伝説紀行 源にょむ日記 柳川市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第028話 01年10月07日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

源にょむ日記

福岡県柳川市


立花の藩祖などを祀る三柱神社

風変わりな町医者

 柳川の街中に、西源沖というちょっと風変わりな開業医者がいた。街の人は彼のことを本名では呼ばず、いつも「源にょむさん」と呼んでいた。医者としての腕前はそこぞこなのだが、けっして繁盛している診療所とはいえなかった。
 源にょむさん、三柱神社の祭礼に出かけ、夜店のおもちゃ屋に立ち止まると、後から大変な美人の女性が「くすっ」と笑った。
「何がそげんおかしかかんも?」
「ばってん、おもちゃ屋に大の大人が…」
「おどんな、あのビー球が欲しかつたい」
「そりゃまた、どうしてかんも?」
「実は、おどんげん(うちの)庭には、ばさらか鳩が飛んできよって糞ば垂るけん、臭うて臭うてたまらんとたん。ほんに困っとるばんも。大声で怒鳴ったっちゃ逃げやせんし、追いかけても、馬鹿にしとるごつ、すぐ戻ってくるけんが


「はーっ、ばってん、鳩の糞とビー球ちゃ、どげな関係があるかんも?」
 訊いている女の顔は真剣そのもの。写真:柳川のどんこ舟
「はーい、そこでおどんな頭ば絞ったとです。こん店で売っとる大豆そっくりのビー球に油ば塗りたくって、魚釣り用の糸ば通すとたい。そんから、ビー球ばほんなもん(本物)の大豆と混ぜこぜにしち煮て、香りもつけち、鳩に『ぬっかうちに食べてんめせ』、ち言うて庭にばら撒きますもん。そこじ、鳩ば一網打尽ち言う訳たん
「あんたさんの言よらすこつが、わたしにゃいっちょんわかりまっせん」
「わからんかん?。鳩はよか匂いに釣られていっぺんに庭に降りて来ち、そん大豆の煮物ば食べまっしょうが。ビー球にはしっかり油が塗りたくっちょるけん、食うとするりと腹ん中ば素通りしち、尻からでてくるけん。そん玉ばまた次の鳩が食うて、糸のついたまま何羽でん食いますと。鳩は数珠繋ぎになっち、いっぺんに生け捕りちゅうわけたんも
 源にょむさんの話が面白くて、女が笑うこと笑うこと。転げまわって腰を痛めた。そこは名医を自称する源にょむさん、女を背負って自分の診療所へ。「あーじゃない、こーじゃない」と治療していたら、笑いこげているうちに、つい源にょむさんに抱きついてしもうたげな。

キュウリがスイカば食べた

 三柱神社で知り合って、あっと言う間に二人はゴールインしたげな。柳川あたりでは新婚の婿さんのことを「花婿どん」と言い、女性は「花おかっつあん」と呼ぶ。
 今日は珍しく診療所にお客さん(患者のことを源にょむさんはそう呼んだ)がきた。それでも源にょむさん、なかなか仕事に取り掛からないものだから、花おかっつあんが腹掻いた(怒った)。
「あんたさんくさい、珍しゅう患者さまがきとらすばの。早よう診てやらにゃ」
 ところが源にょむさん、仕事を始めるどころか、突然一人笑いを始めた。
「さっきんこつがおかしゅうて、仕事んだんじゃなかばんも
「なんですな、そげんおかしかこつちは?」
 どんなに怒っていてもすぐ亭主の話に前のめりするのが花おかっつあんの悪い癖。
「母屋の玄関でっさい、キウリスイカば食いよったつたい」
「何のそりゃ?」
 花おかっつあん、亭主の馬鹿話には付きあっておられないといった顔をして母屋に引っ込んだ。と見せかけて、忍び足で玄関先へ。玄関先では、薪売りがおいしそうに西瓜を食べていた。
「なーんの、たきもん屋さんじゃなかの。キュウリじゃなかたい

 花おかっつあんは、亭主に馬鹿にされたことが悔しくて診療所に取って返した。
「そげん、腹かかんでんよかたん。おまや(お前は)何か勘違いばしとるごたるね。おどんなきゅうりちは言うとらんばの。キウリち言うたつたい」写真:沖の端の船乗り場
キュウリキウリがどこが違うかんも?
「おまや、ベッピンのわりにゃ、頭のほうがちょっとおかしかね」
「何ば、人を馬鹿にして。私の頭のどこが悪かかんも?
キュウリは野菜畑で採れる野菜じゃろが。ばってん、キウリは木ば売る人じゃけん人間のこつたい。ばさらか違うじゃんね」
 それから3日間、花おかっつあんの機嫌は治らなかった。

花おかっつあんの実家

 源にょむさん、結婚後初めて瀬高にある花おかっつあんの実家を訪ねることになった。
「よう来なさった」
 花おかっつぁんのおっかしゃん(母)は、大事な花婿さんを歓迎するために、最高のご馳走を考えた。隠している白砂糖を取り出すと、なにやら作り始めた。
「どうぞ、遠慮せんでうんと食べてんめせ(召し上がれ)」
「はあ、こりゃうまか。顎(あご)ん落つるごつうまかなも。何ちいう食いもんかんも?」
 褒められて嬉しくなったおっかしゃん、顔をしわくちゃにして照れ笑い。
「こりゃの、ダゴ(団子)ち言うたんも。作り方は教えとるけん、柳川に帰りなさったら、嫁ごに作らせたらよかばんも
 大したことじゃないほど、天才のように記憶力を発揮する源にょむさん。大事なことになるとてっきり物覚えが悪くなる。帰り道、「ダゴ」を忘れないように、繰り返し口の中で復唱した。
「ダゴ、ダゴ、ダゴ…」
 早く帰って花おかっつあんに作ってもらおうと、近道の畦道を走った。そこで立ちふさがったのが小川。
「どっこいしょ」、掛け声かけて一っ飛。「どっこいしょ、どっこいしょ」。忘れまいぞと源にょむさん、繰り返しながら診療所のある我が家にへたり込んだ。
「あのー、今日、あんたさんのおっかっしゃんに、どっこいしょば作ってもろうたもん。つくり方はあんたさんに教えとるげなけん、おどんにどっこいしょば作ってくれんかん
「????」
 花おかっつあん、亭主が何を言っているのかさっぱりわからない。言葉が通じなくてイライラする源にょむさん、「そげなこつもわからんかんも」と、花おかっつあんの頭を一撃。
「あ痛あ、あんたさん、何ばせらっしゃるかんも。私の頭にダゴのごたるおっか(大きな)瘤ができたばんも
「おまや今、ダゴち言うたね。そいたい、そのダゴば早よう作ってくれんの」
「ダゴならダゴち、早う言うちくるるとよかつになも。どげん痛かったかんも
 今度は、花おかっつあんのご機嫌が治るのに1週間もかかった。(完)

 10月に入って柳川を訪れた。季節外れの暑い一日だった。「景気が悪くて、観光客も店の客も少なか」と寂しがる名物鰻屋のご主人。言われて見渡せば、どんこ舟の船頭さんも手持ち無沙汰で大きなあくびばかりしている。
 掘割りのそばに座り込んでいたら、2艘続けて修学旅行生を乗せたどんこ舟がやってきた。いつもは名調子の船頭さんも、もう一つ気が乗らない様子。舟の上の子供たちに、「どこから来たと?」と声をかけたら、「石川県」と返事が来た。「九州はよかとこかい?」の質問には、「景色はいいですね。でも暑い」だと。
 柳川に本格的な秋が来るのは、もう少し先のよう。

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