伝説紀行 阿弥陀が峰の古狸 筑前町(三輪)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第027話 2001年09月30日版
再編:2019.01.26

プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
阿弥陀が峰の古だぬき

福岡県三輪町
(現朝倉市)


阿弥陀が峰の阿弥陀如来像

 博多から豊後日田に通じる、いわゆる朝倉街道(国道386号)筋に三輪町(現筑前町)がある。古い宿場町の面影を残す甘木市の西隣に位置し、戦争中太刀洗飛行場での悲劇が今も語り継がれる町だ。その三輪町の北東部に「阿弥陀が峰」という珍しい名前の集落を見つけた。
 集落の中央には、阿弥陀如来堂が建っていた。祭壇には、金箔を施した阿弥陀如来さまが鎮座されておられる。
 表の説明板には、「ここには古狸の人身御供(ひとみごくう)の伝説がある」と書いてあった。

讃岐娘が現われた

江戸時代、秋の収穫の季節。朝倉の里に巡礼娘がやってきた。娘の名前はキヌ。四国は讃岐で生を受けたが、継母とうまくいかずに家を飛び出し、諸国を巡っている途中であった。陽もとっくに落ち、通りがかりの古びたお堂に一晩泊めてもらうことにした。諸国巡礼にも疲れて、一晩が二晩に、とうとう10日間も阿弥陀堂に留まった。
 その間、お堂の周りの雑草をぬいたり、庭を掃き清めたりして、少しでも村人のお役に立とうと心がけた。また、農作業で困っている農家には、子守りを買って出ることもあった。里の人たちもキヌを有り難がり、交代で食事を運んでくれた。

阿弥陀さまの要求

 ある夜、「ごそごそ」する物音でキヌは目を醒ました。怖さ半分で隙間から外を覗いて驚いた。月明かりに照らされたものは・・・。老いぼれた大きな狸が1匹、臍の下に一升徳利ほどのふぐり(つまり金玉のこと)をぶら下げたままつっ立っている。古狸は、幅広い木の葉を1枚頭に乗せて何やら呪文を唱え、たちまちその姿をお堂の中の阿弥陀如来さまに変身させた。
 
翌朝、いつものようにキヌがお堂の周りを掃除していて、お堂の壁に何やら貼り紙がしてあるのを見つけた。そこには赤茶けた紙切れに汚い文字が書いてある。写真:阿弥陀堂
「わしは村に幸せをもたらせたい。そのためには満願の神のおわす天まで出張せねばならんし、都とも往復しなければならん。だが、一人身の寂しさが身にこたえてもうひとつファイトが沸かぬのだ。そこで村のものに相談じゃが、夜ときの相手に若い娘を一人よこしてはくれんか。2、3日内にどこかの屋根に白い羽の矢を立てておくほどに、その家の娘を所望したい。阿弥陀より」
 
あの気味悪いふぐりの主が、とうとう正体を見せてきた、とキヌは思った。そのうちに、村中の男と女がお堂の周りに集ってきて大騒ぎになった。

白羽の矢はどこに?

「娘ばさしだせちゃ、いくら阿弥陀さまちいうてもきつか注文たいね」
「なんば言いよるとね。こげんにあたしたちのために働いてきゅるる阿弥陀さまには、娘の一人や二人ぐらいさしあげじゃくて」
 人身御供(ひとみごくう)の話にもっとも積極的なのが村で一番大きな家に住んでいるおタツさんだ。それから三日目の朝を迎えた。阿弥陀さまの白羽の矢は、あろうことかそのおタツさんの屋根に突き刺さっていた。矢を見つけたおタツさん、狂ったようにわめきだした。
「どうして、うちだけがこげな目に・・・。うちのおミネは、それは誰よりも美しかばってん、もう許婚者(いいなづけ)もおるとじゃけん」
「阿弥陀さんのお告げは黙って聞かないかんち、一番熱心に言いよったのはおタツさんじゃなかったね」
「ばってん、まさか、うちんちに矢が立つとは思いもせんじゃったけんたい」
 阿弥陀さまの正体を知っているキヌだけは、村人たちの争いを困惑顔で眺めていた。

身代わり花嫁の運命は

いよいよ、「お告げ」の三日目の夜がやってきた。おタツさんは、泣く泣く娘に白無垢の花嫁衣裳を着せて阿弥陀さまのおられるお堂に連れて行った。
 
お堂の前庭には、おミネに別れを言おうと村人が集り、わざとらしく大げさに涙を流した。そのとき、人の輪のなかからおキヌが進みでた。
「私がおミネさんの身代わりになりましょう。お世話になった皆さまへの、わずかばかりの恩返しです」

「ばってん、阿弥陀さまはうちの娘ばちゅうて・・・」
 おタツさんが嬉しさ半分、阿弥陀さまの仕返しの怖さが半分で躊躇した。写真:阿弥陀ヶ峰の集落
「よかです。私には帰る家も、待っていてくれる親もいないのですから。これから幸せいっぱいの人生が待っている娘さんを、タ…、例え、阿弥陀さまと言えども、そんなところに行かせるわけにはいきません」
 キヌはおミネから花嫁衣裳を剥ぎ取ると手早く自分が着て、巡礼装束はおミネに渡した。
「今夜はめっぽう冷えこみそうです。男の方はお堂の前に枯れ木を積み上げて、火をつけてください。それがすんだら、どなたさまもお引き取りください」

知恵比べの勝者

 みんなが引き上げたあとキヌは一人になった。お堂の周りは燃え盛る炎が空を焦がしていた。何を考えているのかキヌは、周囲から小石を拾ってきては火の中に放り込んだ。夜も更けて、生ぬるい風がお堂の周囲を旋回した。そこに現れた例の阿弥陀さま。だらしなく大きな口をあけてよだれをダラダラ流している。キヌは上目づかいに相手を覗きながら、真っ赤に焼けた小石を火箸でそばにひき寄せた。阿弥陀さまは炎の熱さとくすぶる煙でなかなかキヌに近寄れない。


「オイ、娘。火をも少し小さくでけんか」
「あっ、旦那さま。・・・寒くて私の体は冷え切っています。大事な旦那さまのもとにまいる体です。温めておかないと・・・」
「それは殊勝な考えじゃな」写真は、阿弥陀が峰地区と裏山の遠景
「旦那さまにひとつだけお願いがあります。フカフカした赤い豪華な絨毯(じゅうたん)で私を迎えて貰いとうございます」
 キヌは顔を赤くしながら恥ずかしそうに囁いた。そこで阿弥陀さま、くるりとひと周りしながら呪文を唱え、たちまち畳三畳敷きほどの鮮やかな絨毯に変身した。
 その瞬間、キヌは火の中から集めていた小石を絨毯の上にばらまいた。
「アジジ、アジジ ・・・」
 絨毯はあっという間に老いぼれ狸の姿に戻り、ヨタヨタしながら裏山に逃げていった。
 翌朝、村人たちが恐る恐るお堂の周りに集まってきた。残り火がくすぶるお堂には阿弥陀さまもキヌもいなかった。足元を見るとどす黒い血が点々と。村人たちが痕跡をたどって山奥の洞穴まで行くと、そこには、年老いた雄の狸がだらしなく仰向けになって息絶えていた。
 山から下りてきた村人の一人がお堂の壁を指差した。一枚の紙が貼ってあり、それはキヌからのものだった。
「お世話になりました。これからは、阿弥陀さまも娘さんを差し出せとは言われないでしょう。村の皆さま、いつまでも助け合って仲良く幸せに暮らしてください。私は阿弥陀さまに連れられて西方に向かいます」
とだけ書いてあった。(完)

 この話、鎌倉時代に書かれた『宇治拾遣物語』という本にある仏教説話がもとになっているとか。「阿弥陀が峰」という地名とはまったく関係ないらしい。
 三輪町の街角には、「ここが卑弥呼の里」と書かれた大看板が掲げられている。商工会のホームページでも、町の東北部に祀られている「大己貴神社は、幻の大国・邪馬台国伝説の地として有名」とうたってあるほど。本当にそうかな、周囲を見渡すと、筑紫山地と耳納連山に挟まれるようにして里が横たわっていて、奈良の明日香あたりの地形にそっくり。そんなこんなで、愛郷心旺盛な卑弥呼ファンがその気にさせているのかもしれないな。
 僕が阿弥陀が峰にお邪魔したとき、間もなく収穫期を迎える稲穂が頭を垂れ、真っ赤な彼岸花とのコントラストがいかにも古風なイメージを演出してくれていた。案内してくれた役場の人は、よくぞこんな小さなお堂を訪ねてくれたと喜び、自慢そうに、「明治期、この仏像が国宝の指定に値するかどうか論議された折、像に施された必要以上の金箔が災いして選から漏れた」話をたらたら。

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