伝説紀行 大根川 山川町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第029話 2001年10月14日版
再編:2007.04.22 2018.08.26
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

たかが大根一本、されど・・・

大根川

福岡県みやま市山川町


山川町の大根川

 今回は、筑紫次郎の弟分・矢部川流域に伝わるありがた〜いお話。矢部川は、筑後川と同じく有明海に注ぐ一級河川である。矢部川流域にも広大な平野が広がっていて、古代からの歴史や伝説がわんさと埋もれている。
 矢部川の支流に、「大根川」という少し変った名前をもつ小さな川が流れている。山川町は福岡県の最南端に位置し、南隣はすぐ熊本県の南関町だ。産物の「山川ミカン」が有名なところ。地形は東を金甲山脈に、西を琴平山脈に挟まれ、まるで谷間のよう。だから、大むかしからここは南北を結ぶ交通の要衝であった。「北関」「松風の関」「南関」など、関所の名前が厳然と残っている。
 いまから1200年前のこと。中国で仏教の奥義を勉強した空海(弘法大師)も、この地を訪れたらしい。

大根けちって・・・

 厳しい暑さが続くある夏の日の夕暮れどき、トヨは川べりに下りて母親の言いつけで、大根の泥を洗い落としていた。
 そのとき、真上の土橋を一人の旅の僧が通りかかった。お坊さんはどこか品のある声でトヨに話しかけた。
「娘さんや、愚僧は昨日から何一つ食べていないでな。すまないが、その大根を尻尾の方でいいからいただくわけにはまいるまいか」
 見上げたトヨは、声の主があまりにもみすぼらしい身形(みなり)の坊さんなので、聞こえぬふりをしてさっさと家に入った。お坊さんは悲しそうな目で娘を見送ると、何やらつぶやきながら夕闇の中に消えていった。

ひと晩で水なし川に

 翌朝、野良仕事に出かける八助が川を覗き込んでびっくり仰天。
「大変だ! みんな、早よう来てみんさい。川の水がいっちょん(全部)なかごつなっとるばの」
 聞きつけたほかの村人たちが家を飛び出してきて、洗い場付近は騒然となった。
「こりゃあ、どげんしたこつかんも?」


大根川(背後は清水山)

「そうじゃなうても水が足らんで、稲が枯れよるちゅうに。これじゃ、秋の収穫は絶望ばん」
「米もじゃが、頼りの大根もいけんごつなっちまう」
「大根どころか、人間さまが飲む水も危なかばんも」

 この小川は、村人にとって命綱だったのだ。

お詫びをしようにも

 外の大騒ぎにつられて、トヨも出てきた。
「不思議なこつもあるもんだ。たった一夜にして、川の水が干上がるちやどうしたこつかん?」
 村人たちは、最初に見つけた八助を、まるで犯人でもあるかのように睨みつけた。
「あのう・・・」

 トヨが申訳なさそうに、きのうのお坊さんとの一件を話した。
「そん人はきっと、神通力ば持っとる偉かお坊さんばの。おまんが大根ばやらんかったけん、仕返しばしなさったつたい」
「ばってん、たった大根一本のこつで、偉かお坊さんがそげなこつばなさるじゃろか」

「ことはどうあれ、村中の一大事たい。お坊さんば探してお詫びばせにゃならんたん。この際、大根ち言わず米の飯ば腹いっぱい食べて貰おう」ということになり、手分けして行方を探したが、とうとうお坊さんは見つからなかった。途方にくれて帰ってきた八助。


田植期の大根川

「ありゃ? こげんかとこにきれいな水が湧き出とる」
「ははーん、こりゃ、あのお坊さんがわしらの難儀ば見かねて飲み水だけでん残してくれらしたつばんの」
 村の(おさ)が安堵したように呟やいた。

村中で水対策

「ひとまず飲む水は安心じゃが、田んぼの水はどげんなるかん?」
 村人たちはまた額を寄せ合った。

「ここに湧き水が出るということは、山にはばさらか水があるちゅうこつばの」
 村長が山の保水地下水の知識を披露した。
「そんなら、必要なとき必要なだけ水が流れてくるごと、山に池ば造ればかちゅうこつかん?」

 八助が蒲池山を指差しながら言った。翌日、村人たちが山に登ったら、谷川にはきれいな水がたくさん流れている。それからというもの、みんなが心を一つにして谷川から水を引き、溜池を造った。


蒲池山のため池


 そのときから何百年かたって、土木技術の第一人者田原惣助・惣馬父子が蒲池山に周囲4`にも及ぶ溜池を造ることになる。それが今に残る蒲池山池。
 トヨが大根を洗っていた小川のことを誰言うとなく「大根川」と呼ぶようになった。あのときのお坊さんが、諸国行脚中の弘法大師だと知ったのは、ずっと後の時代になってからのこと。
 現在の山川町清水地区一帯は、蒲池山の溜池のお陰で、水不足も大水害も極端に減った。大根川は周りの田んぼを潤して、毎年おいしいお米をたくさん稔らせてくれている。(完)

「山川の扇状地はもともと大根の栽培に適しています。この話が生まれた当時は、大根が村の特産品だったかもしれませんね」とは、お話を提供してくれた郷土史家の先生の説明。
 トヨが大根を洗った場所は、国道443号線が跨ぐあたりだろう。訪ねたとき、周囲の水田は黄金色で彩られ、今年も豊作だ。川岸に数本だけ残っている(はぜ)
の大木もそろそろ色づき始めていて、秋本番も間近だった。
 気分を弘法大師に置き換えて、443号線の橋の欄干から大根川を覗き込んだ。そこに大根を洗う可愛い娘を期待してのことだが・・・。そのとき、外敵の気配を察知したのか、大きな白鷺が慌てて飛び立った。

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