湯仏如来
(湯仏縁起)
大分県日田市(天瀬町)
温泉街に祭られる湯仏如来像
天瀬温泉は擦り傷や化膿などによく効くと言われる(最後に効能など掲示)。そのためか、温泉街には薬師如来の石像が祀ってある。だが、この仏像にはもう一人(?)のご先祖さまがおられることを地元の人も案外知らない。
温泉の北岸の急坂を、雑草を掻き分けながら登って行くと、小さな石の祠が建っている。祠の中にはどこででも見かける50aほどの自然石が大事そうに飾られていた。町の教育委員会が発行した資料によると、この石は眼下に見える温泉を見守る如来さまだとか。そう言われて祠の中の石をよくよく見ると、なるほど人間が座っている姿に見えなくもない。
湯仏を祭る祠
独り占めする罰当たり
ときは元禄時代というから、300年ほどむかしの話。豊後の国(大分県)の湯山(天ヶ瀬温泉の一帯)に、幸吉という男が女房のお里と1歳になる長男とともに暮らしていた。幸吉は夜が明けるとすぐ山に入り、鳥や獣を捕まえて生計を立てていた。
その幸吉、切り株で転んで擦りむいた膝の傷が化膿して困っていた。近所の婆さんから上流の川原によい湯が湧いているからと教えられ、早速2里遡った玖珠川上流の下泊里(現玖珠町)に出かけていった。教えられた川原に来てみると、10人ぐらいの人だかりが。
玖珠川上流の三日月の滝付近
「これはひどい!」
身を乗り出した幸吉が絶句した。湯が湧き出ている浴槽に牛の生首が浮いている。その上ものすごい悪臭が周囲を覆っていた。
「どうしたんです?」
幸吉がそばの女に尋ねた。
「どうもこうもないわ。治助の奴、遠くからやってくる湯治客を寄せ付けまいと、湯の中に生首を放り込み、その上人糞(じんぷん)までばらまきおった」
「それだけじゃなか。湯のそばに祀った薬師如来さままでぶっ壊しよって。罰当たりめが」
治助とは、このあたりに住む一人暮らしの老人である。理由は…。
「ここは俺だけの温泉じゃけん。おまえどんの傷や病気が俺に伝染したらたまらんけん」のだと。
湯に入ることを諦めて湯山の家に戻った幸吉だったが、その夜から付近一帯に大雨が降り、玖珠川が氾濫した。人の話だと、上流の玖珠盆地はまるで湖のようになってしまい、田んぼや家畜が流されて大きな被害が出たらしい。みんなが楽しみにしていた温泉も跡形もなく消えてなくなり、せっかく稔りかけた米も野菜もみんな流されてしまった。そして、治助に壊された薬師如来像もいずこかヘ消えてしまったとか。
「治助の奴が仏さまを壊したり、みんなに嫌がらせをした罰じゃ」
話をしてくれる人も困り顔で川の上流の方角をにらみつけた。
「それで、治助さんは?」
「知らねえ、あんな奴。おおかた大水にでも浚われたんじゃろう、姿が見えんそうじゃから」
夢枕に如来さま
幸吉の膝の傷は治るどころかますますひどくなって、猟にも出れなくなってしまった。これでは女房も子供も干上がってしまう。それからというもの幸吉は、毎朝毎晩仏壇に灯明をあげて祈った。そんなある朝のこと。枕元に薬師如来さまが立たれた。
「この川を下ったところで、傷や吹き出ものによく効く薬湯を授けるほどに夜が明けたらすぐ行くように」
如来さまは顔や目の皺まではっきりしていて、とても夢とは思えない。
「どこに行くと?」
追いかけてくるお里を振り切るようにして、幸吉は玖珠川の川原に出た。川原には上流から流されてきた大小の石がゴロゴロ。如来さまのお告げの場所を探すのは至難の業だ。歩き疲れてへたり込んだそのとき、硫黄の臭いが鼻を突いた。すぐ近くの岩のすき間から一筋の白い湯煙が立ち昇っている。
天瀬温泉傍を流れる玖珠川
「これだ、如来さまが告げられたお湯とは」
幸吉は渾身の力をこめて大きな岩を取り除いた。すると岩の下からブクブクと湯が噴出した。手を入れると心地よい湯加減である。今度は化膿した足を腿まで漬けた。するとこれまでの痛みが嘘のように和らいでいった。あまりの効き目に驚いた幸吉は、改めて薬師如来のお告げが正夢であったことを知らされた。
仏によく似た恵みの石
湯の噴出を塞いでいた岩をよくよく見ると、その姿はまさしく如来さまそっくりの姿である。幸吉は湧き出るお湯が仏の恵みだと思い、その場にひれ伏してお礼を申し上げた。
「治助が壊した如来さまが、大水でここまで流されて来られたのだろう」
幸吉は、如来さまの姿をした大きな石を担ぎ上げると、北側の険しい山を登っていき、川原が一望できるところにお祀りした。
再び川原に下りてみると、ボロ布をまとった老人がしょんぼり立っている。幸吉の姿を見るや、その場に座り込んで手を合わせた。
「私は平川で百姓をしとった治助というもんです。温泉を独り占めするために人に嫌がらせをしたり、如来さまの像を壊したり、儂はとんでもない悪い奴です。ところが昨夜野宿の夢枕に如来さまが立たれて、ここに来るように命じられました」
これが悪い評判の治助なのか、幸吉は老人の表情を伺った。
「私は、如来さまから、この仏の湯を死ぬまでお守りするように申し付かったのです」
中腹の如来さまに見守られる温泉は、近郷近在の善男善女の集合の場所になって後の世まで栄えた。これが天ヶ瀬温泉の起こりだと。そのあと、心あるお方が、如来さまをもっとリアルなお姿に刻みなおしてお堂も建ててお祭りした。温泉街の真中に鎮座される天ヶ瀬の薬師如来がそれである。(完)
天ヶ瀬温泉を訪ねたのは、梅雨も明けてカンカン照りの日の夕刻であった。数日来の大雨で、いつもは川底が丸見えの玖珠川も、ダムのなかった時代の水量に戻っていた。
川原に設けられた流行の露天風呂では、数人の男女が一つの湯船に入って戯れていた。見ぬふりをしてそっと覗くと、戯れている男女はみんな若いグループである。流行には羞恥心など不必要なのだろうか。半分やっかみも含めて、「あの人たち、温泉を守っている薬師如来さまのことなど知らないだろうなあ」とひとり言。
天ヶ瀬の温泉の湧出は豊後風土記にも記されている。
* 天ヶ瀬温泉の説明(2002年4月27日 付新聞広告)
泉質:無色透明の単純泉・弱食塩泉・単純硫化水素質・硫黄泉など。
泉温:75〜100度
感触:さらさら。
効能:火傷・皮膚病・婦人病・糖尿病・リューマチ・神経痛・関節痛・慢性消化器病・冷え 性・便秘・肝臓病。
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