伝説紀行 片袖如来(前編) 朝倉市杷木


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第015話 2001年07月08日版

09.02.08
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

身代わり如来(前篇)

片袖如来

福岡県朝倉市杷木町


杷木町の稲積家に保存されている片袖如来

 国道386号を筑後川に沿って東に走り、杷木町の「久喜宮(くぐみや)」交差点から北へ。しばらく行くと、夕月神社がある。このあたりに400年前まで「永楽寺」、「玉泉院(ぎょくせんいん)」という二つの大きなお寺が建っていたそうな。最近まで小字名として残っていたと聞いた。

殺生が飯撚り好きな郷士

「ドンドンドン…」
 収獲間近の麦畑で時ならぬ太鼓の音。
「そっちを向いても、ウサギなどおらぬだろうが。こっちの芋畑だ!」
 後で怒鳴っているのは青木弾正頼近という郷士。怒鳴られているのは、頼近の道楽に無理やり借り出された農民たち。

郷士:江戸時代、武士でありながら城下町に移らず、農村に居住して農業を営み、若干の武士的特権を認められたもの。

「ここは俺の芋畑たい。収獲間近だというのに」
「本当なら、今は田んぼの草取りでクソ忙しかときばってん」
 頼近の命令には逆らえず、仕方なく太鼓を鳴らしている連中がブツブツ言っている。
「お前たち、今弾正様の悪口を言ったろう」
「いえ、けっして」
 側近に怒られて、しぶしぶ己の畑に入り太鼓を打ちながら畑を踏み潰していく。頼近は野ウサギや鹿を追いかけて撃ち殺すことが三度の飯より好きな男だった。お陰で、畑を荒らされたり、狩猟の手伝いのために仕事を休ませられる農民の不満は爆発寸前であった。
「旦那さま、あなたのように殺生を繰り返していては、きっと仏さまからお咎めを受けますよ。それに、郷士たるもの、もう少しお百姓さんのことも考えなくては」
 意気揚々と猟から帰ってきた頼近を、奥方が諌めた。頼近にとって、何かと小言の多い妻がうっとうしくて仕方なかった。
 奥方はといえば、たいそう心根が優しく、信心深い女性であった。毎日のように丘の上の玉泉院に通って仏を拝み、お坊さんからお説教を聴いて帰ってくる。そんなとき、頼近に耳打ちするものがいた。
「奥方が玉泉院に通われるのは、お寺の若い坊主と逢引するためですぞ」
 それを聞いた頼近の眉間に青筋が走った。

如来さまのお導き

 その夜は1寸先も見通せない闇夜であった。参道で待ち伏せしていた頼近が、坂を下りてきた奥方を一刀両断に斬りつけた。妻を殺した恐ろしさで、急ぎ屋敷に引き返した頼近は、そのまま布団に潜り込んだ。
 しばらくして、裏の戸が開き、誰かが部屋に入ってきた。
「ただいま、遅くなりました」
 目の前に立っているのは、確かに我が妻である。さては化けて出たかと、彼女の頭から足元まで見回すが、普段と変わらぬ生身の奥方に間違いはない。


如来さまをお祭りするお堂)

「尋ねるが、そちの身辺に何事か起こらなかったか?」
 頼近が恐る恐る訊くと、奥方はしばらく小首を傾げていた。
「そういえば、お寺からの帰り道、突然目まいがしてその場でしばらく気を失ったような気がいたします。そのために帰りが遅くなったのです」
 頼近は、訳も話さず奥方の手を引いて、刃にかけた現場に駆けつけた。暗闇に明かりを当てると、周囲に転々と血潮が飛び散っている。足元には、これまたべっとり血のついた木片が転がっていた。手にとって見ると、それは仏像の片腕であった。
 血の跡をたどると、玉泉院の本堂に連なっていて、さらにご本尊の如来像が祭られている場所に行き着いた。見上げると如来像の片腕が鋭く切りおとされていて、べっとり赤い血が。
 それを見て、頼近がひれ伏した。
「さては、我妻の身代わりに立たれ、命をお救いくだされたか」
 こぼれ落ちる涙を拭こうともせず、頼近は脇の刀を仏前にさしだした。


玉泉堂が建っていたとすいていされるあたり

「私が悪うございました。無益な殺生や農民いじめを咎める妻を亡き者にせんとしたこと、どうぞ、私めを存分にご処分ください」
 頼近は、夜が更けるのも厭わずに、懺悔を続けるのだった。(完)

 お話しの如来さまの片腕は、現在久喜宮の稲積家で大切に保存されている。また、本体の如来像は、その後変転を重ねて、下関市の善勝寺に預けられているとか。
 さて、頼近の奥方が通った玉泉寺は何処に。町の物知り博士は、町の北方に見える小高い丘が玉泉寺跡だと教えてくれたが、お宮さんの歴史については語ってくれなかった。

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