伝説 田中長者 日田市大山町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第012話 2001年06月17日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
長者の人面石
原題:田中長者

大分県日田市大山町


田中長者が化石化したと伝わる「人面石」

 筑後川を遡っていき、日田市内の三隈川を右に旋回すると、大山町に出る。町の中央部に建つ場違いの立派な建物が町役場だ。役場の建物を一周すると、江戸時代に建てられたという藁葺(わらぶき)のくど造り住宅が保存されている。当時組頭であった矢羽田さんの住居跡だそうな。屋敷を南側の庭にでると、重さが5トンはありそうな石が無造作に置いてあった。石の表面をよくよく観察すると、二人の人間が寝そべっている姿に見える。

宿泊を頼む僧を門前払い

 江戸時代の始め頃。強い北風が吹く夕暮れ時だった。薄衣をまとった若い旅の僧が、万万金村(ままがねむら)(昔の大山町の一村名)の長者屋敷の門前に立っていた。屋敷の主は周辺の山林を独り占めにしている田中という男である。
 長者屋敷に一夜の宿を頼む僧を、出てきた長者が追い払っている。
「お前のような薄汚い坊主を泊めるところなどどこにもないわ」
「そんなことおっしゃらないで。馬小屋の片隅でもいいですから」
 僧が必死で頼んでも、「それじゃ、馬のほうが迷惑するわ」と取り合わず、挙句の果ては、持っていた盃を僧の眉間に投げつける始末。
「仕方ないな、今晩は野宿でもしますか。それにしても今夜は冷える」


数少なくなった麦藁葺の民家

 僧は独り言を呟きながら大山川を登っていった。
「もし、お坊さん」
 呼び止められて振り向くと、先ほど長者のそばに立っていた使用人だった。
「よかったら、俺の家に泊まらねえか。何にもかまうことはできないが、寝るだけなら…」
 男の名は重作といった。
「有り難い。このままだと、凍え死ぬところでした」
 連れて行かれた重作の一軒家で、嫁のサチが、白いご飯と川魚を膳に並べてくれた。
「あんな非道を繰り返す長者には、そのうちきっと仏が罰を与えましょう。あなたたちのようないい人は、早く長者屋敷を離れることです」
 翌朝、朝餉の前に僧が重作に説いた。すると重作は険しい表情で、「うんにゃ、わしの主人はあの田中長者さまですけん。どげなひどかお方でも、主人は主人ですけん」と、僧の勧めをきっぱりと断った。

最期は川原の石の上

 それから何年たったろう。そろそろ老境に入ったお坊さんが万万金村にやってきた。いつかの若い僧である。縁側で孫の着物を繕っている老婆に尋ねた。
「ああ、田中長者のことじゃな。あん人なら、とっくに死んでしもうたが」
 老婆は、かすかな記憶を手繰りながら話してくれた。


長者の名前を残す現在の「田中淵」

「あの頃、村じゃ日照りが続いてな。稲はイナゴが食い荒らすし、米がまったくとれなかった。長者に使われていたもんも、働いても金はくれんし、こき使われるばっかりで、みんな逃げていってしもうてな。長者さんも、最後は惨めなもんじゃった」
「そうですか、長者もやっぱり仏から罰を受けなさったのか。あの時の屋敷はどこでしたかな?」
「そんなもん、早ようなうなってしもうたが。誰も住まないもんで、朽ちてしもうた」
 老婆は、長者のことを思い出すのも嫌だという顔をしている。
「もう一つ聞かせてくださらんか。田中長者に仕えておった、重作というお人と奥さんのことを覚えておられぬか?」
「そういえば、長者さんのもとからみんないなくなった後も、一人だけ残って面倒を見ちょった夫婦がおったそうじゃが…。お坊さんが言われるその人かどうか。村のもんは、誰も覚えちょらんでよ」
「よっこいしょ」の掛け声とともに立ち上がった老婆は、長者屋敷の跡を案内するといって歩き出した。大山川のほとりの夏草が生い茂る原っぱに出た。
「ここが長者さまの屋敷跡だが」
 あの堅固な門も豪華な屋敷も、跡形すら見えない。老婆は曲がった腰をさすりながら、川原に案内して、大きな石を指差した。
「長者さまと奥さまは、死ぬ間際にこの石に寝そべったまま死になさったそうじゃ。食うものもなく、やせ細っていなさったそうだが」
「かわいそうに。なんまいだぶつ・・・」
「石の上をよく見てんな。大人が二人寝ている後があるじゃろう。強かおてんとうさんに照らされて、人の形だけが残ったんじゃと」(完)

 田中長者と奥さんが最期を過ごしたといわれる巨石は、現在役場裏手の矢羽田旧家の庭に引き上げられて、保存されている。周囲を見渡すと、当時を想像させる麦藁屋根の大きな民家が何軒か残っている。田中長者の伝説は、これらの建物を見ながら想像するとわかりやすいかもしれない。

 確かに岩の表面は、複雑に模様を形成している。しかし、これが人が横たわっている姿にみえるかといえば、どうもどうも。そんな小理屈を言ってるようじゃ、伝説紀行の作者は務まらなことは百も承知なんですがね。
 平成の大合併以降大山町役場は、単なる支所に。付属の文化センターを含めて、人の出入りがまばらなこと。駐車場前の「梅栗植えてハワイへ行こう=一村一品スローガン」が、妙に心の隙間風を誘う。何十年前の看板なのか。(2011年09月09日)

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