伝説紀行 納戸の汲み場 うきは市吉井
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
新川無情
福岡県吉井町 久留米から大分に通じる国道210号が、やがて県境に達しようとするあたりに吉井町はある。この町はむかしから菜種を主原料とする製油業が盛んで、大きな油屋が軒を列ねていたという。 お話しの原題は「納戸の汲み場」といい、地元では「なんどんくんば」と訛って親しまれてきた。筑後川からひかれた用水路が、生活用水として活用された時代、どこの家にも台所代わりにしている水路に下りる階段があった。 若旦那が奉公娘に恋をした 明治の頃、南新川のほとりに、使用人を何十人も雇っている大きな油屋があった。そこに、川下の農家からナミという娘が奉公に上がった。ナミは大変な働き者で、店の誰からもかわいがられた。そのうちに、跡取り息子の与太郎に惚れられたために、怒った主人の吉右衛門から解雇されてしまう。吉右衛門と息子与太郎の百日戦争が始まった。 木蓮に託した便りが途絶えて… 「油屋の息子が、今度祝言ばあげるげな」
悪い噂を聞くたびに、ナミの心は乱れた。だが、木蓮の葉は決まった時間に流れてくる。木蓮の葉が99枚貯まった翌日、木蓮の便りが途切れた。その頃、与太郎はものすごい形相で父親と向かい合っていたのだ。深夜になって、とうとう吉右衛門が折れた。 与太郎の油屋の庭には、大きな木蓮の木が聳えていたと年寄りは語る。だが何十年も前の話だ。その店もどこにあったのかさえ定かではない。もちろん、それらしい木蓮の木も見つからない。題材となった「納戸の汲み場」も、水道の普及でどの家からも姿を消してしまった。 |