伝説 三日月の滝 玖珠町
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るとき、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
大分県玖珠町
悲しい恋の物語を伝える三日月の滝
本日案内する三日月の滝は、JR久大線の北山田駅(玖珠町)を降りてすぐのところ。幅100メートルの豪快な滝は、一日中眺めていても,その躍動感に引き込まれて飽きることがない。この滝には、1100年もむかしの悲しい恋の物語が秘められていた。
横笛の名手にならぬ恋をして 平安の頃、女ばかり12人の一行が小国の郷にやってきた。主人を取り囲むようにして、列をつくって黙々と歩いている。先頭にいる白髪まじりの女が、すれ違う百姓に尋ねた。
訊かれるままに白髪まじりの女・播磨の方は、旅に出るまでのいきさつを語った。ある名月の晩、帝は横笛の名手とうたわれた 水に映る顔の醜さよ それから1年が経過した。小松女院は正高卿のことが忘れられず、侍女11人の供を従えて宮殿を抜け出し、海路を正高卿のいる九州に向かった。豊後の漁村に上陸した一行は、小耳に挟んだ仔細なことも
翌朝、間断なく噴出している清水を飲もうと泉に近づいた女院が、顔をこわばらせた。水面に映る我が顔は、京の都で見たのとは天と地ほどにも違っている。 木こりとの出会い 佐藤甚兵衛屋敷を出た女院と11人の侍女は、小国の里から豊後へ、川の流れを頼りに道なき道をかき分けていった。 逆巻く滝壺に 木こりの話を聞いて、女院の顔から血の気が失せ、その場に崩れ折れた。 出張中の都で女院の悲報を聞いた清原正高卿は、早馬を駆って 三日月の滝を訪ねたのは、嵐山滝神社の境内がピンク色に染まる桜の季節だった。朱塗りの欄干が真っ青な滝壺とあいまって錦絵を見ているよう。茶店の主人の話だと、神社には清原正高卿愛用の横笛や女院の懐剣などが保存されているとか。 |