長者の人面石
原題:田中長者
大分県日田市大山町
田中長者が化石化したと伝わる「人面石」
筑後川を遡っていき、日田市内の三隈川を右に旋回すると、大山町に出る。町の中央部に建つ場違いの立派な建物が町役場だ。役場の建物を一周すると、江戸時代に建てられたという藁葺のくど造り住宅が保存されている。当時組頭であった矢羽田さんの住居跡だそうな。屋敷を南側の庭にでると、重さが5トンはありそうな石が無造作に置いてあった。石の表面をよくよく観察すると、二人の人間が寝そべっている姿に見える。
宿泊を頼む僧を門前払い
江戸時代の始め頃。強い北風が吹く夕暮れ時だった。薄衣をまとった若い旅の僧が、万万金村(昔の大山町の一村名)の長者屋敷の門前に立っていた。屋敷の主は周辺の山林を独り占めにしている田中という男である。
長者屋敷に一夜の宿を頼む僧を、出てきた長者が追い払っている。
「お前のような薄汚い坊主を泊めるところなどどこにもないわ」
「そんなことおっしゃらないで。馬小屋の片隅でもいいですから」
僧が必死で頼んでも、「それじゃ、馬のほうが迷惑するわ」と取り合わず、挙句の果ては、持っていた盃を僧の眉間に投げつける始末。
「仕方ないな、今晩は野宿でもしますか。それにしても今夜は冷える」
数少なくなった麦藁葺の民家
僧は独り言を呟きながら大山川を登っていった。
「もし、お坊さん」
呼び止められて振り向くと、先ほど長者のそばに立っていた使用人だった。
「よかったら、俺の家に泊まらねえか。何にもかまうことはできないが、寝るだけなら…」
男の名は重作といった。
「有り難い。このままだと、凍え死ぬところでした」
連れて行かれた重作の一軒家で、嫁のサチが、白いご飯と川魚を膳に並べてくれた。
「あんな非道を繰り返す長者には、そのうちきっと仏が罰を与えましょう。あなたたちのようないい人は、早く長者屋敷を離れることです」
翌朝、朝餉の前に僧が重作に説いた。すると重作は険しい表情で、「うんにゃ、わしの主人はあの田中長者さまですけん。どげなひどかお方でも、主人は主人ですけん」と、僧の勧めをきっぱりと断った。
最期は川原の石の上
それから何年たったろう。そろそろ老境に入ったお坊さんが万万金村にやってきた。いつかの若い僧である。縁側で孫の着物を繕っている老婆に尋ねた。
「ああ、田中長者のことじゃな。あん人なら、とっくに死んでしもうたが」
老婆は、かすかな記憶を手繰りながら話してくれた。
長者の名前を残す現在の「田中淵」
「あの頃、村じゃ日照りが続いてな。稲はイナゴが食い荒らすし、米がまったくとれなかった。長者に使われていたもんも、働いても金はくれんし、こき使われるばっかりで、みんな逃げていってしもうてな。長者さんも、最後は惨めなもんじゃった」
「そうですか、長者もやっぱり仏から罰を受けなさったのか。あの時の屋敷はどこでしたかな?」
「そんなもん、早ようなうなってしもうたが。誰も住まないもんで、朽ちてしもうた」
老婆は、長者のことを思い出すのも嫌だという顔をしている。
「もう一つ聞かせてくださらんか。田中長者に仕えておった、重作というお人と奥さんのことを覚えておられぬか?」
「そういえば、長者さんのもとからみんないなくなった後も、一人だけ残って面倒を見ちょった夫婦がおったそうじゃが…。お坊さんが言われるその人かどうか。村のもんは、誰も覚えちょらんでよ」
「よっこいしょ」の掛け声とともに立ち上がった老婆は、長者屋敷の跡を案内するといって歩き出した。大山川のほとりの夏草が生い茂る原っぱに出た。
「ここが長者さまの屋敷跡だが」
あの堅固な門も豪華な屋敷も、跡形すら見えない。老婆は曲がった腰をさすりながら、川原に案内して、大きな石を指差した。
「長者さまと奥さまは、死ぬ間際にこの石に寝そべったまま死になさったそうじゃ。食うものもなく、やせ細っていなさったそうだが」
「かわいそうに。なんまいだぶつ・・・」
「石の上をよく見てんな。大人が二人寝ている後があるじゃろう。強かおてんとうさんに照らされて、人の形だけが残ったんじゃと」(完)
田中長者と奥さんが最期を過ごしたといわれる巨石は、現在役場裏手の矢羽田旧家の庭に引き上げられて、保存されている。周囲を見渡すと、当時を想像させる麦藁屋根の大きな民家が何軒か残っている。田中長者の伝説は、これらの建物を見ながら想像するとわかりやすいかもしれない。
確かに岩の表面は、複雑に模様を形成している。しかし、これが人が横たわっている姿にみえるかといえば、どうもどうも。そんな小理屈を言ってるようじゃ、伝説紀行の作者は務まらなことは百も承知なんですがね。
平成の大合併以降大山町役場は、単なる支所に。付属の文化センターを含めて、人の出入りがまばらなこと。駐車場前の「梅栗植えてハワイへ行こう=一村一品スローガン」が、妙に心の隙間風を誘う。何十年前の看板なのか。(2011年09月09日)
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