伝説紀行 おこんの陰膳 久留米市城島町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第032話 2001年11月04日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

キツネの嫁入り
おこんの陰膳

福岡県久留米市(城島町)


おこんキツネが出没した山ノ井川べり

 皆さん、キツネの嫁入りという言葉をご存知か? 暗闇の中で、遥かに見える山裾を一列に並ぶ幻想的な灯りが風景を見た記憶はないか。「あれはキツネの嫁入りたい」と物知り博士の称号を持つお爺さんが解説したもんだ。その灯りの列が花嫁道中に見えることから、そんな風に言うらしい。陽がさしているのに雨が降っている情景を例える場合にも使う。要は、キツネに騙されたという意味のことなんじゃ。
 大むかし、筑後川べりの城島一帯は一面湿地帯だった。「城島」という地名も、「湿地の中の少し高い所」の意味だと、例のお爺さんが付け加えた。

満月に照らされた艶っぽい女

 城島が、葦と雑草が生い茂る中に、ポツンポツンと民家が建っていた江戸時代のおはなし。
「ああ、ええくろうた、ええくろうた(酔っ払った)」
 雇われている瓦屋の宴会で酒を飲みすぎて、良助はいい加減に千鳥足。背中から照らされる十五夜の明かりで、自分の影が右へ左へと揺れている。
「もう飲めんちいうのに、大将が無理に勧めるけん、こげなこつになったつたい」
 なんて人のせいにして、山ノ井川の水を飲もうと土手を降りていった。すると水面に女の顔が映っている。慌てて土手を駆け登ると、柳の袂にめっぽう色っぽい女が立っていた。男やもめの切なさを辛抱している良助には、すぐにでも飛びつきたい衝動が走った。


城島特産鬼瓦

「あのう、おどん(私)に何か用ね?」
 良助が声をかけると、女はにたっと笑って、ウィンクで応えた。
「おどんがよか男じゃけん、言い寄りたか気持ちはようわかるばってん」
 なんて、勝手なことを言って、近づいていった。
「ワタクシは、近くの造り酒屋の娘でおこんと申します。ものは相談ですが、ワタクシをあなたのお嫁さんにしてもらえんでしょか」
「そげん言われても、今会うたばかりだし。それに、おどんなあんたば食わせるごたるかいしょ(能力)はなかと」
 いざとなれば気の弱いのが、良助なのだ。
「心配はいりまっせん。もしワタクシをお嫁さんにしてくださるなら、ワタクシがあなたの面倒を見させていただきますけん」
「そげな夢のごたる話がこの世の中にあってよかもんじゃろか」
「ワタクシの言うことが本当かどうか。来月の満月まで、あなたのお家に毎晩お酒とご馳走ば運びますけん。その後に祝言ということで、いかがでしょうか」

絢爛豪華な花嫁行列

 良助は、おこんのことを半信半疑のままで家に帰った。するとお膳の上に、これまで見たことも食べたこともない豪華なご馳走が並んでいた。翌日も、またその次の晩も。
 そしてひと月がたち、再び十五夜がやってきた。そのとき良助はおこんとの約束をすっかり忘れていた。今夜もご馳走をたらふく食べて熟睡しているところに、表戸を叩くものがいる。こんな時間に訪ねてくるものなど心当たりがなく、雨戸の節穴から外を覗いて仰天した。


山ノ井川河口(向こうは筑後川)

 十五夜の月が真上に昇っていて外は真昼のように明るい。家の前に金襴緞子で着飾った花嫁姿のおこんが立っていた。両脇に稚児と裃姿の男数十人、留袖を着た女百人を従えて。その後には、箪笥長持を担いだ若い衆の行列が遥か稲荷の森まで続いていた。
「あっ、そうだ! 今日は十五夜だった。山ノ井川のほとりで会った女と祝言をする晩だった」
 やっと思い出したときは既に遅い。何千人もの供のものを従えた花嫁が、破れ家の表戸を開けようとしていた。
「ひょっとして、これはキツネの仕業じゃなかろうか。そうなんだ、花嫁姿のおこんは実はキツネだったんだ」
 そんなことを考えながら、良助は次なる手段を考えめぐらせた。

花嫁には影がない

「あのう、良助さま。ワタクシです、おこんでございます。約束の十五夜がまいりました。父母・親戚を引き連れてやってまいりました」
 そこで、良助のキツネを騙す作戦がまとまった。
「あっ、地面に映っている花嫁の影はキツネ!」
 外の花嫁に向かって叫んだ。
「そこの花嫁は尻尾下げとる」
と。

「ちくしょう、見破られたかっ」
 花嫁がその場にしゃがみ込んだそのとたん、行列は消え、一匹の牝キツネが未練がましく男を睨みつけながら稲荷の森に消えていった。

おこんのための陰膳

 人間を騙すことを旨とするキツネが、人間の仕掛けにはまったのでは絵にもならない。おこんはキツネの面目にかけて、人間への復讐を誓った。城島地方のどこかで婚礼があると聞けば、突然現われてご馳走の中に馬の小便を混入したりして困らせた。
 そこで村人は対策を考えた。婚礼の晩には、玄関口におこんのための陰膳を置くことにしたのだ。すると、いつの間にかご馳走は平らげられていて、食べ終わった食器の中に木の葉が一枚置いてあった。
「おこんさんが来てくれた。さあ、今夜は安心してご馳走が食べられる」と、村人たちはたいそう喜んだものだ。
 城島地方では、最近まで「おこんの陰膳」の風習が残っていたそうだが、婚礼の会場がホテルなどに移ってからというもの、すっかり姿を消した。そして、「狐火」とか「狐の嫁入り」なんて言葉だけが残ってしまった。(完)

 城島の町もすっかり様変わりした。あれだけ軒を並べていた造り酒屋も少なくなったし、瓦製造の煙突もまばら。でも、町の人たちは元気がいい。若い者は大川で斉魚(えつ)漁に余念がないし、お母さん方はママさんバレーなどで全国制覇を目指している。
 豪華な町役場が、05年2月に久留米市に編入されて「城島支所」に格下げされたことが少しだけ寂しかね。

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