ミサキさん
福岡県久留米市
ミサキさんと祠(久留米市史より)
蛇行する筑後川がショートカットされる以前の、安武村住吉地区(久留米市安武)で起こったこと。住吉地区の天満宮には、古ぼけた人形が神さまとして祭られている。村の人はその神さまを「ミサキさん」と呼んで親しんできた。
変な人形が流れ着いた
「ありゃ、何じゃ?」
大川が大きく右旋回する住吉の浜で、治助が珍しいものを見つけた。そばで投網をしていた茂吉爺さんが覗き込んだ。
「ほんなこつ、見たこともなか人形たいね」
人形の身長は40センチほど。女の子が好むゴンタさんにしては、顔が大人っぽくて、お世辞にもかわいいとはいえない。着せられている着物はどこか異国風。
「珍しかばってん、ちょっとばっかりえずか(怖い)感じもするない」
話を聞きつけてやってきたのが庄屋の吉兵衛さん。人形を抱え上げると、恭しく大きな石の上に座らせた。吉兵衛さんは、自他共に許す村の物知り博士なのだ。
「このお方は、水の神さまたい。粗末にしたら罰があたるけんね。上流のどこかで祭られていなさったのが、先日の大水で流されてきなさったとじゃろ」
吉兵衛さんの一声で、人形は筑後川が一望できる場所に祠を建ててお祭りすることになった。村人は、人形が打ち上げられた場所が、川の突端の岬だったことから「ミサキさん」と名前をつけた。
ミサキさんをお祭りしてからというもの、住吉地区にだけは、どんなに大雨が降っても水の被害がなくなった。
カナヅチもたちまちカッパに
夏が来た。子供たちは朝からフルチン(丸裸)で大川に飛び込んでいる。今のように、「川は危ない」とか、「遊ぶ暇があったら勉強しなさい」なんて言われないよき時代であった。
遊び仲間の末蔵が人形を抱いてやってきた。
「ミサキさんな神さまじゃけん、おもちゃにしちゃいけん。早よう祠に戻してこんか」
腕白大将の太一が末蔵に言いつけた。岬さんが祀られていた筑後川住吉浜
「ばってん、そげんしたら、かえってミサキさんにがらるる(怒られる)が。ここに来るとき、祠の前ば通ったら、『うちも連れて行って』ち、頼まれたんじゃけん」
そういうことなら、ということで腕白たちはミサキさんと一緒に大川で遊ぶことになった。子供たちが歓声を上げると、ミサキさんも「キャーッ、キャーッ」と奇声を上げた。不思議なことがもっとある。これまで泳げなかった子供が、ミサキさんを抱くと、川の中央まででもすいすい泳げるようになった。
子供たちが面白がってミサキさんを奪いっこすると、「キャーッ、キャーッ」の奇声は更に甲高くなって響いた。
取り上げた男が高熱発症
その様子を土手の上から眺めていた治助。
「こらあ、お前どんな神さまのミサキさんば、ねえごつしよっとか!(なんということをするのか)早よう、祠に返してこんか」
叱られて子供たち、仕方なくミサキさんを岸辺の祠に戻した。その時、子供たちには、ミサキさんのお顔が寂しそうで今にも涙がこぼれそうに見えた。
写真は、現在の住吉浜付近の土堤
夜になって、住吉では大事が勃発した。治助が40度を超す高熱を出し、命の危険にさらされたのである。医者も原因がわからず首を振るばかり。そこにまたまた、物知り博士の吉兵衛さん登場。
「治助は子供たちからミサキさんば取り上げたそうじゃな。ミサキさんは子供が大好きな神さまたい。せっかく遊びよるとこば邪魔されて、ミサキさんが腹かいて(怒って)、治助に罰ば与えなさったとたい」
治助は、昼間のことを思い出して悔やみ、高熱を押して浜に出かけてミサキさんに平謝りした。それからというもの、子供たちは誰に遠慮することもなくミサキさんを連れ出して遊ぶようになった。もちろん、治助の高熱もケロリと治った。(完)
ミサキさんに会うため、住吉の浜(旧河川)を訪ねた。どんなに探してもそれらしい祠が見つからず、農作業中のおじさんに尋ねた。
「むかし、そげな話ば訊いたことはありますばってん、今は祠はなかですよ。聞いた話しじゃ、ミサキさんは天満宮の本殿で(菅原)道真さんと同居なさっているそうですばい」だと。
お宮さんを管理している人などに、「ミサキさんに会わせて」と頼んだが、どうしても扉を開いてくれなかった。
再び旧河川の浜に出て、キョロキョロしていると、どこからともなく子供たちの叫び声に混じって、これまで耳にしたことのない「キャーッ、キャーッ」という甲高い声が聞こえたような気がした。改めて周囲を見回したが、どこにも子供の姿はなかった。
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