えていった。その途端、八丁島周辺に大粒の雨が降りだした。雨は三日三晩やむことなく降り続いた。(完)

御供納の由来を求めて八丁島の天満神社と天神堀を訪ねたのは秋の収穫も終わった頃だった。八丁島の天満神社は、太刀洗川と並行して走る西鉄甘木線の古賀茶屋駅から西へ500bの、農家が建ち並ぶ集落の一角にあった。


御供納神事が伝わる天満神社


 大蛇が住む天神堀とはどんなに大きく底深いものかと思ったら、何のことはない、20b四方くらいの小さなため池だった。見たところ、深さも大したことはなさそうだ。何百年も続く祭りの由来から推測するに、むかしは遠方の民家あたりまで広がっていたのかもしれない。その小さな池に毎年12月になると小舟を浮かべて、玄米3斗3升を入れた俵を投げ込んで豊作に感謝するという。小舟に乗るのは10歳までの男の子で、前の晩から神社のお堂に篭り、烏帽子と白衣姿で池の主への遣いの役を演じる。案内してくれた70歳くらいの婦人は、「祭りがいつ頃から始まったかは知りまっせん。小さな子供がお堂で夜明かしばするとですが、その子供の数が減ってしもうて、これからどうなりますやら」と祭りの行く末を心配していた。
 天神堀の周囲は政府の減反政策を受けて稲穂が消え、すべて大豆畑に変っている。これじゃ、人さまが食べる米のために夫や子供まで犠牲にして堀を守った甲斐もないと、お兼さんが天国で嘆いているかもしれないな。

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