伝説紀行 幡保のカッパ石 大川市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第014話 2001年07月01日版
再編:2017.04.30
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

カッパの情け

幡保のカッパ石

福岡県大川市


むかし、カッパが住んだ蓮根堀付近

 お話の舞台は、筑後川も終点近くの幡保(はたほ)の天満宮。あまり広くない境内の片隅に無造作に置かれている石の由来について。
 江戸時代、このあたり一面はレンコン畑だったそうな。柳川藩と久留米藩の境をなしていたという。

カッパが被害者に

「大変だ、大変だ、(あん)ちゃんが大変だ!」
 蓮の葉陰で昼寝をしている河助のところに、次男坊のどぶ吉がすっ飛んできた。河助一家は、ずっと昔から幡保天満宮横のレンコン堀をねぐらとして暮らしてきたカッパである。
「どうした? ガー吉に何があった?」
 河助は、どぶ吉の慌てように不吉なものを感じた。
「兄ちゃんが人間の子供に殺された」
 わけを聞いて慌てた河助が泥橋の下に到着したとき、もうガー吉はあの世に旅発った後だった。どぶ吉の話だと、兄弟で泳ぎの稽古をしているとき、人間の子供が蹴った石ころがガー吉の頭に命中し、大事な皿が粉々に割れて即死したんだと。


柳川と久留米の境を示す「藩境の石列」

「人間には近づいちゃいかんちあげん言うとったのに」
 河助は、息子の遺体を抱いたまま、いつまでも泣きじゃくった。

復讐を誓う父

「ガー吉よ、お前の仇は必ず父ちゃんがとってやるけん。迷わず成仏するんだぞ」
 河助は死んだ息子に約束したあと、犯人捜しに明け暮れた。何日かたって、犯人が天満宮近くで石屋を営む男の一人息子の三郎次だということがわかった。
 雨がびしょびしょ降る夕方、河助は泥橋の上で三郎次を捕まえると、堀の中に引きずり込んだ。
「俺はただ石ば蹴っただけで、橋の下にカッパがいたこつなんてん知らんもん」
 三郎次が言い訳をしても、河助は聞かない。
「お前には、大事な息子ば殺された親の気持ちはわからん」
 わめく三郎次の背中を、これでもかこれでもかと押さえつけた。
「お前ばここで八つ裂きにするこつは簡単ばってん、それだけじゃ死んだ息子は浮かばれん」

証文

 河助は三郎次に重大なことを命じた。
「よかか、三日以内に、お前の父ちゃんば殺せ。それができんなら、この場でお前ば殺す」
 ガタガタ震える三郎次の右手に筆を握らせると、「私は三日以内に父親を殺します」と書かせた。証文ができると、河助は三郎次を開放して後をつけた。トボトボと家に帰った三郎次は、「そげん濡れてどげんしたつね」と訊く母親に、何も答えず布団にもぐりこんだ。
 夜が明けて、次の日が来た。三郎次は父ちゃんの仕事場に行った。父ちゃんの膝の周りには、石を刻むノミが何本も散らかっている。三郎次はそのうちの一本を手に持ったが、すぐ元の場所に置いて立ち去った。この様子を庭の柿の木の上から見ていた河助ががっかり。翌日もまた三郎次は父ちゃんの側に擦り寄ったが、何もせず、何も言わない。今度は母ちゃんににじり寄って何か話そうとするが、それもやめて自分の部屋に引きこもった。


レンコン畑(イメージ)

 そしてとうとう証文に書いた期限の日がやってきた。河助にとっても、きょう三郎次が決行しなければ彼を殺さなければならない。暗くなって、三郎次は泣きながら、両親にカッパと交わした証文の一件を打ち明けた。
「父ちゃん、母ちゃん、俺はまだ死にとうなか。ばってん、父ちゃんば殺したりはでけん」
「ほんにね、ほんにね」

カッパも人間も親心は共通

 息子から一部始終を聞いた両親は、どうしていいかわからず、抱き合って泣くばかり。
「よか、あしたになったらカッパさんに頼んで、父ちゃんが八つ裂きにしてもらうけん。お前は父ちゃんの跡ば継いで立派な石屋になるんだぞ」
 父親は、息子にコンコンと言い聞かせて、また泣いた。その様子を柿の木の上から見ていた河助の目は、知らないうちに真っ赤に腫れあがった。
「親が子を思う気持ちはカッパの世界だけかち思うとったばってん、人間も同じたいね」
 河助は、懐に入れていた証文を、柿の枝に結びつけると、泥橋の方に去っていった。夜が明けて、父親が柿の木の証文を見つけた。
「カッパさんのお情けは、終生忘れはいたしまっせん」
 そんな風に呟いて、土橋に向かって最敬礼をしたそうな。カッパの情けに感謝した父親は、何日もかけて大きな石の踏み台を作った。カッパが陸に上がるとき便利なようにとの心遣いである。それが今も幡保天満宮の境内に置かれている「カッパ石」だそうな。

 カッパ石なるものを拝ませてもらおうと、大川市に出向いた。天満宮の周りは格好いい文化住宅ばかり。町の物知り博士にご足労願って、カッパ石を見せてもらった。が、どう見てもカッパに便利な踏み石には見えない。「そうでっしょ、私が考えるには、この石はむかしお地蔵さんの台座じゃなかったろうかち思うとります」と言って涼しいお顔をなさった。(完)

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