伝説紀行 合楽の境目 東峰村(宝珠山)
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
合楽の境目騒動 福岡県東峰村(旧宝珠山村) 旧宝珠山村(現東峰村)は福岡県の南東部にあって、人口2000人足らずの小さな村である。村の大半が山岳で、傾斜地には美しい棚田が連なり、見るものを楽しませてくれる。問題の そこは豊後か、筑前か? 赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入りする15年ほど前のこと。時代は今から350年もむかしの元禄時代に遡る。岩屋に住む与三(よさ)という男が鶴河内川(つるかわちかわ)のほとりにやってきて掘っ立て小屋を建てた。与三は、寝食を忘れて川から石を運び出し、段々畑を造った。やっと出来上がった田んぼに、ある日麦の芽がぞっくり出ている。
「何ばしよっとか! 俺がせっかく植えた麦ばめちゃめちゃにしくさって。よその畑のもんば取る奴は泥棒たい」 百姓の喧嘩に殿さままでも 我慢ならない豊作は、日田の代官所に訴え出た。話を聞いた代官さまは、早速福岡のお城に早馬を飛ばし、「天領である豊後の土地を荒らす不届き者を差し出すよう」迫った。 木炭の列の種明かし 調査状況を途中まで見ていた日田の代官さま。「急に用事を思い出したゆえ」と言って立ち上がり、さっさと帰ってしまわれた。帰り際に、「証拠が出ては、争えんな」と呟いて。 枝村:枝郷とも言う。また漢語調で支郷とも。新田開発などで新しい集落を開発したり、または一村の高を分けて新設したりしたときに使った。枝村に対して元の村を、「親郷」「親村」「本郷」「本村」と呼ぶ。(角川書店・福岡県地名辞典より) 本当のことを言えば、与三があたりの炭焼き小屋から木炭をかき集めて、徹夜で川や尾根に埋めただけのこと。もちろん、そんな小癪な手段を日田の代官さまともあろう人が見抜けないわけがない。それなのになぜ・・・。 喜んだ黒田の殿さん 一方、黒田の殿さんにしてみれば、天領日田と喧嘩をせずに領地を広げられたのだからこんなに喜ばしいことはない。功労者の与三には、本人もびっくりするような褒美がもたらされた。 身近な秘境 合楽は、宝珠山村の中でも“秘境”に属する。紆余曲折してやっとたどりついた山間の合楽地区での第一印象は、「ここが本当に福岡県?」。実際はJR日田彦山線の岩屋駅の山一つ向こう側なのだが、車だと何キロも迂回しなければならないからだ。写真:JR岩屋駅 |