伝説紀行 高橋神社のカッパ相撲 うきは市吉井
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
福岡県うきは市吉井町
高橋神社のカッパ相撲大会(2016/9/10撮影)
9月に入ってもくそ暑い日が続く第2土曜日の午後。筑後川の支流・巨瀬川のほとりで大歓声があがった。川岸の神社いっぱいに人が集まっていて、子供相撲の真っ最中。ちびっ子力士の背中には、青いインクで奇妙な絵が描かれている。
カッパ被害を神さまに届出 むかし、巨瀬川一帯には葦が一面に生えていて、カッパの天国だった。その頃、収獲間近なきゅうりやえんどう豆が、誰かに盗まれる事件が相次いだ。また、水遊びをする子供が溺れ死ぬ事故も多発した。 大明神の大作戦 大明神は、カッパの大将・ガッツを呼び出し、神さま連とカッパ連の相撲大会を提案された。
「よござんす。戦う前からわかっている勝負なんぞに、こんな賭け事をするなんて神さまも馬鹿だなあ」 不快指数「90」の中で 真夏のよく晴れた午後、神さま連とカッパ連の相撲大会が巨瀬川の川原で挙行された。空には雲ひとつない。周囲の楠の葉も微動だにしていない。温度計はもう40度近いのではないか。お昼のニュースでは、不快指数が90を越えたと発表していた。
カッパ一族は、応援団を結成して川原を埋め尽くし、選ばれた力士たちは前稽古に余念がなかった。 頭の皿が乾いた ところが、あれほど自信たっぷりだったカッパ連の力士たち、ヘナヘナ腰で相撲にならない。行司が「はっけよい」と気合を入れても、腰が砕けてしまう。 神の情け あまりにもしおらしげなガッツを見ていて、大明神も少しばかり作戦のやりすぎを反省された。カッパが人間と完全に縁を切ったら、明日から食うに困るだろう、ということで、定期的に巨瀬川に胡瓜を投げ込んでやると約束された。そして、人間による相撲大会を毎年開くと約束された。 2001年に掲載して以来の再訪問である。9月の第2土曜日。カッパの甲羅を背中に背負った子供たちが、学年別に覇を競っている。子供カッパは、商品目当てと応援団を喜ばせるほかに目的はなさそう。だが、大人は違う。 農業の神様である高橋大明神さまに、健やかに育つ姿を見せようと、目の色を変えて応援する。大明神に、直接感想を聞いてみた。 大明神がカッパのガッツに約束させた相撲大会。むかしは遠く豊後や久留米などからもたくさんの力自慢が集まってきて、数多くの名力士を世に送り出したものだ。戦後は、土俵を子供たちが奪い、「子供河童相撲」として、毎年9月の第2土曜日に、神社境内で行われるようになった。 |