伝説 三日月の滝 玖珠町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第010話 2001年06月03日版

2007.11.04 2017.05.14
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。
悲恋 三日月の滝

大分県玖珠町


悲しい恋の物語を伝える三日月の滝

 本日案内する三日月の滝は、JR久大線の北山田駅(玖珠町)を降りてすぐのところ。幅100メートルの豪快な滝は、一日中眺めていても,その躍動感に引き込まれて飽きることがない。この滝には、1100年もむかしの悲しい恋の物語が秘められていた。

横笛の名手にならぬ恋をして

 平安の頃、女ばかり12人の一行が小国の郷にやってきた。主人を取り囲むようにして、列をつくって黙々と歩いている。先頭にいる白髪まじりの女が、すれ違う百姓に尋ねた。
「このあたりに、都からおいでの公家らしい(おのこ)をご存じないか?」
 家路を急ぐ百姓は彼方の屋敷を指差しながら、「あそこで訊かれたらよかろう」と答えた。屋敷の主は佐藤甚兵衛といい、訳ありげな一行を中に招き入れた。
「こちらにおわすは、帝(光孝天皇)のお妃で小松女院と申されます」


小松女院の墓

 訊かれるままに白髪まじりの女・播磨の方は、旅に出るまでのいきさつを語った。ある名月の晩、帝は横笛の名手とうたわれた清原正高卿(きよはらのまさたかきょう)を宮中に招かれた。清隆卿は、小松女院の琴に合わせて演奏なされた。二人の合奏は、それはもう、聴く者を夢の世界に誘った。
「演奏が取り持つ縁とでも申しましょうか、お二人はいつしか越えてはならない一線をお越えになったのでございます」
 当然二人の恋は帝の耳に入り、正高卿はその日のうちに豊後の玖珠郡役人に左遷され、小松女院は幽閉の身となった。

水に映る顔の醜さよ

 それから1年が経過した。小松女院は正高卿のことが忘れられず、侍女11人の供を従えて宮殿を抜け出し、海路を正高卿のいる九州に向かった。豊後の漁村に上陸した一行は、小耳に挟んだ仔細なことも(おろ)そかにせず、山から里へと、恋しいお方を探し回った。
「そうでしたか、おかわいそうに。目の前の川を下り、途中合流する川を東に(のぼ)って行きなされ。そこなら、正高卿に会えるやも知れぬ」


写真は、小国町の鏡ヶ池

 翌朝、間断なく噴出している清水を飲もうと泉に近づいた女院が、顔をこわばらせた。水面に映る我が顔は、京の都で見たのとは天と地ほどにも違っている。
「こんな醜い顔では、正高さまに嫌われよう」
 あまりの情けなさに、女院は持っていた手鏡を泉の中に放り投げた。その時の泉が、今日小国の街中に保存されている「鏡ヶ池」だそうな。

木こりとの出会い

 佐藤甚兵衛屋敷を出た女院と11人の侍女は、小国の里から豊後へ、川の流れを頼りに道なき道をかき分けていった。日田郡(ひたのこおり)の井手口から女子畑へ。時折、柔な女ばかりと見て、悪童どもが一行に襲い掛かった。
「都にいるときは、こんな小童(こわっぱ)ごときに指一本触れさせなかったものを」
 播磨の方と11人の侍女は、歯軋(はぎし)りをしながら女院を守った。
「何をするか!」
 通りかかった初老の木こりが、悪童どもを叱りつけ、追い払ってくれた。木こりは一行を美しい滝の見える場所に案内した。
「三日月の滝と申してな」
 木こりは、周囲の山や川のことを説明した。播磨の方が正高卿のことを尋ねた。
「そのお方なら、玖珠検校(くすのけんぎょう)(郡司)矢野兼久さまの娘婿でおられます。お子もあって、それはもうたいそう幸せそうですよ」

逆巻く滝壺に

木こりの話を聞いて、女院の顔から血の気が失せ、その場に崩れ折れた。
「これほどまでに正高様をお慕いしてきたものを…」。
 ひとしきり涙したあと、女院は都に向かって合掌し、眼前の滝壺に身を投じた。主人に続いて侍女たちも次々に水中に消えた。木こりは、自分の軽率な言葉が大変な悲劇を生んだことを悟り、自らもあとを追って滝壺に飛び込んだ。

出張中の都で女院の悲報を聞いた清原正高卿は、早馬を駆って玖珠郡(くすのこおり)に戻り、女院と侍女を滝の近くに手厚く葬った。その後、土着した清原家の子孫が改めてお祭りしたのが、三日月の滝のそばに建つ「嵐山瀧神社」とのこと。また木こりの遺体はずっと下流の筑後大石村(現浮羽町)に流れつき、村人の手で手厚く葬られたとのこと。

 三日月の滝を訪ねたのは、嵐山滝神社の境内がピンク色に染まる桜の季節だった。朱塗りの欄干が真っ青な滝壺とあいまって錦絵を見ているよう。茶店の主人の話だと、神社には清原正高卿愛用の横笛や女院の懐剣などが保存されているとか。
 お話の1100年前、玖珠地方はどんなところだったのかな。悩む僕に、周囲のテーブル状の山々が、「何にも変っていないよ」と応えてくれた。
(完)

ページ頭へ    目次へ    表紙へ